官僚の底辺とか言うな!平安貴族たちの激務を支えた官底とは 【光る君へ】

平安貴族と聞いて、多くの方は「さぞ、のんびり優雅に仕事してたんだろうなぁ」とイメージするかも知れません。

しかしそれは実態と大きくことなり、官職のある者は業務に忙殺され、官職にあずかれない者は生きるための方策に奔走しています。

いずれにしても、のんびり優雅に生きるなどは夢のまた夢でした。

さて、今回は平安貴族の激務を支えた官底(かんてい)たちを紹介

果たして彼らは、どんな仕事をしていたのでしょうか。

官僚の底辺?違います!

「これでよし」官底らの書き上げた草稿にご満悦(イメージ)

官底とは、太政官弁官局(だいじょうかん・べんかんきょく)に属する実務部門。その上首(じょうしゅ。責任者)は、大夫史(たいふし/たいふのさかん)となります。

主な職務は、文書(もんじょ)や記録を書写・保管し、必要に応じてデータ検索することでした。

現代で言えばPCが行なうことを、すべて手作業でやっていたのですね。

また、官底の底とは底本・草稿つまり下書きのこと。

彼らは書類の下書きや清書も担当しており、現代で言えばChatGPT(人工知能による文章生成アプリ)のような役割も果たしています。

まさに平安貴族たちの激務を支えた人力PCと言えるでしょう。

現代ならPCが数台から数十台あれば事足りる仕事を、当時は人力で担っていたのですね。

想像を絶する手間と心労は、まさにお疲れ様としか言いようがありません。

官底と聞いて、官僚の底辺を連想した方はちょっと反省して下さい。彼らこそ、日本の政治を底支えした名も知られぬ英雄たちなのです。

官底の仕事【文書の書写・保管】編

木簡(画像:Wikipedia)

さて、彼ら官底が担っていた文書の書写・保管業務をのぞいてみましょう。

PCなら届いたメールの添付ファイルを目的別フォルダに移すか、コピー&ペーストで済みますが、当時はそうも行きません。

だから一文字々々々書き写し、それを書庫に保管していきました。

しかも現代なら紙が普及していますが、当時はまだ木簡(もっかん)や竹簡(ちくかん)といった簡子(かんす。竹木の札=簡を連ねた巻物)がメインです。

一枚々々の簡に文字を書き記し、誤字があれば表面を薄く削って書き直し。ここでバックスペースキーを思い浮かべたのは、筆者だけではないでしょう。

そしてすべて書けたら、順番を間違えないよう確認してから穴をあけて紐を通して出来上がり。

これを一巻作るだけでも大変なのに、業務によってはこれが何巻にも及ぶのです。

運ぶ重量も紙の比ではなく、保管スペースもバカにならなかったことでしょう。

官底の仕事【データ検索】編

前例の踏襲こそが絶対正義?の官僚世界(イメージ)

こうして膨大な量のデータを蓄積するのは何のためかと言ったら、そりゃもう官僚世界すなわちお役所仕事のお約束。

「前例を引っ張り出す」ためです。

日本では、古来「吉例に倣う」風習がありました。

特に不例(何かしらの不具合や異常)がない限り、先例の踏襲こそが正義とされます。

日本の官僚支配は千年以上も前から脈々と受け継がれ、お役所仕事の事なかれ精神は平安時代には早くも定着していたのでした。

とまぁ、データ保存の意義がよく分かったところで、今度はそれを検索しましょう。

例えば、朝廷で何かしらの行事があったとします。

先例に倣うためには、先例に関するデータが必要となるでしょう。

現代なら、スマホに向かって「オッケーGoogle。去年のデータを出して!」と言えば、恐らく何か記録なりが出てくるはずです。

しかし平安時代にそんな便利なものはありません。

となると、今まで人力で書き記し、簡子に巻いた膨大なデータを手作業で確認するしかないのです。

一巻カタカタ解いたら、端から端まで確認しましょう。

筆者の脳裏に「ctrlキーとFキーの同時押しでワード検索」とよぎりましたが、そんなものはありません。

誰かの記憶に残っていたり、運良く必要なデータが見つかればいいのですが、そうでないと日がな一日カタカタコロコロ。

簡子をほどいたり巻いたりの繰り返し。その間、やんごとなき上級貴族たちはずっと「待ち」。

その辺をぶらついたり、同僚たちとだべったりしていました。

検索エンジンのありがたみが、本当によく分かりますね。

終わりに

「お、やっとるやっとる」官底らに検索させている間に、息抜きとしゃれこむ貴族(イメージ)

……官符之案、在二官底一歟……
※藤原実資『小右記』寛仁2年(1018)12月20日条

【読み】……官符(かんぷ)の案、官底にありや……

【意訳】証明書の下書きは、官底たちが書いてくれる(彼らの管轄である)。

以上、平安時代の政治を支えた官底たちについて紹介してきました。

平安時代は上から下まで、ほとんどの者は何かしら激務に追われていたのです。

言うなれば、優雅に見える白鳥が水面下で必死に水かきしているようなところでしょうか。

NHK大河ドラマ「光る君へ」では、彼らの苦労が描かれることは恐らくないと思われます。

どうか皆さんだけでも、彼らの苦労と知られざる功績を偲んであげてください。

※参考文献:

  • 倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月

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