東京再発見 第11章 戦国時代の城郭の跡に~世田谷区奥沢・九品仏浄真寺~

総門が額縁となって

東急電鉄の駅の名前にもなっている「九品仏」、ここはかつて奥沢城という城郭だった。世田谷吉良氏が治めていた城であるが、豊臣秀吉の小田原征伐の後に廃城となった。そして、江戸時代に当時の名主が貰い受け、1678年に珂碩(かせき)が開山した。ここに、浄土宗寺院、九品仏浄真寺の歴史が始まる。

九品仏とは、本堂の対面に3つの阿弥陀堂があり、それぞれに3体ずつの印相が異なる阿弥陀如来像が安置されているために、そう呼ばれるようになった。(阿弥陀堂は、中央に「上品堂」右側に「中品堂」左側に「下品堂」)。これは「観無量寿経」に説かれている九品往生思想に基づく浄土教の極楽往生9つの階層を表している。

鉄道会社が開発する住宅街

1927年に東京横浜電鉄東横線(現東急東横線)が開業。すると、現在の自由ヶ丘駅は九品仏駅と名付けられた。そして、その2年後に目黒蒲田電鉄二子玉川線(現東急大井町線)が開業し門前に駅ができた。新たな九品仏駅ができたのだ。駅前から浄真寺に向かう参道が延びている。

お地蔵さんも銀杏を束ねて

周囲を土塁で囲われた鎌倉期の境内は、まさしく、城郭の名残を感じる。また、七堂伽藍を完備した僧房として数少ない寺院だ。そして、ここには古木が多く、カヤの大木は樹齢700年以上、銀杏の木は300年と言われている。春は桜、夏はさぎ草、秋は紅葉、冬は梅と四季折々の景色が素晴らしい。特に、秋は黄金色の落ち銀杏と紅葉の赤のコントラストが隔世の感がある。晴れた日でもしっとりとした湿気を感じる庭がとても素敵だ。

この九品仏や自由ヶ丘周辺は、かつては谷の底、沼地であった。しかし、鉄道開発とともに宅地開拓も行なわれ、現在は閑静な住宅街となっている。また、世田谷区と目黒区の境でもあり、九品仏川の暗きょがある。現在、緑道となっており、地域住民の憩いの散策道になっている。

歴史散策こそ、東京の新たな観光の切り口

参道の赤・青・黄色が素敵なコントラスト

徳川家康が入る前の江戸は、未開拓の地と思われがちである。しかし、海が巨大な平地に迫り、舟運による交通至便な場所だったと言われている。当然、江戸時代以前の城郭跡も、かなりの数があったと言われている。そして、江戸時代になり廃城になった場所は、その由緒を忘れがちであるが、その歴史を辿る新たな観光コンテンツ作りは可能である。

現代日本、京都は神社仏閣の集合体、東京は近未来のビル群と、思ってしまいがちである。しかし、東京都内の歴史散策、とても奥が深いと感じる。最先端のモノ・コトだけでなく、先人たちが作った歴史に目を向けてみては、どうだろうか。

そう思う、今日この頃だ。

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取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長

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