小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=111

 千江子は台所に入ると、着物の上に白いエプロンをつけた。やかんを火にかけ、湯飲みなどをそろえている。生活のやつれの見えない、どちらかと言えば有閑夫人のような女にでも、実生活にはそれなりの苦渋があるものだ。が、表面に出ないのは生まれがいいということなのだろうか。田島の言う昔の公家の子孫でもあるのか、千江子の後姿を追いながら矢野は漠然と考えていた。床の間に飾ってある桔梗が何かを話しかけでもするように、楚楚とこちらに向いて咲いていた。千江子は、しなやかな手つきで茶を注いで矢野にすすめがなら、小卓の横に座り、自分も静かに湯飲みをもちあげた。

 

(三)

 

 高田家には兄が一人いたが、下の四人は女ばかりだった。姉の千江子が幼い頃に負傷して足が少し不自由になったことから、両親は千江子の縁談が遠のくようなことになったら妹たちを不幸にする、といったその頃の家族のしきたりから、年頃になった千江子の縁談に心を砕いていた。千江子にもそれが解っていたので、贅沢を言わず適当に嫁ぐつもりでいた。

 そうしたある日、母方の叔父が一人の青年を連れてきた。先方は百姓だがその青年は次男で軍籍にあるから家を嗣ぐ必要もないし、何よりしっかり者で将来が期待できる、と言った。軍人というものに若い娘が憧れをもった時代でもあった。その日は叔父のすすめで母親と四人で近くの法隆寺に遊んだりして、意気投合した。

 半年ばかり後、二人は結婚した。戦時中のことであり、嫁ぎ先が遠い広島でもあったので披露宴は内輪で済ませた。足が不自由で縁談が遅れると思っていた千江子ちゃんが誰よりも先に結婚した。『あのびっこの虱わかしの千江がなぁ』とか『劣等感からあんな遠いところへ嫁いだのだ』と村の青年たちから嫌がらせの風評を立てられたが、当の千江子は気にすることもなかった。厳格に見えた夫の光秋は思ったより優しかったし、姑たちとの折り合いもよかった。

 だが間もなく召集令状がきて、夫は大陸へ渡った。そして南京攻略、陥落となり、日本国民が勝利の酒杯に酔っていたさなか、光秋の戦死の知らせがきた。千江子はその時妊娠していた。悲嘆に暮れる千江子を家族はこぞって慰めてくれた。やがて千江子が女児を産むと、子供に恵まれなかった義兄夫婦が自分たちの子供として養いたい、と申しでた。千江子が断ると、舅たちまでが、千江子はまだ若いのだから、子供を義兄夫妻に預けて再婚する方が身のためだ、としつこく奨めるようになった。

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