【尊富士優勝】「お前ならできる」 頭によぎった休場、迷い吹き飛ばした横綱・照ノ富士の直言

 諦めかけた心に火を付けたのは、横綱のひと言だった。大相撲春場所は千秋楽の24日、新入幕で青森県五所川原市出身の尊富士(24)は右足首のけがを押して大一番の土俵に上がり、自力で優勝を手繰り寄せた。14日目の取組中に負傷して歩くことができず救急搬送。休場も脳裏をよぎる中、同部屋の横綱・照ノ富士(32)の「お前ならできる」という言葉で再び闘志が燃え上がった。周りには出場しないよう促す声もあったが、最後は自分で決めた。「別にこの先、終わってもいい。(休場すれば)一生悔いが残る」。その一心だった。

 14日目の朝乃山(30)戦。優勝を争う後続との差は二つで、勝てば優勝が決まるはずだった。しかし踏み込んだ瞬間、異変は起きた。花道を歩き切れず車椅子で医務室へ。搬送された大阪市内の病院で検査したところ、右足首周辺の靱帯(じんたい)が損傷していた。

 「もう駄目だと、正直、無理だと思った」。痛みがひどく、食事もままならない。しかし千秋楽の土俵に上がらなければ、優勝を逃す可能性もある-。葛藤を抱えながら戻った伊勢ケ浜部屋の宿舎。横綱からの直言が、その迷いを一気に吹き飛ばした。

 両膝のけがから復活を遂げ、角界の頂点まで上り詰めた照ノ富士の言葉。「背中を見て育った」と自負する尊富士にとって、何より信頼に足るものだった。

 師匠の伊勢ケ浜親方(63)=元横綱旭富士、つがる市出身=には当初、「力が入らないから無理だ、やめておけ」と制された。師匠によると23日夜、病院から戻った尊富士は付け人に抱えられ、「(出場は)無理です」と言ったという。その後、尊富士1人で部屋に来て「やっぱりやりたい」と直訴。最後には師匠も「歴史にも関係する一番なので止められない。止めた方も止められた方も後悔する」と受け入れた。

 千秋楽、尊富士は足首をテーピングで固め、痛み止めの注射を打ったが、痛みは消えない。土俵下へ向かう時でさえも、右足をかばうように歩いた。「記録じゃなくて記憶に残る力士になりたい」。そんな思いも背中を押した。

 110年ぶりの新入幕優勝、初土俵から史上最速。記録ずくめの快挙に、土俵上で四方から大歓声を浴びた。優勝の瞬間、ほっとしたのか、笑みもこぼれた。

 尊富士は右足を引きずりながら支度部屋に戻ると、兄弟子の錦富士(27)=十和田市出身=と抱き合って喜びをかみしめた。

 土俵下での優勝インタビュー。「土俵に上がれて安心した」と話すと、会場は大きな拍手に包まれた。

© 株式会社東奥日報社