症状は同じでも居住地域が違うから救済対象外…「腹立たしい。認められるまで闘う」 水俣病国賠訴訟 22日熊本地裁で判決

線引きの不当性を訴える冨田春男さん=2月、熊本県水俣市

 水俣病特措法に基づく救済策の対象外となった人が、国などに損害賠償を求めた集団訴訟は熊本地裁で22日に判決を迎える。原告の一人で鹿児島県阿久根市出身の冨田春男さん(69)=出水市美原町=は手足のしびれといった症状を抱えながら、居住歴の条件を満たさないとされた。「何を根拠に救済地域を線引きしたのか。腹立たしい」。提訴から11年。水俣病と認めてもらうことを切望し、声を上げ続けてきた。

 阿久根市折口の出身。行商人がリヤカーを引き、水俣産の魚を売って回っていたのを覚えている。母親は毎日のように買い、食卓に魚が並んでいた。高校を卒業して兵庫県で就職し、その後は出水市などでトラック運転手として働いた。

 40代から手足の感覚に違和感が出始め、足がつったり、つまずいたりするようになった。48歳の頃は症状が頻繁に現れ、足がつる痛みで運転を中断したこともあった。「水俣病かも」と自覚した。

 特措法で一時金などを受けた同郷の友人の勧めで、2010年に同法の救済策に申請した。しかし結果は「非該当」。通知には「水俣湾か周辺の魚介類の入手が確認できなかったため」と記載されていた。

 特措法は救済地域を「線引き」し、メチル水銀が排出された不知火海(八代海)沿岸の熊本県水俣市や出水市など9市町の一部に限定。阿久根市では不知火海に面する脇本地区と認定患者が出た赤瀬川地区が対象になった一方、冨田さんが生まれ育った折口地区は外されていた。

 「友人と症状は同じなのに、なぜだ。悔しくてたまらない」。13年、第2陣の原告として熊本訴訟に参加した。症状で体が強烈に痛む中での集会参加は苦労したが、原告を代表して裁判への思いを訴えてきた。「裁判が長引き、途中で辞めようと思ったこともあった。支援者のおかげで続けられた」と感謝する。

 弁護団は原告全1400人のほかにも、潜在的な被害者は少なくないとみる。冨田さんは「そうした人たちのためにも敗訴はありえない。水俣病と認められるまで闘う」と力を込めた。

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