安室奈美恵だけじゃない!ジャネット・ジャクソンが【90年代 J-POP】に与えた多大なる影響  本日3月20日、来日公演の最終日を迎えるジャネット・ジャクソン

レディー・ガガ、ビヨンセらが引き継いだジャネット・ジャクソンのメッセージ

2024年3月、5年ぶりの来日公演を果たすジャネット・ジャクソン。1990年の初来日から通算7度目の来日となる彼女は、頭抜けた歌唱力はもちろんのこと、そのダンススキルの高さで、90年代以降のヒップホップ、R&Bシーンをポップ化してきた。

ジャネット・ジャクソンが世界のポップシーンに与えた影響の大きさは、多岐にわたっている。音楽で人種問題を含む社会的メッセージを積極的に発信していくスタイルは、その後のレディー・ガガ、ビヨンセ、アリアナ・グランデ、ジャネール・モネイといった女性アーティストに引き継がれ、さらに、自身のステージ・パフォーマンスやミュージック・ビデオでは、多くの若手ダンサーを起用、ダンスミュージックをポップミュージックの主流に押し上げた。現在まで続くEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)の隆盛は、ジャネットの活躍がベースになっているのである。

先鋭的なサウンドで一気に熱い注目を浴びた「コントロール」

振り返れば、その端緒となったアルバムは、1986年の通算3作目『コントロール』だろう。当時、気鋭のプロデューサーチームであったジャム&ルイスと組み、先鋭的なサウンドで一気に熱い注目を浴びた。このアルバムからのシングルカットは、初の全米ナンバーワンを獲得した「あなたを想うとき」(When I Think of You)や「恋するティーンエイジャー」(What Have You Done for Me Lately)がある。また、「ナスティ」のミュージックビデオに出演し、同時に振り付けを手がけたポーラ・アブドゥルは一躍注目を集め、トップ振付師として活躍することになり、88年にはアルバム『Forever Your Girl』でデビューも果たした。

続く89年にリリースされた4作目のアルバム『リズム・ネイション1814』では、ニュージャックスウィング、エレクトロ、インダストリアルといったサウンドを加え、新たなポップミュージックの地平を開き、一気に時代の頂点に立った。貧困や人種差別といった社会問題を前面に打ち出し、特に「リズム・ネイション」では、スライ&ザ・ファミリー・ストーン「サンキュー」のベースラインをサンプリングし、サウンドと両面でメッセージ性を追求している。このアルバムは前作以上のセールスを記録、「リズム・ネイション」の他にも「エスカペイド」といった大ヒットを世に送り出している。

93年にリリースしたアルバム『ジャネット』は、全世界で1,400万枚以上を売り、ジャネットの中でも最高セールスを記録するアルバムとなり、その存在は一気に大衆化していった。この作品もジャム&ルイスのプロデュースだが、ここで彼女は前年、メアリー・J・ブライジによってトレンドとなった、ヒップホップソウルのスタイルも取り入れることになった。 そして、ジャネットのこの時期の活躍が、日本の女性アーティストたちに多大な影響を与えているのだ。

安室奈美恵に多大な影響を与えたジャネット・ジャクソン

日本でもっともジャネットの影響下にあったアーティストといえば、安室奈美恵であることは誰もが思うところ。かつて安室は、歌と踊りに対して興味を持たせてくれたアーティストとしてジャネットの名前をあげている。これは2018年の引退直前にインタビューで語ったものだが、彼女が沖縄アクターズスクールに入り、初めてジャネットのミュージックビデオを見て衝撃を受け、10代の自分が初めて目標・希望を持てたと語っている。

小室哲哉が制作した95年のアルバム『SWEET 19 BLUES』は、すでにジャネットの楽曲面での影響が見られるが、それが如実になったのは、小室哲哉との蜜月を終え、独り立ちした安室の第1作として2003年にリリースされた『STYLE』だ。本作リリースの前には、ラッパーのVERBAL(m-flo)、今井了介らを中心に、安室をメインボーカルにした “SUITE CHIC” というクリエイタープロジェクトによるアルバム『WHEN POP HITS THE FAN』をリリース。

新たなクリエイターと組むことにより、”ジャネット・ジャクソン化” はさらに加速。クラブミュージックを取り込んだその音楽性に加え、パフォーマンスもシャープでキレのあるヒップホップ系のダンスへと変貌を果たした。そのベースには間違いなく「リズム・ネイション」のミュージックビデオの存在があったと言えるだろう。思えば安室のミリタリー風の衣装にも、ジャネットの影響が伺える。安室のこの変貌は、当初はなかなか受け入れられず、セールス面でも苦戦したが、次第にその先鋭的な音楽性がJ-POPシーンに定着していった。

