『夢眠書店』オーナー・夢眠ねむ。夫からのプッシュギフトは“産後ケアホテル”。退院して最初の夜、育児ど素人の二人で徹夜して息子を見守り…。

女性アイドルユニット『でんぱ組.inc』を卒業後、小さな子どもや赤ちゃん連れでも気軽に訪れることができる『夢眠書店』を立ち上げた、夢眠ねむさん。昨年の秋には、第一子となる男の子を出産。4カ月になる息子さんと一緒にお店に出勤し、“書店”での子育ても楽しんでいます。今回は、出産や不妊治療のこと、また、夫であるバカリズムさんとの子育てについて聞きました。

peco、「いっぱい泣いたあとは、悲しみを乗り越えるために前を向く」“新しい家族のかたち”のこれから

健診からの緊急帝王切開で、夫の心配性に拍車がかかった!

息子さんを出産した翌日の夢眠ねむさん。

――昨年の秋に第一子を無事に出産されて、現在はどんな毎日を送られていますか?

夢眠ねむさん(以下、敬称略):息子が2カ月ぐらいの頃から、書店の営業日は一緒に出勤しています。家族経営なので、お店に行けば姉もいますし、働いているスタッフも10年来の友人なので、みんなで息子を育てている感じ。家にいるとワンオペなんですが、お店に行けば3オペなんですよ!

6歳になる娘がいる姉は、かなり頼もしい先輩ママ。その6歳の姪っ子が保育園に入るまでは、姉は姪っ子をおんぶしながら仕事をしていて、私も一緒におむつを替えたりしていました。そんなこともあって、お店で子育てをするイメージはできていたのかもしれません。

まだ息子の爪を切るのが怖くて苦手なんですが、姉がササっと切ってくれるので、いつも「お願いしま〜す!」という感じで(笑)。子育てでは、まわりにだいぶ助けられていますね。

――出産はどうでしたか?夢眠さんのその時の心境や、夫・バカリズムさんの様子を教えてください。

夢眠:計画無痛分娩で産みたい!と希望していたので、逆子になってしまったときも、必死に逆子体操をして治すなど、とにかく気合いを入れて出産に向けて臨んでいました。でも、最後の健診を受けたときに、おなかの張りや胎児の心拍を見る検査のノンストレステスト(NST)で引っかかってしまい、そのまま検査入院をすることに。ギリギリまで様子を見ていましたが、入院したまま、翌々日に無痛分娩で出産をする流れになったんです。

予定日当日、夫は休みを取ってくれていたんですが、急遽分娩すると決まった日もタイミングよく休みでした。それで、出産当日は病室でずっと付き添っていてくれて、助産師さんに「そろそろ陣痛促進剤の量を増やしていくので、ご主人は今のうちに食事を取ってきてください」と言われ、食事に出た10分後にNSTのアラームが鳴り、「やっぱり、緊急帝王切開にしましょう」と急展開に。それまで余裕そうにしていた私が、「今すぐ戻れる?」と夫に電話をしたことで、夫はめちゃくちゃ不安そうな顔をして、ダッシュで帰ってきました。

私自身は、帝王切開が怖いという気持ちはもちろんありましたが、プロの手に任せられるという点では安心でしたね。でも、手術中は意識があるので、怖さでパニックにならないように、先生たちと談笑することで「大丈夫」と暗示をかけていました。私、ちょっとそういうところがあって、「やばい!」と思うと、逆に余裕ぶっちゃうんですよね。

手術がはじまってからは、あっという間でした。でも、後で冷静に考えたら、意識がはっきりしている状態で、下半身だけ麻酔して手術をするって、なかなかのホラーじゃない!?と。昔、とある遊園地のお化け屋敷で、VRを使ったそういう恐怖のシーンがあったことを思い出してしまいました(笑)。

――赤ちゃんが産まれてきた瞬間はどうだったのでしょうか?

夢眠:「赤ちゃん、出てきましたよ〜!」と言われて、息子を目の前に連れてきてもらえたんですが、一瞬で連れて行かれちゃったんです。おなかの中で、羊水を飲んでしまっていたようで、その後の処置が必要だったんですね。息子はすぐに別室に運ばれてチューブにつながれたそうで…。そんな様子を一部始終見ていた夫は、とにかく心配だったと思います。もともとかなりの心配性ではあったのですが、今回の出産で、より心配性に拍車がかかりました。

夫は、陣痛のためにと持ってきてくれていたうちわを使うことなく、ずっと手で握りしめて、手術の間も待ってくれていたようでした。無事に産まれてきてくれたうれしさ半分、まだまだ不安が半分という気持ちだったと思います。はじめて我が子を抱っこしたときの夫は、本当にカチコチでしたね(笑)。

産院から産後ケアホテルへ。しっかり休めたから、産後も元気でいられた

出産後、入院中の夢眠ねむさん。

――その後、息子さんの状態はどうだったんですか?

