「あの大学出身者はNG」…採用の現場で「学歴フィルター」復活の予兆【キャリアのプロが解説】

(※写真はイメージです/PIXTA)

かつて採用の現場では学歴が重視されていましたが、2000年頃にソニーが始めた革新的な採用方法を皮切りに、学歴ではなく「人物」を重視する採用にシフトしていました。ところが今になって、大企業を中心に「学歴重視」の採用が増加しているというのです。深刻な人手不足のなか、なぜ学歴重視へ回帰しているのか。東京エグゼクティブ・サーチの代表取締役社長・福留拓人氏が、その理由と懸念点を解説します。

大企業を中心に急速に「学歴重視」に回帰している

最近の採用市場を見ていると、新卒(定期)・中途にかかわらず、学歴偏重の傾向を感じるようになりました。学歴に応じて差別に近い対応をするのは、おおむね大企業です。雇う側が採用にあたって学歴を重視するのは自由ですが、行き過ぎた学歴偏重はいかがなものかと首をかしげたくなります。

そうした危惧の声は、筆者のような人材コンサルタントだけでなく、採用事情に詳しいジャーナリストからも聞こえてきます。どうやら大企業が最近になって急速に学歴重視に回帰しているというのは間違いなさそうです。

ご存じとは思いますが、かつて採用にあたって学歴が重視された時代がありました。まさに学歴偏重社会の入口でした。そこに風穴を開けたのは2000年ごろに展開されたソニーの革新的な採用手法でした。

たとえば、エントリーシートに大学名を書かせないことが注目されました。白紙1枚のエントリーシートには「この紙面にあなた自身を自由に表現してください」と書かれていました。ウォークマンなどの画期的な新製品を生み出し、“ジャパン・アズ・ナンバーワン”の勢いがあったソニーならではの革新的な採用手法であったと思います。

当時のソニーはスティーブ・ジョブズのアップル社が「会社を買ってくれ」と申し出るような存在でした。学歴で優秀な人材をはじいてしまうのはよくないというソニーのアーティスティックな立ち位置が生まれ、ここから「学歴で区別や差別をするのはやめよう、それは無意味なことだ」というトレンドが当然のように広がっていきました。

さて、それなのになぜ、21世紀の今になって採用の様相が学歴偏重に回帰しつつあるのでしょうか。これは、いろいろな局面で明らかになっている日本の凋落に原因があるように思います。とくに企業における採用では、日本経済の縮図ともいうべきマイナス環境が複合的に影響しています。では、その一端を具体的に拾い上げてみましょう。

将来的には「学士」という資格も無価値になる

まず日本に少子高齢社会が到来したこと。2023年のデータで、日本人の出生数は前年より約4万人減少して約72万人(マイナス約5.5%)となりました。これは過去最大の減少数とされています。高度経済成長期のベビーブームと比べると絶望的に思えるほど出生数の減少が続いています。

その結果どうなったかというと、大学が余りはじめました。つまり、学校をえり好みさえしなければ、「大学全入時代」になっているのです。少々厳しい言い方かもしれませんが、これからは「学士」という資格自体に価値がなくなってしまうでしょう。

その昔、大学進学率30%台という時代がありましたが、現状は60%台後半の数字になっています。50%台後半から60%台なかばくらいの数字を考えると、経済的な理由で進学を断念している学生は一定数いるものの、入試のマインドとしては、ほぼ全入状態といってよいと思います。

そして最も大きな問題だと思うのは、企業の動向と鋭く結びついている事象かもしれませんが、日本が格差社会になりはじめていることです。

残念ながら「生まれながらの家庭の経済力」が一生を左右してしまうような、教育格差を生み出す社会になりつつあります。裕福な家庭に生まれて潤沢な教育予算のもとでレベルの高い教育を受けられる子どもと、そうした恩恵に預かることができない子どもの間に大きな差ができてしまいます。

いろいろな社会情勢の変化で学校の教育現場も疲弊していますし、常識ではコミュニケーションが取れないような親御さんも増えてきているようです。そして、現在はいつの間にか中学受験が進学の前提になっています。地元の小学校からそのまま公立中学校へ進学させるのは、心もとないということでしょうか。

こうした時代背景が、以前とは違った受験戦争を誘発させています。かつては終身雇用の慣習が残る時代でしたから、よい会社に入って大過なく人生を送ることが目的となる受験戦争でした。生涯で最善の結果を得るために逆算して「よい会社に入るためには、よい学校に入らねばならない」ということになったわけです。

それが今では、よくない環境の教育現場に入ると子どもの成長に悪影響が及ぶので、そこから避難するかのように私学を受験するという風潮になっています。このように以前の受験戦争といまの受験戦争では、様相が違うことに注目しなければならないでしょう。

企業が求人票に「大学名」を記入し始めているという現実

結論としては、「一流大学に入っている学生は高い学力を保持している」という評価ではなく、家庭環境から推察して「人間性が偏っているリスクが低いであろう」という評価をされることになります。そのため、企業が大学を固有名詞で指定してフィルターを掛けてくる傾向が急速に強くなっているのです。

大学の名称などは、一般的には就職差別を誘発する要素ですから、求人票などには絶対に書いてはならない事項なのですが、残念ながら筆者の経営するエージェントには、「東大早慶一橋まで」とか「旧帝大以上に限る」とか「日東駒専はNG」といった、公言できない言葉がそのまま通達されることが多くなってきました。

残念なことですが現実はそこまで来ています。

学力について、昔こういう笑い話がありました。学歴差別はよくないのでエントリーシートに大学名を書かせずに入社試験を実施したところ、フタを開けてみると合格したのは一流大学の学生だけだったということです。基礎学力の測定を重視した試験を課せばもちろんそうなるわけですが、最近はそういう点をあまり重視しません。

入社試験で基礎学力を測るようなことはあまり行われなくなりましたが、先に述べたように人間性のリスクを回避する動きを学歴に頼っているところが増えているようです。

たとえば新卒で入社して半日で電撃退職してしまうとか、ある日突然出社しなくなるとか、退職手続きに親が現れるとか、家族や友人が会社に乗り込んでくるとか、ひと昔前の常識では考えられないようなことが起きているからです。

やや性急で浅はかな見解かもしれませんが、企業は「学力を以て一流大学に入った」というよりは「本人を介して親を見よう」としている面があります。

この大学なら精神疾患やモンスターペアレンツ的な動きをするような確率が低いであろうということで、そこを学歴に関連づけているわけです。非常によろしくない傾向だと思うのですが、我が国のいろいろな部分での凋落を表している現象だといえるのではないでしょうか。

人手不足を叫びながら「学歴フィルター」は緩和しない矛盾

もちろん一部の業界、特定の上級公務員などに一定の学歴フィルターが掛かっていることは衆目に一致しているところです。しかし、一般企業の大半まで学歴フィルターが浸透してきているのは問題であると思います。

かつ慢性的な人不足が叫ばれているにもかかわらず、この学歴の部分は緩和する傾向があまり見られません。すなわち、極めて少ない人を多くの企業が奪い合うというのは、こういうところからもいびつなかたちで発生しているのです。

今後とも状況の変化を注視しなければなりません。人不足が解決できないことで学歴フィルターが維持できなくなり、そのロジックが崩壊に向かうのか、それとも企業のさらに激しい人材争奪戦になるのか。それはやがて一般の社会にも浸透し、一層極端な受験戦争の復活に発展する可能性もあると思います。

学歴フィルターの復活については採用市場だけでなく、広く社会的な視点でよく観察していくことが必要なのではないでしょうか。

福留 拓人
東京エグゼクティブ・サーチ株式会社

代表取締役社長

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