ODA70周年を機に対中供与の大失態の反省をその1 友好も、民主化も生まなかった

古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・日本の戦後外交の中で、対中ODA外交は特筆されるべき大失態。

・中国の民主化や人権尊重に配慮しない規定違反の超法規のような措置だった。

・対中ODAは覇権志向強国の出現、中国の大軍拡に寄与した。

2024年は日本のODA(政府開発援助)が開始されてから70年目の年だという。日本政府はその機会にODAにかかわる種々の記念の行事を展開し始めた。ついこの3月16日の参議院の特別委員会でも自民党の青山繁晴議員がこのODA問題を取りあげ、ODAの主管官庁の外務省トップ、上川陽子外務大臣に質問をしていた。

上川大臣はもっぱら外務官僚が作成したような模範回答で、日本のODAが日本の外交に大きく貢献してきたとする趣旨を強調していた。ODAの70年の歴史、めでたし、めでたし、これまで数々のプラスの実績をあげたのだから、これからも同じ調子で続けていこう、という趣旨だった。

だが、ちょっと待ってほしい。日本のODAの歴史には大失態があるのだ。外務省も上川外相もそんなことはまったく語らない。ただし青山議員が自分の発信する動画の冒頭で、その失態の実例に簡単ではあるが、触れていた。それは中国への日本の巨額のODA供与の失敗だった。

この中国へのODAについては私は中国の現地での考察も含めて、長年、詳しく調べて、報じてきた。結論を先に述べるならば、日本の戦後の外交のなかでも、この対中ODA外交というのは特筆されるべき大失態だったのだ。

「失態」というのはその事業が目的とする効果を発揮せず、むしろ逆効果を招いた、という意味である。日本国民の血税である巨額の公的資金がその日本の国益を侵す結果を生んだのだ。この点を日本政府、とくに外務省は反省すべきである。70周年を祝うのなら、こんごのODA政策の是正のためには、過去の失態の反省は欠かせまい。

日本の諸外国への経済援助はODAを主体に中国向けが長年、最大の支柱だった。供与の金額が諸外国向けのなかでも突出するほど最大だったのだ。

日本政府は1979年に中国へのODA供与を開始した。そして2019年までにはその終了の方針を宣言した。ただし実際に中国向けのすべての援助が終わったのは2021年末だった。安倍晋三首相の決定だった。

この40年以上の間に合計3兆6千億円の日本の公費が中国に提供された。その結果、日本はなにを得たのか。上川外相に改めて問いたい。その軌跡はどうみても、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ。

私は1998年秋に産経新聞初代中国総局長として北京に赴任して、日本の対中政策の最大支柱だったODA供与の中国側の実態を知ったときはショックだった。日本側が官民あげて日中友好への祈りをもこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。

日本からの経済援助は中国側の官営メディアは一切、伝えない。だから一般国民もまったく知らない。北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名はなかった。

日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。旧大蔵省と輸出入銀行から「資源ローン」などという名称で公的資金が中国に供されていた。その総額は99年までに3兆3千億円と、その時点でODA総額を超えていた。だから中国への援助総額は実際には7兆円だったのだ。

日本の中国へのODA供与の出発点となった79年に訪中した大平正芳首相は対中ODAの目的について「日中友好」を強調した。その後、ODA総額が大幅に増えた88年当時の竹下登首相は「中国人民の心へのアピールが主目的」と明言した。だが人民は日本からのODAを知らないから心に伝わるはずがない。

中国政府がODAのために対日友好を増した証拠は皆無である。逆にODAがさらに巨額になった90年代をみても、「抗日」の名の下に日本への敵意を自国民にあおる共産党政権の宣伝や教育は激しかった。

2024年のいま、中国は日本固有の領土を軍事力で奪取しようと、日本の領海への武装艦艇の侵入を繰り返す。その行動のどこに日本への友好があるのか。

日本の中国へのODAには中国の民主化を進めるという目的もあった。当時の日本政府のODA指針だった「ODA大綱」に明記された基本目標の一つだった。だが現実には日本のODAが中国の民主化や人権尊重に配慮しなかったことも明白だった。ODA大綱では民主主義や人権を弾圧する国には援助を与えないはずだったのだ。同大綱は日本の援助が「民主化の促進」「人権や自由の保障」に合致することを規定していた。だが対中ODAはこのすべてに違反した。

日本のODA供与が続いた40余年、中国では民主化ではなく、非民主化がなだれのように広まった。共産党政権の独裁支配がますます強まったのだ。いまでも香港での抑圧、チベットやウイグルでの弾圧をみるだけでも「民主化」は影も形もないといえる。

だから対中ODAとは日本政府が自ら決めた対外援助政策を無視しての超法規のような措置だった。日本政府は中国を特別に優遇した。中国の国家開発5カ年計画に合わせ、5年一括、中国側が求めるプロジェクトへの巨大な金額を与えてきた。中国には自国を強く豊かにするための有益な資金だった。

その中国がいまや国際規範に背を向けて覇権を広げ、日本の領土をも脅かす異形の強大国家となったのだ。日本の対中ODAはそんな覇権志向強国の出現に寄与したのである。なんと日本からの経済援助は中国の大軍拡にも寄与したのだった。

ODA大綱は日本のODAが「軍事用途への回避」とくに相手国の「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」することを強調していた。だが現実には日本からの援助資金が中国政府に軍拡の余裕を与えただけでなく、日本の援助でできた空港や鉄道、高速道路の軍事的価値の高さを中国軍幹部は堂々と論文で発表していた。チベットへの光ファイバー建設は軍隊が直接に利用していた。同じく日本のODAで完備した福建省の鉄道網は台湾への攻撃態勢をとる部隊の頻繁な移動に使われた。

かつて台湾の李登輝総統から直接に「日本の対中援助では福建省の鉄道建設だけはやめてほしかった」と訴えられたことは忘れ難い。その鉄道建設が台湾への軍事侵攻の準備を進める人民解放軍の福建省での戦力の増強に直接に寄与するから、という指摘だった。

なお私はこの中国への日本のODA供与の実態を詳しく調べ、単行本にもまとめた。ODA幻想」(海竜社刊)というタイトルの書だった。

(その2につづく。全5回)

写真)「ODA幻想 対中国政策の大失態」著:古森義久 海竜社

出典)amazon

トップ写真:北京国際空港ビルの建設にも日本からの巨額のODAが使われた。写真は同空港第3ターミナル。出典:Best View Stock/Getty Images

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