1995年1月の阪神・淡路大震災直後、神戸側から大阪方面に避難した人々や、反対に支援のため被災地入りした人たちが、ともに「武庫川を越えると別世界だった」と語るのを聞いた。武庫川下流は東側が兵庫県尼崎市、対岸は西宮市だ。
私にも心当たりがある。当時は高校生で、尼崎に住んでいた。JR神戸線が大阪側から住吉駅まで復旧した2月だったか。友人宅がある神戸市へ向かった。
西行きの電車が武庫川に架かる鉄橋を渡り、西宮に入る。すると車窓から見える景色が一変した。倒壊した民家やマンション、崩れ落ちた屋根の上にブルーシートがかけられた家々…。
尼崎市内でも多くの人が亡くなり、約5700棟の建物が全壊した。大規模な火災も発生した。
けれど、河川1本を隔てた近さなのに、はるかに広範囲にわたって日常が奪われているように見える。どうやって元に戻すのだろう。とても想像がつかなかったが、土ぼこりが舞う壊れたまちで、大人たちが黙々と復旧作業を進めていた。
部屋がゆがむような激震に襲われた場面に加え、あの日、武庫川を渡った後に見えた光景は、私の震災の記憶として刻まれている。
それから間もなく30年。当時の光景を思い起こしながら、尼崎から電車に乗り、武庫川を渡った。震災後、数え切れないほど見てきた車窓からの風景は、もう見慣れたものになっている。JR西宮駅で降りる。あの日、車窓から見えた場所を歩き始めた。(長嶺麻子)