重鎮ベーシスト、セシル・マクビーが語るアリス・コルトレーン『カーネギー・ホール・コンサート』

最強のメンバー、興奮のセットリスト、これまでのどの作品よりも炸裂しているといっても過言ではない「ピアノ奏者/ハープ奏者としての冴え」。アリス・コルトレーンの歴史的なライヴを収めた『ザ・カーネギー・ホール・コンサート』が本日発売となる。このリリースにちなみ、いまなお第一線に立ち続ける参加メンバーのひとり、ベース奏者のセシル・マクビー(1935年生まれ)が取材に応えてくれた。

——アリス・コルトレーンと知り合ったきっかけを教えてください。

 「1960年代初め、私が音楽院を卒業後、ミシガン州デトロイトに住むようになった時だ。日曜日のジャム・セッションで初めて会ったんだが、彼女のピアノに対するアプローチは、それまで会った誰とも違っていて、落ち着き払っているというか、パーソナルというか、どこか特別だと感じさせた。2〜3年後に私がニューヨークに移り、アルバム『ジャーニー・イン・サッチダーナンダ』(70年録音)に参加してほしいという電話を受けた時にはもう少し社交的になっていたかな。あれは一生忘れられないレコーディングだ。」

<YouTube:Journey In Satchidananda

——タイトル曲における、あなたの強靭なベース・ラインは語り草になっています。

「(アリスの亡夫)ジョン・コルトレーンが建てたスタジオでリハーサルを始めて割とすぐ、アリスから「こういうベース・ラインを弾いて」と言われた。彼女がピアノで弾いたフレーズを、そのままフィンガーボードに置き換えるようにと。だから「ジャーニー~」のベース・ラインは彼女が頭の中で聴き、書いて、私に弾くように指示したものだ。直接、簡潔な言葉で彼女の音楽に対する思いをベース・ラインとの関係で説明されたようで、私としては安心感を覚えたよ。」

 ——その翌年、1971年2月に『ザ・カーネギー・ホール・コンサート』が収録されました。

「カーネギー・ホールのコンサートに参加することになったのも、アリスからの電話だった。言われたのは「リハーサルに来て」ということだけ。会場の名前は出なかった。いざリハーサルに行くと、彼女は自分の表現したいことを実行するため、あのメンバーを集めていた。私は「こんなジェントルマンたちと演奏できるなんて!」と、とても興奮したのを覚えている。

リハーサルをしたのは半日ーー3〜4時間かな。譜面は一切なく、指示は彼女が口で説明するか、ピアノで音を弾いてみせた。譜面があると、音楽はそれに沿おうとするし、ある種の予想が生まれる。だが彼女のアプローチではよりオープンに、自分で選択をして結果を残せる。その場に選ばれたのだという自尊心が、自分らしくやればいいと思える理由にもなったと思う。彼女自身、音楽的なやりとり、作曲やその他のことに関しても、”自分で選び、決められるような個性ある人材”を求めていた。ベース奏者として気づいたのはーーというのも、ハーモニーを支えるのが私の責任なのでーー彼女のサウンドの”分離”が実にユニークだということ。


大抵、鳴っている音以上のトーンがあった。それが音楽の主張や感性にどんな効果をもたらし、影響を与えるのか、自分たちが問われているようだった。私たちは音楽の流れの中、アリス・コルトレーンがクリエイティヴに欲するもの、その要求に応える演奏をしなければならない。捉えどころのないオープンな音楽をやるわけだからね。」

<YouTube:Alice Coltrane - Shiva-Loka (Live at Carnegie Hall, NYC / 1971 / Visualizer)

——予定されていた登場時間は20分だったと聞いていますが、実際は80分近く演奏しています。追加楽曲はステージの上で決めたのでしょうか?

 「当然だ。彼女の音楽に小節線はなく、決まったリズムはない。ただ音楽が自由に流れていく。誰かが何か語り、それに答え、また語る…というように。ミュージシャンそれぞれとしてもグループとしても、自分の選択でそうしなければならない。そうしていくと、時間(time)はどうでも良くなる。物事が解決するまで続けなきゃならない。測定可能な限界がないので、何をもって止めるということがなくなってしまうんだ。そして(カーネギー・ホールの)コンサートが終わると、彼女の姿はもうなかった。音楽が全て、それだけだ。」

 ——カーネギー公演ではジミー・ギャリソンとツイン・ベースで演奏していますが、あなたは他にもリチャード・デイヴィスやスタンリー・クラークとも共演録音を残しています。ベースどうしの“合わせ方”のコツは何ですか?

