『君が心をくれたから』聖人すぎる永野芽郁には萎えたが…“現実的な悲劇” のフィナーレは素晴らしい【ネタバレあり】

永野芽郁と山田裕貴

ご都合主義の無理やりなハッピーエンドでなくてよかった。最終話はきちんと “現実的な悲劇” を描いていたと思う。

3月18日(月)に最終話(第11話)が放送された月9ドラマ『君が心をくれたから』(フジテレビ系)。永野芽郁と山田裕貴演じる主人公たちが、過酷な運命を背負わされるファンタジーラブストーリーだ。

主人公・逢原雨(永野)は、10年前の高校時代に心を通わせていた2歳年上の先輩・朝野太陽(山田)と感動的に再会。だがその直後、太陽は交通事故で瀕死に。雨が絶望していると、あの世からの “案内人” を名乗る謎の男(斎藤工)が現れ、雨に過酷な「奇跡」を提案する。

それは雨の味覚、嗅覚、触覚、視覚、聴覚をひとつずつ奪っていき、3カ月かけて五感すべてを失う代わりに、太陽の命を助けるというものだった。

■【ネタバレあり】主人公の五感は戻るのか?

ここからはネタバレありで最終話のストーリーと結末を振り返っておこう。

「奇跡」を受け入れた雨は、第10話終了時点で味覚、嗅覚、触覚、視覚まで失っており、最終話の前半は聴覚だけが残っている状態。聴覚を失うまでの残り1週間、太陽との大切な時間を過ごしていた。

最終話中盤で雨は聴覚も失うのだが、その後、太陽の前に “案内人” が現れ、「奇跡はまだ終わっていません」と告げる。

ここが最大のネタバレだが、「奇跡」の続きは、太陽が雨に助けてもらった命を返して自分が亡くなる選択をすれば、彼女の五感が戻るというもの。

そして太陽はいっさいの迷いなく、自分の死を受け入れる。太陽は急性心不全で命を落とし、雨の五感が戻るという結末。

エピローグでは数年後が描かれ、雨は前を向いて笑顔で立派に生きており、太陽との約束だったパティシエになる夢を叶えていた。

個人的な感想だが、正直言うと、この作品にあまりハマれずにいた。

主人公たちにあまりに不幸が降りかかるので、観ていて鬱々とした気持ちになってしまうのもあったが、雨と太陽のキャラが薄っぺらいと感じていたのも要因だ。

2人は、どちらも相手を最優先に考え、滅私の道を進もうとする純粋なキャラ。雨は内向的だが健気で典型的な悲劇のヒロイン。太陽は裏表のない情熱家で典型的な白馬の王子様。

人畜無害な聖人2人が、どこまでいってもかわいそうな展開の連続だったので、ドラマの制作陣から「かわいそうでしょ? 美しい愛でしょ? どうぞ泣いてください」と感動を押し売りされているようで、萎えてしまったのである。

■ご都合主義のハッピーエンドじゃなくてよかった

最終話放送前に、筆者がこれだけは勘弁してくれと思っていた “最悪の結末” は、2人の愛がさらなる奇跡を起こし、雨の五感が無事に戻り、太陽と末長く幸せに暮らしましたとさ――という、めでたしめでたしフィナーレ。

ただでさえ2人のキャラにげんなりしていたのに、最後に強引なご都合主義を発動してのハッピーエンドだったら、激萎えしていたことだろう。

しかし、前述したように太陽が亡くなって雨が助かるという終幕。“現実的な悲劇” を描いたファンタジーになっており、いい結末だったと感じた。

五感を失っていく状況は、非情な残酷ショーのようだったので、「奇跡」という表現には少々違和感があったが、この最終話を観終えた後は、確かに「奇跡」だったと思えた。

本来なら亡くなっていたはずの恋人と、とても大切な時間を過ごせ、いかにお互いが強く想い合っているかを確認したうえで、お別れができたからだ。

さらに言うなら、その3カ月間は五感を失っていくという過酷なものだったが、だからこそ愛の真贋や絆の強さも確認できていた。

結果的に考えると、事故でろくにお別れの言葉も交わせないまま失っていたはずの恋人と、3カ月も貴重な時間を共有できたのだから、紛うことなき美しい「奇跡」である。

いずれにしても、ファンタジー作品でありながら、恋人を亡くすという喪失感をきちんと描いた帰結は素晴らしかった。

堺屋大地

恋愛をロジカルに分析する恋愛コラムニスト・恋愛カウンセラー。『日刊SPA!』にて恋愛コラムを連載中。ほかに『現代ビジネス』『文春オンライン』『集英社オンライン』『女子SPA!』などにコラムを寄稿

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