代表作から新発見作、写生帖まで画業を一望 日本画家・福田平八郎の大規模な回顧展 大阪中之島美術館

「漣」から抜け出してきたようなシャツ姿で話す林野雅人主任学芸員

大正から昭和にかけて京都で活躍した日本画家、福田平八郎(1892~1974年)の大規模な回顧展「没後50年 福田平八郎」が大阪中之島美術館(大阪市北区)で開かれている。代表作をはじめとする初期から晩年までの優品約120件に加え、新しく発見された作品、写生帖、素描、下絵など、平八郎の画業を一望するラインアップがそろう。会期は5月6日(月・休)まで。

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平八郎は大分市生まれ。画家の道を志したのは、苦手な数学のために旧制中学の留年が決まった18歳の時だったという。京都市立美術工芸学校などで学んだ後の1921(大正10)年、「鯉」が第3回帝展で特選に選ばれ、京都画壇の寵児となった。

同作は水の中にいる8匹の鯉を写実的に表現。色の濃淡と陰影で鯉が泳いでいる深さを描き分け、絶妙な立体感を生み出している。平八郎は五右衛門風呂で自分の足先を動かし鯉に見立て、「足をするすると水の底へ下げて見ると、足の先きが非常に白うなるのだ」(展覧会図録より)などと観察、描画のヒントにしたらしい。

水にまつわる表現は、代表作「漣」(さざなみ)=重要文化財、1932[昭和7]年=にも通じる、平八郎の生涯を貫くテーマの1つだ。琵琶湖で釣りの最中、水面のさざ波から着想を得たという同作は、金箔の上に銀色のプラチナ箔を重ね、柔らかく反射する光を表している。群青のみの限定した色遣いでシンプルなモチーフに見える構成ながら、実際に作品の前に立つと、鋭い観察眼による優れた写実であることが伝わってくる。作品の基である写生帖もあわせて展示され、くり抜いて作品化した部分も示されており、トリミングに知恵を絞った様子が伺える。

また、平八郎の関係者宅に長年保管され、これまで存在が知られていなかった作品「水」(1935[昭和10]年ごろ)をこのたび初公開。同作は、画面上部に向けて線が密になっていく表現が「漣」と共通しているが、曲線の具合などはまったく違い、「漣」発表後、平八郎がさらなる水の表現を追求した過程で生まれた作品とみられている。

展覧会は作品を時系列でたどる5章立て。章を追い進むと、写実を極めた若い時代の作品から年を経るにつれて斬新な造形へと変化、高齢期にはカラフルで自由な作風になっているのが興味深い。まったく陰影をつけずに明るい色で描かれた「鴨」(1935[昭和10]年ごろ)、さまざまな太さ、色の竹が並ぶ「竹」(1942[昭和17]年)は、デザイン画のようなテイストが目を引く。「游鮎」(1965[昭和40]年)に至っては、太い輪郭線でデフォルメされたポップな鮎が画中を泳いでいる。

平八郎は晩年、「このごろではもう装飾的になっても写実になってもかまわんと思っている。問題は内容だ」と話していたといい、日々写生に取り組み、写実に基づいた制作を行う姿勢は生涯変わらなかった。一方で子どもの描いた天真爛漫な絵に興味を持ち、しばしば模写していたという。

林野雅人主任学芸員は、平八郎作品について「構図、トリミングが巧妙」と評価。「SNSに多くの人が写真を投稿する今、対象の配置や画を切り取る技術力の高さを実感してもらえるのでは」と指摘し、「時代ごとに変わる新鮮な画風を楽しみつつ、見る人をあっと驚かせたいという気持ちで挑戦を重ね続けた平八郎の人生に思いをはせてほしい」と話した。

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