 「アンドリュー・ヒルのアルバムでリチャードと組んだ時もそうだったが(*65年録音『 コンパルション』)、ベースの音質というのはそもそも低く、時には暗くなりがちだ。なので、もう一人のベーシストの音域や音質を尊重して、彼らを邪魔したり、相殺しないような場所を選ぶんだ。自然に、そして意識的に。もしリチャード、もしくはスタンリーが低いエリアでプレイしていたら、私はより高いエリアで弾くようにする。そうやってお互い、自分の考えやクリエイティヴィティを発揮できるよう、物理的にも精神的にもスペースを空けておく。つまりは同じエリアでプレイするのではなく、相手が低ければこちらは高く、相手が高ければこちらは低くーーということ。そうしないと、相殺してしまい、暗く濁った音になってしまうからね。

自分がどれだけ周りからリスペクトを払われているのか気づかないままニューヨークでセッションをしているうちに、突如聞いたことのないベーシストが登場した。それがスタンリー・クラークだった。正直、自分の思考をフィンガーボードで形作る彼の能力には非常に感心したよ。3年ほど前、ロングアイランドのニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでスタンリーと偶然、再会した。彼は私を見つけると抱きついてきて「こちらはセシル・マクビー、自分がベースを弾くきっかけを作ってくれた人だ」と友達に紹介していたよ。二人でのセッションを振り返ると、確かに彼は私と一緒に弾くことに触発され、ものすごく興奮している様子だったことを思い出すね。」

<YouTube:Compulsion (Rudy Van Gelder Edition/2006 Digital Remaster)

<YouTube:Black Unity

——数えきれないほどのレコーディングに参加していますが、特にお気に入りの作品は?

 「ウェイン・ショーターの『エトセトラ』(65年録音)。アリス・コルトレーンと会ったデトロイトからニューヨークに移った直後の私を選んでくれた最初の偉大なミュージシャンの一人がウェインだった。彼の音楽は当時すでにとても複雑で、譜面があったとしても、それが一体なんなのか、なかなか理解できなかった。それでも音楽を学び、そこそこにいい成績で、才能にもそこそこ恵まれていた私は、持てる限りの能力を駆使してそれを理解し、自分が言うべきことは何か、それだけを考えて演奏した。ウェイン・ショーターという、ある種奇妙で、より高度な音楽環境に置かれたことは、私が成長するための機会だった。なぜなら彼は自分が音楽的に言いたいことを、私の力で解釈しろと託してくれたわけだから。

ウェインと共演した後、自分は一歩上に上がった気がした。また、ハービー・ハンコック、ロイ・ヘインズ、チャールズ・トリヴァーと初めて一緒になったジャッキー・マクリーンのアルバム(*『イッツ・タイム』64年録音)もとても気に入っている。あのアルバムの何曲かは、とても難しくチャレンジングだったからだ。もう1枚のお気に入りはチャールス・ロイド、キース・ジャレット、ジャック・ディジョネットとの『フォレスト・フラワー』(66年録音)。アリス・コルトレーンの作品、あとチャールズ・トリヴァーとスタンリー・カウエル、ジミー・ホップスとのStrata East からのアルバムも好きだ(*70年録音『ミュージック・インク』など)。セシル・マクビーの『オルタネイト・スぺイシズ』(79年発表)もね。」

——最後に、60年以上にわたって第一線に立ち続けている秘訣を教えてください。

「楽器を演奏することが私の生命力だ。私はそれで生かされている。音楽が発するエネルギーはとても尊く、私たちの存在を深く、ダイナミックなものにしてくれる。私はいつも、自分の周囲の人々、人間の創造性、愛、思いやり、自然に敬意を払ってきた。自然が語りかける声に耳を傾け、自然がどう自分と関係するかを忘れなければ、次のステップに進めるチャンスは十分にあるんだ。君のメンタリティが、自分が何者で、人生の今どこにいるのかに敬意を払い、内面的にも外面的にもバランスの取れた敬意ある関係を保てるなら、思う以上に楽しい人生が送れるかもしれないよ。」

2024年2月某日 電話インタビューにて(通訳:丸山京子)

Written By 原田 和典
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【リリース情報】

アリス・コルトレーン AL『ザ・カーネギー・ホール・コンサート』
2024年3月22日(金)発売

https://Alice-Coltrane.lnk.to/TCHC

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