80年代エモいアイドル再評価【渡辺桂子】キャッチフレーズは “お友達にしてくれませんか”  80年代エモいアイドル再評価!第1回は渡辺桂子が登場!

リレー連載【80年代エモいアイドル再評価】vol.1〜 渡辺桂子

「H-i-r-o-s-h-i」で華々しくデビューした渡辺桂子

「全国のヒロシくん、お待たせいたしました!」

といきなりノタまったところで「なんのこっちゃ」の声多数か? しかも、今から遡ること40年も前に活躍したアイドルのことを書き連ねようとしているのだから、詳しい説明キボンヌになるのは明らかなところでアリマシテ。また、今回が初陣となる新企画、“80年代エモいアイドル再評価” のこけら落としを担うのであるからして、きちんとせねばならんのはなおさらのことなのである。

さて、冒頭にて日本全国に多数存在しているであろうヒロシという名の男性諸君にお呼びかけした理由とは、その名前をタイトルに宛がった「H-i-r-o-s-h-i」で1984年3月に華々しくデビューした渡辺桂子(以下、桂子嬢)についての云々を熱く語らせていただきたいからなのである。が、時は流れて令和の世となり、ここまで読んだところで「知らんけど」になっている方がいるかもしれないため、桂子嬢のプロフィールをサラっとご紹介させていただく。

▶ 本名:渡部桂子 ▶ 生年月日:昭和41年11月7日 ▶ 出生地:大阪府生野区 ▶ 家族構成:両親 ▶ 身長:154センチ ▶ B W H:78センチ、57センチ、80センチ ▶ 趣味:ぬいぐるみ集め ▶ スポーツ:バドミントン、テニス ▶ 好きな色:白、赤、黒、サーモンピンク ▶ 尊敬する人:父 ▶ お金があったらどうする?:世界一周旅行 ▶ 行きたいところ:ヨーロッパ ▶ 許せない人間とは?:ウソをつく人

ナニワのド根性娘はやる気マンマン

幼少時からアイドルへの憧れは抱いていたものの、それは多数が夢見るような漠然としたものだった。が、その意思が明白となったのが高校に入学した頃のことだそうな。担任の先生に進路について聞かれた際には、「歌手になりたいです」とキッパリ。すでにやる気マンマン化していた桂子嬢は各オーディションにも果敢に挑むことになった。

1982年の『ホリプロタレントスカウトキャラバン』の第7回大会においては審査員特別賞を得たものの優勝は逃すハメに(本大会の優勝者:大沢逸美)。これに落胆することなく続けざまに挑んだのが、勝ち抜き制としてルール変更が成されていた『スター誕生!』。が、ここでもあえなく4週目で不合格をくらい、またしてもアイドル道は絶たれてしまうのだった。

かつては隆盛を誇った『スター誕生!』も迷走期に入り、テコ入れとして採用の勝ち抜き制なる形式になったことでの災いと言えようか。旧制度(スカウト形式)であれば必ず合格となっていたであろうよ… それくらいに可愛さはひときわ目立っていた桂子嬢だったのである。

が、努力を惜しまない者には神のご加護が与えられるもの。その『スター誕生!』を観ていたゴールデンミュージックの社長サンから直々にスカウトという朗報が!ここでようやくアイドルデビューの道がガバっと開き、ナニワのド根性娘による絶えまぬ努力が実ったのである。

テイチクが社運を賭けた!アイドル候補生

そして、いよいよ同じゴールデンミュージック所属だった柏原芳恵の妹分としてデビューが決まる。妹云々という割に、この2人に接点らしきものが感じられなかったのは、いわゆるオトナの事情というヤツか?(苦笑)

レコード会社はテイチク… ここは演歌部門で名を馳せた社だったが、82年度の北原佐和子嬢、83年度の大沢逸美嬢とアイドル歌謡にも力を入れ始め、それに続いたのが桂子嬢だった。レコードに色を付け、レコジャケは豪華な三つ折りピンナップ仕様にしたり、かねてから新人歌手のシングルレコードにおけるオマケの豪華さで1、2を争ったのがテイチクだ。桂子嬢の売り出しについても同じように注力してくれたのは言うまでもない。なにせ、ホリプロの前述オーディションや『スター誕生!』での実績もあった金の卵なんだもの… アイドル候補生として期待された女の子だったのだから力も入ってしまうというワケよ。キャッチフレーズは “お友達にしてくれませんか” 。期待の新人歌手がデビューするに相応しい初々しさで満載だ。そして、レコード購入の先着50,000名様には…

▶︎素敵なピクチャー・レーベル&真っ赤なレコード盤

▶︎カレンダー・ピンナップが付いた豪華なレコジャケ

▶︎桂子と遊べる “お友達シール”