安室と並んで沖縄アクターズスクール出身のSPEEDもまた、ジャネットの影響下にあったと言われる。「Body&Soul」や「Go!Go!Heaven」といったハイテンションな楽曲や、ファンクを取り入れた「Wake Me Up!」といったナンバーでハードに歌い踊る姿は、そのダンススキルの高さも含め、安室奈美恵同様、ジャネットの存在がなければ生まれなかったものだろう。

安室奈美恵やSPEEDが目標とするジャネットの存在

日本のダンスミュージックの歴史を辿ると、70年代後半に西城秀樹やピンク・レディー、田原俊彦らによる洋楽ディスコのカバーや、ディスコサウンドを取り込んだダンサブルなヒットが生まれた。80年代後半には、ユーロビートが日本でも人気となり、「ダンシング・ヒーロー」の大ヒットを飛ばした荻野目洋子を筆頭に、少年隊、長山洋子、中山美穂、Winkといったアイドルたちがこぞってユーロビートをカバーしたり、和製ユーロビートを歌い踊った。

この流れが、次第に日本のポップスのテンポを加速化させていき、ダンスミュージックが歌謡曲へと定着していく。90年代に突入すると、一層そのスピード感はアップしていき、それに付随して、更なるハイテンポなダンスを踊れるパフォーマーとして登場したのが安室奈美恵やSPEEDであった。そこには彼女たちの目標とする、ジャネット・ジャクソンの存在が大きかったのである。

宇多田ヒカルのグルーヴ感は、ジャネットからの影響

加えて、90年代終盤に起きたディーヴァ・ブーム。このムーヴメントの牽引車となったのは宇多田ヒカルであるが、『ジャネット・ジャクソンと80’sディーバたち』(星海社新書)の著書もあるアーティスト西寺郷太は、99年の宇多田のデビュー曲「Automatic」を聴いて、ジャネット・ジャクソンの新曲か? と感じたそうで、その理由はグルーヴ感や響きの心地良さにあったという。

90年代女性R&Bシンガーの系譜には、ホイットニー・ヒューストンに代表される抜群の歌唱力で聴き手をうならせる正統派の他に、ジャネットの如く、ビートに心地よく寄り添う、ウィスパーボイスのボーカルの2系統があり、宇多田ヒカルは後者だと語っていた。その歌唱法と曲調、サウンド面での革新には、ジャネットからの影響が強く出ているのだ。

宇多田ヒカルは99年に4枚目のシングル「Addicated To You」と、翌年の5枚目「Wait&See〜リスク〜」で、ジャネットのプロデューサーであるジャム&ルイスにプロデュースを依頼。それもジャネットのアルバム制作と同じく、ミネアポリスにある彼らのスタジオで、互いにアイデアを出しながら合宿生活のような形で楽曲を作り上げていったという。

当然、宇多田以降に現れた幾多の和製R&Bの歌姫たちには、その歌唱法やサウンド面の構築において、直接的あるいは間接的にジャネットからの影響が見られる。具体的にはジャネットの「ゴー・ディープ」のMVに出演を果たしたAIや、クリスタル・ケイ、Doubleといったディーヴァたちだ。

90年代J-POPの隆盛に大きな足跡を残した、ジャネット・ジャクソン

他にも、ジャネットは意外な日本人アーティストにも影響を与えた。例えば松任谷由実の90年作『天国のドア』の1曲目に収録されている「Miss BROADCAST」は、おそらくはアレンジの松任谷正隆がジャネットの「エスカペイド」を意識したサウンドを構築。

同時期にはDREAMS COME TRUEが「APPROACH」(89年)で、ジャネットの「あなたを想うとき」(When I Think of You)を意識した楽曲を書いている。また、NOKKOが94年に発表した「人魚」は、作曲の筒美京平の曲想は、ジャネットの「アゲイン」からだと思われる。この「人魚」はのちに安室奈美恵もカバーしていることにも触れておきたい。

そして、ジャネットが2000年にリリースし、彼女のシングルでは日本で最大のセールスを記録した「ダズント・リアリー・マター」は、翌年に島谷ひとみが「パピヨン〜papillon〜」としてカバーしている。このようにジャネットが80年代後半から90年代に放った作品群は、洋楽のJ-POP化において、一定の影響力を持っていたことがわかる。

さらにはK-POPへの影響まで語り出すとキリがない。90年代J-POPの隆盛に大きな足跡を残したジャネット・ジャクソン。その楽曲群を今改めて聴いてみると、新たな発見がいくつもあるはずである。

カタリベ: 馬飼野元宏

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