夢眠:私は帝王切開後ということもあり、すぐには会えなくて。息子は、酸素濃度が高く保たれている保育器の中に入っていました。その間は、夫が息子の様子を動画に撮ってくれて、「今、こんな感じ!」と、逐一報告してくれたんです。出産当日は本当に1分ぐらいしか会えなかったので、夫の報告で、「ああ、本当に産まれたんたな〜」と実感していった感じでした。出産翌日にやっと抱っこできましたね。

退院後は、産後ケアホテルを予約していたので、産院から直接、産後ケアホテルに入る予定でした。でも、出産が数日早くなってしまったことや、ホテル側の空きがなかったこともあって、退院後に1日だけ家で過ごして、それから産後ケアホテルに入ることになったんです。プロからプロの手に委ねられると安心しきっていたら、その間の1日だけ、“育児ど素人”二人と息子で過ごすことになってしまい…。夫婦そろってその状況にすごく怯えてしまい、「二人で徹夜しよう!」ということに。次の日、目がギンギンのまま、産後ケアホテルに向かいました(笑)。

――ご主人がお忙しいなどの理由で、産後ケアホテルを希望されたのですか?

夢眠:子どもが欲しいな〜と思っていた頃に、産後に入ることができる「産後ケアホテル」というものがあると知ったんです。それで、子どもが産まれたら利用したいなと思っていました。その話を夫にしたら、「ぜひ、行ったほうがいい」と。

最近は、出産を頑張った奥さんへ、旦那さんから贈る“プッシュギフト”が流行っていますよね。よく、ブランドのバッグやアクセサリーをもらうという話を聞きますが、私は、「アクセサリーとか一切いらないから、とにかく産後ケアホテルがいい!」と伝えました。

夫は、その時期はとくに忙しいこともあり、自分が一緒に育児できないことに申し訳ないという気持ちがあったようです。あとは、きっと不安でもあったと思うので、産後ケアホテルの話には大賛成という感じでした。「安心できて、体力回復するまで宿泊していいからね!」と言われたので、お言葉に甘えて予約をしました。

産後ケアホテルでは、助産師さんや保育士さんが常駐してくれて、24時間好きな時に赤ちゃんを預けることができました。その間には、ちょっと仕事をすることもできたり。さらに食事も、1日3食にプラスして、おやつと夜食まで出てくるんです。産後に何が大変かって、スーパーに出かけていき、自分や夫の食事を作ることですよね。その中で、バランスのいい食事を取ることはもっと大変で…。その点、産後ケアホテルに入れば、そういった心配がないのはありがたかったなと思います。

ホテルに入ったら、夫は忙しくてなかなか来れないのかな〜なんて思っていましたが、産院に入院中も、ホテルにいる間も、仕事の合間に1時間でも時間ができれば、すぐに会いに来てくれたんです。本当は、息子とひとときも離れたくなかったみたいですし、一緒に子育てをスタートさせたいと思ってくれていたみたいで。すごく頼もしかったですね。

結局、産院に1週間、ホテルには2週間入らせてもらって、家に帰る頃には本当に元気になりました。しっかり回復できたのは、出産の直後にしっかり睡眠をとることができたからだなと実感しています。産後のメンタルも、たくさんのサポートのおかげで不安定にならなかったですね。

「子どもができづらいかも」という言葉で、結婚後すぐに妊活スタート

妊娠初期の夢眠さん。

――息子さんを妊娠するまでには、妊活はされていたのでしょうか。

夢眠:前の仕事をしているときに、生理が止まってしまうことがあり、一度婦人科にかかったんです。そのとき、先生に「子どもができづらい身体かもしれない」とサラッと言われてしまって。そのときはまだ、妊娠のことなど全く考えていなかった年齢だったのですが、涙を流すほどショックを受けました。それがずっと頭にあったので、結婚後は、自己流ですが妊活をすぐにはじめたんです。ただ、1年ぐらい妊娠できなかったので、そこからクリニックに通いはじめて、比較的早い段階で顕微授精に切り替えました。私の場合、卵子がずっと空砲(卵子が入っていない卵胞のこと)になってしまって、それが悩みの種でした。

