【能登半島地震・被災地支援の軌跡と現在地】和倉出身のデザイナーに聞く|モリモトシンゴ氏インタビュー

令和6年能登半島地震を受け、生まれ故郷である七尾市和倉町への支援を続けたモリモトシンゴさん。ベロ&ボスコ Co.,Ltd.代表で、和倉を代表する『能登ミルク』の店舗プロデュースを手掛けています。震災で住む家を失った両親の救出から震災当初の被災地の様子、これからの能登復興への想いを伺いました。

能登半島地震で被災し店舗休業中の「能登ミルク」の製品(TABIZINE編集部撮影)

2024年1月1日16時10分 地震発生

※七尾市:石川県北部、能登半島の中央に位置している。漫画「君は放課後インソムニア」の舞台としても有名

モリモト:ズドーン!と揺れました。金沢の事務所で仕事をしており、今から能登に帰ろうと外に出たときに。金沢はそこまでではないイメージですが、グワングワンと大きな揺れでした。事務所は海が近く、一瞬で「こんなに揺れたら絶対(津波が)来るな」と思いました。避難のため、すぐに近隣で一番高い石川県庁に向かいました。でも、金沢のあたりは車社会なので、みんな車で避難して来るんです。少し考えたらわかることですが、到着した頃には既に県庁の前は大渋滞になっていました。仕方がないのでとりあえず引き返して事務所に避難しました。余震も多かったです。

― 事務所の被害はありましたか?

モリモト:ウォーターサーバーと、モニターが倒れていました。割と重たい、デザイン系のモニターがバタンバタンと。割れてこそいませんでしたが、衝撃で壊れてしまいました。1月1日だったので僕以外は事務所にいなかったことが幸いでした。

両親の安全確保と生まれ育った町への物資支援

― モリモトさんはいつから七尾方面への往復を始めたのでしょうか。

モリモト:1月2日の朝からですね。とにかくまずは避難所になっている自分の母校に届けねば、と思い和倉小学校へ向かいました。到着した頃には地震発生から半日以上経過していたので、既に色んな人が物資を持って来ているかなと思ったら、僕が一番くらいの到着でした。消防団の人とかがめちゃめちゃ嬉しそうに避難所の小学校から出てきたのを覚えています。

1月2日 和倉温泉到着時の写真 生まれ育った街が見るも無惨に(写真・コメント:モリモトさん)

― 一番最初に運んだ物資を教えてください。

モリモト:水です。1月1日は閉まっているお店が多かったので、2日の朝イチで金沢のホームセンターに行きました。僕と同じような人が既に列を作っていて、オープン前に並んだのが行列の10番目くらい。みんなとにかく水だ、水が最優先だという気持ちは一緒なので、ポリタンクの奪い合い。個数制限もなく、とにかく持てるだけ買いました。お店側が在庫を収納するために5個をひとつに縛っていたので、バンドを持てば両手で10個、すぐにトラックに載せて、金沢の自宅で水を汲んで、能登に向かいました。それを七尾の実家に2個、親戚に3個、避難所に5個くらい持っていったらとても喜んでくれて。避難所にいたひとも「よぉきたねえ」と。飲み水も必要だったし、トイレ問題が大きかったようです。

1月2日 ポリタンクに水を入れて能登へ(写真・コメント:モリモトさん)

― ご家族も避難所に?

モリモト:両親は1月1日の夜を避難所で過ごしたようです。僕が到着した頃には七尾の自宅に帰って片付けをしていて、「どうやらもうこの家には住むことができない」と途方に暮れていました。そこで僕と弟の二人で、親父に「ちょっとここ離れた方がいいんじゃないか」と提案すること、これが今回の一番のミッションだったのではと思います。うちの親父は頑固だから、そんなことを言うと腹を立てるような人なんですよ。「いやいやそんなことできるかよ」って。でも、その親父が「そうやな……」っていうくらい深刻な状況だったんです。

1月2日 和倉温泉にある実家の敷地に隣の旅館の煙突が落ちてきて、地面に突き刺さっていた(写真・コメント:モリモトさん)

― 避難先はモリモトさんやご兄弟のご自宅に?

