小麦粉の専門家・斎藤ゆかり「パン作りは簡単だと知ってほしい」

2016年に「家庭でも失敗しないパン作り」をテーマにパン講座を開講して話題を呼び、現在はパン教室の講師向けにも教えるなど、まさにパン作りのプロフェッショナルの斎藤ゆかりさん。ニュースクランチ編集部がSNSの総フォロワー約20万人の彼女に、パン作りを志したきっかけなどをインタビューで聞いた。

小麦粉は人間の生活とは切っても切り離せない

シンガポールでの経験が私の人格を形成したと思っています、と語る斎藤さん。彼女の原点を聞いた。

「もともと親が転勤族だったので転校が多かったのですが、小学校4年生の頃に日本からシンガポールに引っ越しをして、そこで価値観を変えられました。当時の日本は、今よりもっと“みんなで協調性を持って”という教育で、逆に言うと“出る杭は打つ”というスタイルだったと思うんです。

でも、シンガポールの学校では、いろいろな人種の生徒が、それぞれの意思を持って生活をしているし、それを尊重してくれる。日常的に多様性に触れている状況で、おのずと他者と同じじゃなくてもいい、という価値観が養われていきました。

当時は絵を描くのが好きだったんですが、今にもつながっていることで言うと、やはり食事や料理が好きでした。うちの母がシンガポールの料理教室に通っていて、料理がとても上手だったので、そのお手伝いをしてました」

斎藤さんのプロフィールを見ると、帰国後、東京農業大学、女子栄養大学卒業後、製粉会社に勤務と書かれている。

「研究職として入社した製粉会社は、新卒で入ったわけではないんです。大卒でそのまま研究職に就くのはかなり狭き門なので。大学時代に“研究職をやってみたい”という強い想いが芽生えたのもあって、まずは総合職で就職して、自分の経験を積もうと考えました。

大学生活で実験の楽しさに目覚めました。正直、大学での自分は真面目な学生ではなかったんですが(笑)。実験が楽しいと気づいたきっかけも、自分からではなくて、実験の授業で友人から“この授業だけ張り切ってるよね”って言われて、“たしかに…!”って(笑)。今になって考えると、自分の中で実験と料理はかなり近しいものだったんだと思います」

大学卒業後、数社の勤務を経て、製粉会社に研究職として入社。計画的に夢を達成した形だ。

「研究職で入社してからは、ただただ実験の毎日だったので、本当に楽しかったですね。小麦粉っていうのは、皆さんが口にしているパンや麺、お菓子などさまざまな食品の原材料なんですよ。でも、成分表には“小麦粉”としか記載されないわけです。

その頃の上司が飲み会で酔っ払った拍子に“うちの会社の小麦粉って知らないで食べてるけど、みんな、ほとんどの日本国民が毎日1回は口にしているんだよね”と言ってたんです。上司がどういう気持ちで言ったかはわからないんですけど、私はそれを聞いて、私たちが研究して検査したものが安心安全な形で消費者の口に届く、すごくやりがいのある仕事だなと思いました」

小麦粉はまさに縁の下の力持ち、といったところだろう。

「小麦粉は人間の生活とは切っても切り離せない、特に日本人にとってはそう。皆さん意外に感じるかもしれませんが、日本のパンの消費量は世界でも10位以内に入るんです。しかも、あんパンやカレーパンなど、日本独自のパンを編み出していますし、食パンも世界的に見ると珍しいものなんです。独自の進化を遂げているのが日本のパンだと思っています」

▲斎藤さんのレシピで作られたパン 撮影:内山めぐみ

「パンが上手に作れない」というLINE

その後、斎藤さんはその製粉会社から独立を果たす。知識を活かして、最初からパン講座を開きたいという気持ちがあったのだろうか。

「正直、今みたいな仕事をやるとは思っていませんでした。今につながるきっかけは、独立後に友人からパン作りの相談を受けたことです。LINEで“パンが上手に作れない、教室にも通っているのに……”という内容で、私が製粉会社に務めてたからくらいの軽い気持ちだったと思うんですけど、私も“どんなふうに教わってパン作りをしているのかな?”と興味を持ったのがはじまりです。

実際に習ったパン作りについて聞いてみたら、先生の教え方がかなり感覚的だということに気づいたんです。私は製粉会社で研究職をやっていたので、どうやって小麦粉からパンになるのか、ということを理論として知っている。でも、パン教室で教えていることは、そのレベルではなかった。家で先生と同じようにパンを作ろうと思っても、再現ができなければ“教えている”にならないですよね」