豪華特典のてんこ盛り。陣営が自ら「素敵な」と銘打つくらいだから、それなりに自信マンマンの一品だったということでオーケー? これらに加え…

▶︎「KEIKOフレンドリー・コンサート~お友達にしてくれませんか~」開催

そして、歌手デビューを記念するミニコンサートを全国津々浦々で開催。このコンサートを観たいという諸君は3月21日のデビュー日にレコードを買うべし!そしたらその場で入場整理券と握手券をあげちゃう… といった、上記の豪華特典と絡め二段がまえ方式にしてみせたテイチクはなかなか頑張ったと言える。

桂子のく・ち・び・る はハートの形♡赤道直下型!

桂子嬢のチャームポイントと言えば、なんといってもハートの形をした “く・ち・び・る” 。これにより、フェロモンがモワモワ状態なのは言うまでもなく。まさしく赤道直下型と言わんばかりのホットな厚みでアリマシテ。巷では「オバケのQ太郎の妹、P子みたい⁉」なる噂もチラホラ耳にした気もするが、至高のチャームポイントであることは明白であり、神から贈られた 『グレイトギフト』に他ならないのである。

超A級アイドル並み!?こなれたステージングと立ち振る舞い

優れていたのはビジュアルだけじゃない… ステージングや立ち振る舞いについても目を見張るものがあったのだ。アイドルに憧れていただけあってか、夜な夜な研究に勤しんだ賜物なのかと思われるのが、とにかく仕草そのものが堂に入っており、ぽっと出の新人アイドルとは一線を画していたのが特徴。

例えば音楽賞番組にて受賞した際、花束を受け取る際に膝をカクンと柔らかに曲げて魅せる仕草など… 超A級アイドル並みとも言えるポテンシャルの高さも桂子嬢の持ち味のひとつだった。「ジリ貧なレコード売上とそぐわない!?」なんて陰口は蹴散らしてしまえ~なのである。

デビュー曲はスマッシュヒットしたものの…失速の敗因とは?

デビュー曲「H-i-r-o-s-h-i」はオリコン最高25位、5.9万枚を売り上げ、新人アイドルの船出としては好スタート。TBS『ザ・ベストテン』のスポットライトに早々と登場、福岡から中継されたことで桂子嬢の名前も世間に大きく轟いた。続く「赤道直下型の誘惑」は最高32位、「㐧Ⅱ少女期」は最高40位… と、いずれもトップ50に送り込んだものの、売上は右肩下がりの「♪ちょっと待って急降下~」デビュー時の勢いは明らかに失われていったのである。

アイドル売り出しにおいてはイマイチ不慣れなテイチクだったから? というご意見もチラホラ見受けられるが、筆者としてはセカンドシングルで伸びきらなかった路線をサードでも続けてしまったことが敗因ではなかろうかと考える。楽曲が悪いワケでもなんでもない… おそらく大多数は桂子嬢にデビュー曲のような路線を求めていたのでは? という思案を巡らせてしまうのだ。同社は82年度の北原佐和子の売り出し時においても似通ったすっぱい失敗をやらかしたが、84年度の桂子嬢でも繰り返してしまったことで反省会を開催? その翌年に同社からデビューさせた芳本美代子に活かしていったのである。

そしてデビュー2年目、慌てふためいたようにデビュー曲の延長線上「恋人白書」を発売して気を吐いた桂子嬢だったが、一度翳ってしまった人気が再燃することはなかった。テコ入れ策として、大映制作のドラマ『乳姉妹』に出演が決まったのは朗報だったのだが…。

 春の暴風雨(あらし)の その夜中  二人の嬰児(みどりご)生まれたり  同じ海辺の その里に  一人は広き 別荘に  一人は狭き 賤(しず)が家(や)に

ⓒTBS

真鶴を舞台に描く物語で、先の同枠ドラマにて類まれな演技力を見せた伊藤かずえとのW主演というフレコミだった。これには大きな期待が寄せられたものの、フタを開けてみたら事実上の主演は伊藤かずえになっていたという… トホホ。

その後は色々あって「グッバイ・ガール」… アイドル・渡辺桂子としての活動を終えてしまうのだった。

と、なんやかんや書いてはみたものの、桂子嬢を想う気持ちは40年という歳月が経過したところで全く変わらず、『好きやねんけどどうやろか』。ここからいよいよ盛り上がって討論会へご突入!といった流れに違いないのだが終わるんすかぁ? 字数を気にしつつモヤモヤしながらも本コラムをやむを得ずシメさせていただきたいと思うのであ~る。

カタリベ: チェリー|昭和TVワンダーランド

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