モリモト:奇跡的に、金沢からも比較的近いかほく市に借りている部屋があったんです。団地みたいな場所で上に貯水タンクがあるから断水もしていなくて。これはいいぞ、と2日のうちに両親を移動させることができました。そこからは親戚、友達、母校、町の人を助けて行こうと思い、物資を届ける作業を繰り返しました。

※かほく市:石川県のほぼ中央に位置しており、金沢市からは約20km程度。

正月故に生まれた、避難所の格差と物資問題

モリモト:僕の地元は温泉地で、1月1日はどこの旅館も満室なんです。地震があった16時くらいだとチェックインしてすぐの時間ですね。(和倉温泉の)旅館はビルみたいに縦に長くて相当揺れるので、旅館に泊まっていたお客さんもみんな和倉小学校に避難していました。町の人をはじめ、浴衣を着たまま逃げてきた人、旅館のお風呂から裸のまま逃げてきた人もいたようです。

― 今から楽しい宴が始まるぞ、能登の幸を味わうぞ、温泉に入るぞ、という寸前で地震が来て、そのままみんな避難して、本当に大変だったと思います。

モリモト:避難所にいた人の話にはなりますが、避難してきた人の間にはさまざまな格差がありました。布団はあるけど食料のない人、食料はあるけど寝るところがない人……。家からお節料理を持ってくる人もいましたが、食事がない人の前でそれを広げることはできず、寒空の下、真冬のグラウンドで、車の中で食べていました。そのまま車中泊している人も多かったです。

― 布団と食べ物、生活するにはどちらも欠かせないものですね……。

モリモト:そして、次に来る問題がガソリンです。車中泊をしていると寒くてエンジンをかけっぱなしにしているので、ガソリンがすぐになくなる。「ガソリンスタンドもやっていない、どうしよう、ガソリンがない」と困っている人たちを見て、僕が翌日運ぶ物資はガソリンに決まりました。水もまだまだ足りないけど、他にも水を運んでくれる人はいたので。

― たしかに、ガソリンを運べる人は限られていますね。

モリモト:僕は船を所有しているので、船を出すためにガソリンの携行缶をいつも車に積んでいたんです。七尾の実家に置いている分も全部かき集めて全部で6缶くらい。2日の夜中に金沢に戻って給油して、1月3日に届けることができました。

1月3日 金沢市からガソリンを積んで出発(写真・コメント:モリモトさん)

― 避難所では誰に物資の受け渡しを行っていたのでしょうか。

モリモト:小学校の入口に受け渡しをしている人がいて、その人たちに渡してみんなに分配してもらっていました。消防団の人、あとは地元の町会長たちが中心になって頑張っていました。

「能登に行かないで」政府の発する情報と、報道の在り方に辟易する日々

モリモト:情報に関しては、思うところが凄くありました。僕は金沢から能登に毎日往復していたので、能登の人がわからないこと、金沢の人がわからないことが見えていたと思います。自分の身内、友達、故郷の町に物資を持っていくなかで一番感じたのは、『情報の伝わり方がすごく遅い』ということ。「能登に行かないで」という話もTVやSNSで見ましたが、石川県自体が縦に長いから「行かないで」のところもあれば「行ける」ところもあるんです。中島や穴水より上の、奥能登と呼ばれているエリアはたしかに「今は行かない方がいい」場所でしたが、七尾なんかは道もギリギリ大丈夫で。それを一緒くたにしか言ってないなと強く感じましたね。この経験は必ず次に活かすべきだと思います。

― 現地を往復するなかで、道の状態も悪かったことと思います。交通状況で困ったことがあれば教えてください。

モリモト:報道はラグがあるので見ていませんでした。能登の形は縦長なので、富山側から能登北部の珠洲方面へ向かう氷見のルートを除いたら里山海道と、かほく方面からの下道2本しかないんです。そのうち1本の里山海道は地震にめっぽう弱い。今までに起きた珠洲沖の地震でも同じように崩れたり、陥落したりしていましたが、今回もおんなじどころか、今までより酷く崩れたと思います。報道を見る前から、地元の人間はおそらく全員が「どうせ里山海道は無理だろう」と考えて下道に集中していましたね。

― 最初に金沢から七尾へ向かう時、どれくらいかかりましたか?

