『マンハッタン』NYを象徴する「絵」、そして時代とともに変わる評価

『マンハッタン』あらすじ

マンハッタンに住む42歳のアイザック・デービス。2度の結婚を経験している彼の現在の恋人は17歳のトレイシー。ある日、俗物的なジャーナリスト・メリーと出会い恋に落ちたアイザックは、トレイシーと別れてメリーと付き合い始めるが、彼女は親友の愛人だった…。

モノクロでとらえた幻想的な明け方のシーン


一本の映画を思い出す時、ひとつの「絵」が瞬時に頭にイメージされることがある。その多くは、強烈なインパクトを残すワンシーンや、ポスターやチラシで使われるメインビジュアルなのだが、それがいかに作品全体を象徴しているか、またいかに美しいかによって、記憶としての残り方も変わってくる。

ウディ・アレン監督の『マンハッタン』(79)にも、象徴的な「絵」が存在する。川沿いのベンチに座った男女を背後からとらえ、彼らの頭上に大きな橋が少しかすんで写る。ちょっとモヤがかかったようなモノクロの風景は幻想的で哀感も漂う。この「絵」は、映画『マンハッタン』を象徴しているだけでなく、舞台となったニューヨーク、マンハッタンの魅力を凝縮したようでもある。

この『マンハッタン』の橋とベンチの構図は、実際にニューヨークを舞台にした映画で引用され、たとえば2024年のアカデミー賞で長編アニメーション賞にノミネートされた『ロボット・ドリームズ』でも、一瞬だがこの構図が使われた。それほどまでにニューヨークといえばこの風景、なのである。

『マンハッタン』予告

映画『マンハッタン』でのこのシーンは、ウディ・アレン演じるアイザックと、ダイアン・キートン演じるメリーが、夜のニューヨークをそぞろ歩き、明け方にベンチに座っているという設定。撮影場所は、マンハッタンの57丁目の東端、サットン・プレイスにあるリバービュー・テラスだ。クイーンズボロ橋を見上げる小さな私有道である。実際に撮影が行われたのも午前5時。クイーンズボロ橋は夜には二重のネックレス状のライトが点灯し、夜が明けると消えるのだが、撮影クルーはニューヨーク市に掛け合って、撮影終了まで点灯してもらう手筈を整えた。しかし本番では二重のうち1本が消えてしまい、アレンはそのカットを使うしかなかった。しかし、少なめのライトによってむしろ幻想的なムードが増したともいえる。2人が座るベンチは、撮影のために持ち込まれた。こうして映画史に残る「絵」は完成したのである。

リバービュー・テラスは『マンハッタン』を観た人にとって“聖地”となったが、タイトルが示すように、この作品はニューヨーク、マンハッタンの魅力を凝縮した一作である。ジョージ・ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」が流れるオープニングで、ニューヨークの名所が次々と登場する。ウディ・アレンの監督作の中でも、このオープニングほどニューヨーク愛を詰め込んだシーンは稀で、しかもモノクロなのでノスタルジックな輝きを放つ。その他にもロケ地としては、人気デパートのブルーミングデールズ、ロシアンティールーム、近代美術館(MOMA)から、アレン自身がお気に入りのイタリアン・レストラン「エレインズ」まで数々の名所が使われつつ、その場所がどこなのか、あからさまに誇示されず、全体としてニューヨークの雰囲気を醸し出すあたりが粋である。しかも時代を経て観ることで、70年代の古き佳き街の空気に浸ることができる。

42歳の男と17歳の少女の恋愛関係


このように時代を経て観ることで、印象が変わるのも映画の特質である。しかし『マンハッタン』の場合は、時を経ることで、もうひとつの“変化”を起こす。その後のウディ・アレンの人生を考えたとき、冷静には観られない作品になってしまったのだ。

TV番組の脚本家である42歳のアイザック(ウディ・アレン)は、17歳の高校生トレーシー(マリエル・ヘミングウェイ)が恋人で、同棲生活を送っている。そこに編集者メリー(ダイアン・キートン)と惹かれ合っていくドラマ、同性の恋人ができた前妻(メリル・ストリープ)との関係などが絡み合う、きれいな表現を使えば「大人のラブストーリー」ではある。しかしアイザックとトレーシーがひとつのベッドで慈しみ合うなど、現在の感覚からするとかなり危うい描写があるのも事実だ。

