特集はスポーツ大会を陰で支える企業です。主要なマラソンや駅伝の大会で、選手たちが身に着ける「ゼッケン」。実は、多くが信州製です。長く陸上競技を支え、業界のトップランナーとも言える存在となった県内企業を取材しました。
■全国高校駅伝もゼッケンは「信州製」
佐久長聖駅伝部が6年ぶりの優勝を飾った2023年の全国高校駅伝。
長野県チームが10回目の優勝を果たした今年1月の都道府県対抗駅伝。
実は、いずれの大会も、選手たちが着けていたゼッケンは「信州製」です。
さらに、3月10日の名古屋ウィメンズマラソン。
1位の安藤友香選手が切った「フィニッシュテープ」も同じ企業が製作したものです。
■手作業でコツコツ
所在地は中川村。
1975年創業、来年で50年を迎えるシナノ体器です。
早速、工場へ。
シナノ体器・小沢健司工場長:
「どうぞ。こちらがゼッケンを印刷している部屋です。伊那市で行われる春の高校伊那駅伝のゼッケンを今、作っているところですね」
全国の強豪校が競う春の高校伊那駅伝。(2024年3月24日に開催)
工場は7000枚を超えるゼッケンの製作真っ只中でした。(※取材時)
印刷は手作業で、仕組みは至ってシンプルです。
シナノ体器・小沢健司工場長:
「数字の型というか、『版』というのがありまして。こういうものを使って印刷をしています」
布に印字されるのは1回につき一つの数字だけ。
一気には刷れないのでしょうか。
シナノ体器・小沢健司工場長:
「たくさん作っているように見えるんですけど1人が着けるのは(前後)2枚しかありませんので、同じものが2枚しかないというところで、コツコツやらないといけない」
数字が変わる度に「版」を変えていては手間が掛かります。
そこで1から134までの「チーム番号」を印字したらー。
シナノ体器・小沢健司工場長:
「1区だったら1区ばかりに集める『拾い直し』をする作業、こういう時間をいかに早くやるかも大事」
選手が走る「区間番号」を区間ごとにまとめて印字していきます。
従業員:
「(選手が)みんな頑張っているので、きれいなものを届けたいと思って刷っています」
■正月のあの駅伝大会も
大きな桁の数字やスポンサー名は「半自動」の機械を使います。
この機械は創業当時からほとんど変わっていないそうです。
最新のプリンターもあり、丈夫な「紙」のゼッケンにカラフルな印刷をすることもできますが、布製が根強い人気だということです。
シナノ体器・小沢健司工場長:
「着け心地もあるとは思うんですけど、長い時間をかけて欠品を出さないとか、コツコツの積み重ねで、餅は餅屋じゃないですけどあそこの会社にお願いすれば安心だよという雰囲気が長い時間をかけてつくられたと思う」
信頼の厚さを物語るのが―
シナノ体器・小沢健司工場長:
「印刷をする『版』を置いてある場所です。ここにお客さんの財産がある」
これまでに作った「版」を保存しています。
シナノ体器・小沢健司工場長:
「大学の駅伝のゼッケンなんかも作らせてもらっているんですけど、これは…わかりますかね?『青学大』とか」
正月、日本中が注目するあの駅伝用のゼッケンも20年程、ここで作っています。
主要な大会を始め長野マラソンなどの市民マラソン、さらには東京オリンピック、パラリンピックでも発注がありました。
■陸上競技への情熱、ものづくりが好き
フィニッシュテープなどの特注品にも応じています。
発注が舞い込む理由の一つが、ほぼ全ての工程を自社で行っていること。
枠に特殊な薬品を塗り、光を当てて作る「版」も自社製です。
布をタスキに加工するミシン掛けもー。
納期にも柔軟に対応しているそうです。
シナノ体器・小沢健司工場長:
「誰もが知ってるような大会のゼッケンを作ることもありますので、テレビで見かけるとそれだけでもモチベーションが上がる。やりがいにもなりなる」
こう話す小沢工場長も陸上競技の元選手。「競技を支えてみないか」と30年前、創業者に誘われ入社しました。
その創業者、米山正敏さんも若い頃は陸上の選手。
競技の指導もしてきました。
その思い入れの強さが高じて開発したのがー
シナノ体器・米山和希社長:
「(正敏)会長が陸上用の、自分で考えて作ったピストルです」
孫の現社長・和希さんが大切に保管しているのは正敏さんが開発したスタート用ピストルの数々。
当時は、ゴール地点で、音を合図に計測していましたがー
シナノ体器・米山和希社長:
「ヨーイドンでここ(先端)が光って向こうの方にわかるように。音だと時差が出てしまうので、ここに光るものを付けた」
より正確な「光」で知らせるピストルを開発。特許を取って生産を始めたのがシナノ体器の出発点です。
シナノ体器・米山和希社長:
「陸上が好きで、陸上のことしか頭になかったと思うし、ものづくりも好きだったので熱心に取り組んでいた。陸上のことが本当に好きだったんだと思いますね」
■大会を陰で支える小さな企業
特許を大手メーカーに譲ってからはゼッケンの製造に軸足を置き2代目の社長・順さんが生産体制を強化しました。
さらに2018年まで行われた「信州なかがわハーフマラソン」は会社が実行委員会の中心となって運営。
初代、2代目と共に大会に携わってきた小沢工場長はこの経験がものづくりにも生かされていると話します。
シナノ体器・小沢健司工場長:
「大会を計画する側にもなったことがあるのでお客さんと(商品を)作る側というより、大会と同じスタッフの一員みたいな気持ちで(製作に)臨んでいるみたいなところがあるので、よりいいものを作って大会が成功できるといいなという気持ちで日々やってます
この3年の間に初代、2代目が亡くなり、2023年、別の仕事をしていた和希さんが社長に就任。
コロナ禍は注文が激減しましたが、イベントや大会が復活し2023年4月、過去最高の売り上げを記録しました。
シナノ体器・米山和希社長:
「長野県のスポーツ選手には中川村、小さな村でこういう全国規模でゼッケンを作っている会社があるとわかってほしいかな」
大きな大会を陰で支える小さな企業。
原点は陸上競技への情熱でした。