治療の最初の頃は、泣き通しでした。先生の前では決して泣かないと決めていましたが、帰り道に泣きながら仕事に向かったり、我慢できずクリニックのトイレで泣いてしまったり…。

本格的な治療がはじまってからも、辛い時期もありましたね。採卵してはダメ、また採卵してもダメで…。もともと注射がすごく苦手なのに、おなかに自己注射をしなければいけなくて、最初は怖くて泣きながら打っていました。夫も注射が苦手なのですが、そんな夫に注射針をあえて見せて、「すごい!えらい!」と褒めてもらいながら、なんとか頑張って打ったこともありました。

そして、治療をはじめてから2年後に、妊娠することができたんです。でも不妊治療って、治療期間も内容も本当に人それぞれ。2年というのは、早く授かれた方なんじゃないかと思いますね。

赤ちゃんができるように、神頼みしていた時期。

――仕事をしながら治療をされていたんですね。赤ちゃんがたくさん来店する環境では、辛い気持ちもあったのではないですか?

夢眠:お店には赤ちゃん連れのお客さんがたくさんいらっしゃるのですが、不妊治療をしているお客さんも実は多いんです。それに、わざわざ言わないだけで治療して授かった方もたくさん。私自身が治療をしていることは、世間には公表していなかったのですが、お店では雑談の中で話をしていました。お客さんともお互いに治療について打ち明けるようになって、「自分一人じゃない、治療をして頑張っている人がまわりにたくさんいるんだ」と知ってからは、気持ちが楽になりましたね。これがもし、誰にも言えずに一人で抱えていたとしたら、すごく辛かったと思います。あとは、治療に関する情報交換ができるのもよかったですね。

そして、不妊治療をしていたお客さんが無事に授かったら、心からお祝いできる関係性ができていたんです。誰かが妊娠するたびに「力を分けて〜!」と励まし合って、みんなで前向きに頑張っていました。

お客さんの赤ちゃんたちを見ても、悲しい悔しいみたいな気持ちにはならなくて、抱え込まない環境のおかげで「それとこれとは別」と、頭の中で整理できていたんだと思います。

実はその頃、不妊治療用に作った匿名のTwitter(現X)アカウントでも弱音を吐き出していて。顔も名前も知らない、ネット上の治療仲間たちの存在も心の支えになりました。辛い結果が続くと、「自分だけが辛いんじゃないか」とついつい思ってしまうんですが、Twitterの投稿を見ていると、治療をしている人ってめちゃくちゃたくさんいるんだなって。そういうのが目に見えると、自分も頑張ろうと安心できましたね。

――ご主人は治療中に、どんな声掛けをしてくれましたか?

夢眠:息子が産まれた直後に、「すっごくうれしい!本当は、めちゃくちゃ子どもが欲しかったんだ」とポロッと私に言ったんです。今まで、一度も聞いたことのなかった言葉でした。不妊治療をしている間は、「子どもを授かれなくても、二人で暮らしていければ楽しいからさ」と言ってくれていたんですが、多分、私にプレッシャーをかけないようにしていたんですね。息子が無事に産まれて、はじめて知った夫の本当の気持ちでした。

もともと、結婚の話が出たときに、「子どもができづらい身体かもしれない」ということは夫に伝えていました。そのときには、「自分も年上だし、これは二人の問題だから」と言ってくれたのですが、当時はまだあっけらかんとしていて。夫は励ましのつもりで「大丈夫、できるできる」と言ってくれたのですが、私が、「できるできるって言わないでほしい」と言い返したことがありました。その瞬間からずっと、私の気持ちを一緒に抱えてくれていたんだと思います。

写真提供/夢眠ねむさん、取材・文/内田あり、たまひよONLINE編集部

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年3月の情報で、現在と異なる場合があります。

<プロフィール> 夢眠ねむさん

書店店主、キャラクタープロデューサー。2009年に女性アイドルユニット『でんぱ組.inc』に加入し、グループ活動のかたわら、映像制作やコラム執筆、作詞を行うなど多方面で活躍。2019年にグループを卒業して芸能界を引退し、同年7月には書店『夢眠書店』を東京・下北沢にオープン。さらに同年12月には、お笑い芸人・バカリズムさんと結婚。

『夢眠書店』のInstagramアカウント

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