友人からの相談をきっかけに、パン教室について調べ始めたという。

「多くのパン教室で、感覚的というか曖昧なままの知識が教えられていることがわかりました。さらに、曖昧な知識を習った生徒が新たにパン教室を開いて……まさに負の連鎖となっている。私が取り組んできた品質検査というのは、しっかりとしたエビデンスや結果を求められるし、そうしないと相手を説得できない仕事だったので、曖昧な部分が多いことに気がついたのかもしれません」

そんな状況を目の当たりにした彼女は、「初心者でも失敗しないパン作り」を掲げて教室を開講することにした。

「私がしているのはパン教室の先生に向けての授業です。やはり、生徒の方々に教えても限界があるので、まず先生に教えることにしました。私が活動を始めたのは8年前なんですが、その頃よりもずっと簡単にパンに関する情報に接することができますが、その情報が正しいかどうかは別なんですよね」

洗い物の手間を省きたいなら「しぼりパン」

パン講座を開いて、実際に生徒やフォロワーと接して気づいたことがあるという。

「私自身、思ったこと、感じたことをズバズバ言うタイプなので、生徒さんからは“ここまではっきり言ってくださる方がいなかったので、ありがたいです”と言っていただけます。やはり、今の時代でも料理教室やパン教室は講師も生徒も女性の方が多くて、女性の良いところでもあるとは思うんですが、相手に感覚的にフワッと説明しがちです。

あとは、有名なパン教室の講師の方が受講されたりもしています。自分はパンが好きで人に教えたいと思ったけど、講師のライセンスはお金を払ったら取れてしまうところも多い。いざ講師になったときに、理論や理屈がないと言葉に重みがなくなってしまう、と。そういう方に感謝されると、やっていて良かったなと思います」

彼女には“パン作りの敷居を下げたい”という想いがずっとある。

「私のフォロワーさんって8割~9割が女性。でも、“パンが好き”ということで言うと、男女比率ってそこまで差がないと思うんです。ということは、まだパンを作るという行為が敷居の高いものだと思われている。それはもったいない。

しぼりパンもそうですし、BOXパンもそうですが、少しでもパン作りに挑戦してほしいという気持ちです。たしかに普通にやるとなると面倒かもしれないし、イメージ的に時間がかかると思われがちなんですが、それは発酵時間、置いておく時間、焼いている時間が長いだけで、実際の作業時間っていうのはそこまで長くないんです。本当にシンプルなパンを作るのであれば、作業時間は短いんですよ」

彼女が言ったBOXパンというのは、コンテナの中でぐるぐる混ぜて、少し置いたら、3分チンで完成する、というパン作りの方法だ。

「じつは、しぼりパンのレシピ本を出したのも、BOXパンの本を買ったり、動画を見た方から“もっと洗い物などの手間を省けないでしょうか?”と質問が来たのがきっかけです。

正直、ここまで簡単にしたのに、まだ作る側にはハードルがあるの? という気持ちは少しあったんですが(笑)。でも、たしかに洗い物ってめんどくさいよね~と思って、しぼりパンというスタイルを提示させていただきました。おかげで2冊目のレシピ本につながったので、読者やフォロワーの方々には感謝しています」

▲読者やフォロワーの声から生まれた「しぼりパン」 撮影:内山めぐみ

実際にパンを作った方々からのコメントは励みになるという。

「お子さんを持つ親御さんにお伝えしたいのは、春休みとか夏休みもそうですけど、長期間の休みで献立に悩むとき、しぼりパンとかBOXパンを自由研究感覚でお子さんと作ってみては? 実験的な要素もありますから。そうすると勉強にもなるし、献立1食分が浮きますよ、ということです。

今回、しぼりパンの本を出させていただいてからSNSの反応を見ると“みんな、これを知ればいいのに!”という感想が多いんです。しぼりパンやBOXパンなどの作り方を、日本国民みんなに知っていただくのは夢ではあるんですが、私の中では、もっと簡単にできないか? という試行錯誤を続けています。

実際にパン作りに挑戦してみた方の意見をフィードバックして、もっとパン作りを簡単にできないか。その先には“パン作りは難しい”という固定概念を覆したい、という気持ちがあります」

もっと気軽に多くの人がパン作りをできる世の中を目指して、斎藤さんの挑戦は続く。最後に、これほど仕事と好きなものが地続きだと、気分転換はどのようにしているのかを聞いた。

「美味しいものを食べに行くのが好きです。特にウナギとポテトが好きで、美味しいお店の情報をお持ちの方はぜひ教えていただきたいです。もちろん、パンも好きなんですが、試作などでたっくさん食べているのでプライベートでは、パン以外の美味しいものを食べたいですね(笑)」


© 株式会社ワニブックス