モリモト:1月2日は5時間かかりましたが、そうこうしてるうちに里山海道が羽咋の柳田までは開通しました。昔は有料だった、ほぼ高速みたいな道路だから、みんな下道よりこっちを通りますよね。それで開通した日は出口のところで15分程渋滞したのを覚えています。翌日には渋滞はなかったのですが、2日後くらいに里山海道は一般車通行止めになりました。リアルタイムで刻々と変わっていく交通情報を行政は追いかけられてないのでは、と思いました。能登全域を一括りにして「能登に来ないで」ということだけを報道していたように感じたのも確かです。

和倉の象徴、能登ミルクの危機と再建の舞台裏

― 現在休業中の、「能登ミルク」についてお聞かせください。

モリモト:能登ミルクのオーナーの堀川さんとは同郷で、昔からの付き合いなんです。初めて店舗プロデュースを手掛けたお店でもあるので、想い入れは人一倍だと思います。今回の地震で店舗が倒れなかったことは本当に嬉しかったことのひとつですが、隣のビルが能登ミルクさんに向かって傾いた状況には身の毛がよだつ想いでした。

1月3日以降 和倉温泉街にある能登ミルク本店と、そのお隣(写真・コメント:モリモトさん)

1月3日以降 隣接したビルの傾きは目で見てわかるほど(写真・コメント:モリモトさん)

― 震災後、どのような取り組みをされたのでしょうか。

モリモト:僕が今できることはSNSで発信することだなと思い、現地の状況をなるべく投稿するようにしていました。「能登は必ず立ち上がる!」という意味を込めてStand upポストカードの企画・販売を開始したり、オンラインショップに関する情報や、新商品の発売なども積極的に発信しています。店舗の休業を余儀なくされた能登ミルクさんのために、いま自分ができることを片っ端からやっています。

Stand up ポストカード3枚セット:330円(税込)

― 今回の地震で倒壊を免れた能登ミルク。店舗建設当時、地震への対策はしていましたか?

モリモト:地盤の補強のため、1本につき100万かかるような杭を9本打っていました。今思い出しても、オーナーの堀川さんが見積を見て、受け入れてくれたことは本当にすごいことだったと思います。隣のビルの解体作業は3月中旬に終わり、順調にいけば4月には営業再開を考えているそうで、和倉の復興拠点としてこれからも一緒に頑張っていきたいです。

3月15日撮影。地震で傾いていた隣のビルが完全撤去された現在の能登ミルク(写真:モリモトさん)

能登ミルク本店

住所:〒926-0175 石川県七尾市和倉町ワ部13-6

電話番号:0767-62-2077

営業時間:9:00~17:00 ※現在は休業中

定休日:水・木曜日

Instagram:https://www.instagram.com/noto_milk/

>>>公式オンラインショップ

>>>2024年3月9日(土)JR東京駅八重洲に石川県アンテナショップがオープン!

八重洲いしかわテラスでの販売予定品

能登ミルク200cc

能登ミルクのむヨーグルト

能登ミルクカップジェラート

能登ミルク石鹸

能登ミルククッキー(ミルク味)

震災後から今日までと、能登の未来への一歩

― 物資支援に動いている間、ご自身の会社は?

モリモト:2024年1月はずっと会社を止めて物資の運搬に奔走していました。なので、2月はもう仕事が溜まってて。びっくりするくらい忙しかったです。久しぶりに毎日徹夜してました。それなのになんだか力が入らなくて、頭も回らなくて、調子が出ませんでした。今思えばスランプみたいな感じですね。でも、能登ミルクさんが復興に向けて前向きに行動していたことや、(能登ミルクさんの)隣のビルの取り壊しが決まるなど、だんだんと各方面の吉報が届くようになり、それが活力になりました。

― 今後について、考えていることがあればお聞かせください。

モリモト:これまではほとんど個人で、自分の家族や友達に限定して支援物資を届けたり、家の片付けの手伝い、瓦礫撤去などを行っていたので、和倉からは一歩たりとも出ていなかったんです。でも、仕事としてはこれからですね。能登での新規ビジネスも考えています。今までビジネスの面では古い体制や考え方に縛られていた能登だからこそ、震災を機に新しく復興するのなら自分もその中に入りたいと思っています。僕らが本当に能登のために何かをやれるのはこれからだと思っています。

モリモト シンゴ

SHINGO MORIMOTO

七尾市出身。和倉町で生まれ育ち、現在は金沢市在住。

グラフィックデザインを中心に据えた店舗デザインや広告デザインの企業「ベロ&ボスコ Co.,Ltd.」代表。https://boscoism.com

広告デザイナーとしての経歴を積んだ後、2010年に独立。主にグラフィックデザイン、イラストレーション、動画ディレクション、店舗プロデュースを行っている。

地元、和倉では能登ミルクの空間プロデュースとデザイン、イラストレーションを担当。

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