朝出かけて帰ってこない人も…夫、娘の事故で痛感 「命助けてもらったから」交通遺児支援で毎月寄付し40年

準備した封筒を見つめ「ここまで続けてこれてよかった。生きている間は続けていきたい」と話す大野幸子さん=埼玉県川口市

 「命を助けてもらったんだから。自分でも一つくらい世の中のために何かしないとなって」―。交通遺児のために役立ててほしいと、40年間、埼玉県警武南署に毎月千円の義援金を送り続けてきた女性がいる。川口市在住の大野幸子さん(81)だ。きっかけは夫と娘の事故。「気持ちだけでもと思って続けてきた。私が生きている間は続けていきたい。ここまで続けてこれてよかった」。温かいまなざしで封筒を見つめる。

■匿名

 「交通遺児のために市内の主婦より」と書かれた便箋1枚に千円札が同封された郵便物が武南署に届いたのは1984年1月。以降、大野さんは匿名で15年間同署に毎月義援金を送り続けてきた。

 同署が「何とか感謝の気持ちを伝えたい」と送り主を探していた99年、本紙『匿名の義援金16年目』と報道した県南版(5月22日付)の記事を見た大野さんの友人が警察に連絡し、送り主が大野さんであることが分かった。最初はその都度、準備し投函(とうかん)してきたが、約20年ほど前から暮れに1年分用意をするように。月が替わると郵便局に行き、ポストに投函。「自分では40年っていう気はないな」とほがらかな表情を浮かべる。

■奇跡

 義援金のきっかけは、96年に亡くなった夫の交通事故。77年11月のある晩、大野さんは眠れない夜を過ごした。大野さんによると、大宮の建設会社で働いていた夫はこの日、浦和で水道工事の仕事の関係で夜勤に出かけた。おなかがすいたという夫は午前0時ごろ、家に一度戻ってきた。「このまま寝ちゃおうかな」。夜勤にでかけることはめったになかったが、この日は難しい仕事だった。午前1時。再び仕事に向かう夫を大野さんは見送った。

 それからほどなくして、午前2時半。夫は飲酒した無免許運転の車にはねられた。「命だけは大丈夫なんですか」「命はあるから大丈夫」。午前4時ごろ、会社の人から連絡を受けた大野さんは、急いで入院の準備をして眠れない夜を過ごした。病院に着くと、脚に包帯をぐるぐると巻いた夫の姿があった。大腿(だいたい)部の粉砕骨折だった。

 「もしも事故でもあったら困るから行った方がいいんじゃない?」「それもそうだな」ー。そんな会話をして送り出したことに、「言わなきゃよかったかなと思った」。

 事故から1週間。眼鏡を作りに行き、うなぎが食べたいと話す夫と店に行った帰り道、松葉づえとかばんを抱え、70キロの体格の夫を背負って駅まで歩いたことは今でも忘れられない。事故の後遺症で痛む脚を、眠たい目をこすりながらさすってあげたのも思い出だ。

 長女も友人の運転する車の助手席で交通事故に遭ったことがある。川口市内の国道で右折車とぶつかった。幸い軽傷で済んだが車の破損は大きく命が助かったのも奇跡だった。「命を助けてもらったんだから。朝出かけて帰ってこない人もたくさんいる。そういうこと思ったら、自分でも一つくらい世の中のために何かしないといけないかなと思った」と大野さん。「高齢者でアクセルとブレーキを間違える人もいる。乗らないことも含め車に乗る人は自分たちで気を付けることが大事」と話す。

■感謝

 2月、大野さんは同署で荻野長武県警本部交通部長から感謝状を贈られた。荻野交通部長は「交通事故のない安全で安心な社会を実現させるため精いっぱい努力したい」と感謝。同署によると義援金は1月末で総額約48万円で県交通安全対策協議会を通じて定期的に送金。大野さんはこれまで同署から4回感謝状を贈られている。

埼玉県警の荻野長武交通部長(右)から感謝状を受け取る大野幸子さん=武南署(埼玉県警提供)

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