大正時代を描く物語に新たな秀作誕生 浅草オペラの世界を伝える『浅草蜃気楼オペラ』演劇への熱き想い

大正時代を舞台にした小説が増加している。一番の原因は、大ヒット漫画『鬼滅の刃』及び、それを原作にしたアニメの影響だろう。作品の人気が高まると共に、舞台になっている大正時代も注目されるようになった。とはいえ過去にも大正ブームが起こったことがあるので、時代そのものが強い訴求力を持っているといっていい。

ではなぜ、大正時代が持て囃されるのか。幾つか理由があるが、ひとつ挙げるならば、都市部を中心にさまざまな文化が花開いたことだろう。その中に、本書の題材になっている“浅草オペラ”もあるのだ。作者の乾緑郎は、ミステリー・時代小説・SFなど、多彩なエンターテインメント作品を発表している小説家だが、実はもうひとつの顔がある。若い頃から演劇を志し、小劇場を中心に、俳優をしたり、演劇や舞台の脚本を手掛けていたのである。演劇方面の活動の一端は、劇作家協会新人戯曲賞最終候補作「ソリテュード」が収録されている戯曲集『ドライドックNo.8』で、知ることができる。本書は、そうした経歴を持つ作者の、演劇に対する想いが託された物語となっているのだ。

主人公の山岸妙子は、甲府の豪農の娘だ。高等女学校を卒業した彼女は、父親に反対されながらも上京。叔母の片桐芙美の家で世話になりながら、「帝国劇場洋劇部」に入団する。とはいえドン臭いところのある妙子は、端役が精々だ。指導の厳しいイタリア人演出家のヴィリトリオ・ローシーに、怒られることもある。その後、「帝国劇場洋劇部」が解散になると、ローシーが私財を投げ打って開設した「赤坂ローヤル館」に移る。といっても、やはりなかなか芽が出ない。

そんな妙子が、ローヤル館に父親と一緒に出ていた演歌師の須貝ハルと再会する。ハルのヴァイオリンの音に魅せられた妙子は、彼女と友達になった。そしてふたりは人生を交錯させながら、浅草オペラの世界で生きていくのだった。

本書は、プロローグとエピローグを除き、全三章で構成されている。第一章のラストで衝撃的な事件が起こり、妙子は甲府に帰ることになる。しかし父親と衝突し、再び上京。旧知の沢モリノに誘われ、石井獏たちが旗揚げした「東京歌劇座」に参加する。また、ハルと再会して一緒に暮らすようになる。このような展開だと、以後、妙子とハルが同じ歌劇団で奮闘するという流れになると思うが、ふたりは別々に活動。この展開がクライマックスを盛り上げるのだが、それは読んでのお楽しみだ。

こうしたストーリー上の企みとは別に、ふたりの扱いには、もうひとつの意図があったように感じられる。大正期の浅草オペラの全体像を捉えることだ。浅草オペラとは、浅草を中心に流行したオペラやオペレッタのことだが、かなり人材の流動や離散集合が激しかったらしく、全体像が見えづらい。事実、妙子も、何度も所属先を変えている。そのような複雑怪奇な状況を、ふたりを別々に動かすことで、幅広く描こうとしたのではなかろうか。

もちろん妙子とハルだけではない。本書には実在の人物が、次々と登場する。浅草オペラの立役者のひとりである高木徳子。ローシーに見いだされた田山力三。後に、ミラノのスカラ座の専属になる原信子。先に触れた、沢モリノと石井獏。他にもたくさんの実在人物が、生き生きと躍動し、浅草オペラの世界を読者に伝えてくれるのだ。

なかでも田谷力三の描き方は、注目すべきものがある。妙子やハルと仲良くなり、人気者になってもその関係を続ける力三。淡い三角関係も含め、本書は三人の青春の記録にもなっているのだ。浅草オペラの時代を、虚実を融合させて活写した秀作なのである。

なお大正時代を舞台にした作品だと、どうしても気になるのが大正十二年(一九二三)に起きた関東大震災の扱いだ。活動写真の台頭という時代の趨勢もあるが、関東大震災によって浅草という拠点が灰燼に帰したことにより、浅草オペラは急速に衰えていく。作者はこれを承知の上で、本書のラストの場面を創り上げた。そこに込められた演劇への熱い想いに、激しく心が揺さぶられるのだ。

(細谷正充)

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