このアイザックとトレーシーの関係は、ウディ・アレンの私生活がヒントになっており、そこも冷静に観られない一因だろう。『マンハッタン』の2つ前の作品でアカデミー賞作品賞受賞の『アニー・ホール』(77)の際、オーディションに来た高校生のステイシー・ネルキンに、ウディ・アレンは魅せられた。彼女のためのシーンは本編でカットされることになるが、当時41歳のアレンは、17歳のステイシーと交際を始める。彼女も本気になり、肉体関係もあったという。この年齢差のある恋愛実体験が『マンハッタン』のモチーフとなった。

『マンハッタン』(c)Photofest / Getty Images

アレンがトレーシー役をオファーしたのは、文豪アーネスト・ヘミングウェイの孫娘である当時17歳のマリエル・ヘミングウェイ。姉のマーゴ・ヘミングウェイが主演した『リップスティック』(76)に、妹のマリエルも出演しており、それを観ていたアレンが本作に最適だと感じた。結果的にマリエルは、演技の経験がわずかだったにもかかわらず、『マンハッタン』でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされる。それだけアレンの目は確かだったわけだが、撮影後、アレンはマリエルをプライベートのパリ旅行に誘うなど、真剣に彼女に惹かれていたようである(その旅行は実現せず、恋愛関係にはならなかった)。ちなみにマリエルがノミネートされた助演女優賞を受賞したのは、『マンハッタン』にも出演したメリル・ストリープ。『クレイマー、クレイマー』(79)での受賞だが、この2作でのストリープの役どころには共通点も多い。

この一連の流れと『マンハッタン』の物語は、後にウディ・アレンが養女のスン=イーと結ばれたことを知って振り返ると、じつに生々しく感じられる。しかし公開当時は、アレンが『アニー・ホール』に続いて傑作を撮ったと高く評価され(その間の『インテリア』(78)は賛否両論だった)、主人公と10代の少女との恋愛に関しても多くの観客はすんなりと受け入れていた。それも“時代”なのだろう。「ラプソディ・イン・ブルー」をはじめ、ジョージ・ガーシュインの名曲だけを使ってストーリーに鮮やかに当てはめた構成や、名カメラマン、ゴードン・ウィリスのあまりに美しいモノクロ映像などによって、映画芸術として絶賛されたのだ。

後になって深い意味を感じる偶然のリンク


『マンハッタン』の直前の1978年、ミア・ファローが養子として迎え入れたのがスン=イーで、ファローとアレンが私生活のパートナーとなった後、アレンはスン=イーが21歳の時に肉体関係を持ち、彼女との結婚に至る。さらにファローとアレンの養女で、当時7歳だったディランに対して、アレンが性的虐待を行なっていた疑惑が持ち上がり、一大スキャンダルへと発展。この一連の騒動も、『マンハッタン』を冷静に受け止められない要因を作った。ディランの事件に関してアレンは無罪となったものの、2017年、ハーヴェイ・ワインスタインの性加害問題によって、アレンの過去が再び話題になり、ファロー側との対立でドキュメンタリーが作られるほどになった。アレンの新作がアメリカで公開できない事態にも発展する。

また、ミア・ファローと『マンハッタン』の関係でいえば、同作に惚れ込んだファローが、アレンに熱烈なラブコールを送ったことが有名。それをアレンも受け入れ、以降、ファローを主演に迎えた作品を撮るようになる。『マンハッタン』には、短い登場ながらファローの姉、ティサ・ファローが出演している。アイザックらとパーティで芸術談義をする一人で、セリフもある役だ。ミア・ファローにしてみれば、姉に先を越された思いもあったのかもしれない。

『マンハッタン』(c)Photofest / Getty Images

また劇中でアイザックがフランク・シナトラを敬愛するセリフが出てくるが、シナトラがミア・ファローの最初の夫だったというのも、今となっては皮肉だ。さらにファローの2番目の夫で、スン・イーの父親でもあるのが名指揮者のアンドレ・プレヴィンで、『マンハッタン』のオープニングで使われた「ラプソディ・イン・ブルー」は、プレヴィンが指揮したバージョンもよく知られ、これもちょっとした偶然である。

このように考えれば、『マンハッタン』という作品は、そのものの評価を超えて、ウディ・アレンという映画作家の人生に、さまざまな点で影響を与えたものであることがよくわかる。それも今こうして振り返れば理解できるわけで、映画というものが歳月とともに印象を変える芸術であることを改めて痛感する。

文:斉藤博昭

1997年にフリーとなり、映画誌、劇場パンフレット、映画サイトなどさまざまな媒体に映画レビュー、インタビュー記事を寄稿。Yahoo!ニュースでコラムを随時更新中。クリティックス・チョイス・アワードに投票する同協会(CCA)会員。

今すぐ観る

作品情報を見る

(c)Photofest / Getty Images

© 太陽企画株式会社