ジェイク・ギレンホールにまたしても驚かされる 現代に蘇った『ロードハウス/孤独の街』

どんな役にも対応できる「カメレオン俳優」と評価されてきた、演技巧者ジェイク・ギレンホール。2023年3月、世界最大の総合格闘技団体「UFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)」のラスベガスでの大会で、そんなギレンホールがリングの中に姿を表し、観衆の前で見事に鍛え上げた肉体と、格闘家ジェイ・ヒエロンに華麗な飛び蹴りを見舞ったことが話題となった。「格闘技の世界に挑戦か?」と思う一場面だが、これは映画『ロードハウス/孤独の街』の撮影であった。

アントワン・フークワ監督の『サウスポー』(2015年)で、役づくりのために肉体改造に挑み、バキバキの筋肉を浮かせることになったギレンホールだが、『ボーン・アイデンティティー』(2002年)、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(2014年)のダグ・リーマン監督とのタッグとなる本作『ロードハウス/孤独の街』で、またしても圧倒的な肉体を観客に見せつけることになった。ここでは、またしてもギレンホールに驚かされる一作『ロードハウス/孤独の街』について、過去の作品と比べながら、その凄さを解説していきたい。

『ロードハウス/孤独の街』(原題:『Road House』)といえば、1989年にパトリック・スウェイジ主演の同名作品が存在していたことに気づく人もいるだろう。ちなみにその映画のビデオリリース時のタイトルは、『ロードハウス/誓いのカクテル』。本作は、それを基に新たに創造し直されたタイトルなのだ。

この基となった映画が公開されたのは、パトリック・スウェイジが、ダンス映画『ダーティ・ダンシング』(1987年)に出演して絶大な人気を得た後、『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)が公開される前という、いまから思えば、スター俳優スウェイジにとってヒット作品に挟まれていた時期だ。

「ダンスは終わった、“ダーティー”になるときだ」というキャッチコピーで宣伝された1989年版は、その男くさい暴力的な内容から、一部の観客に敬遠されたこともあり、期待されるような興行収入が得られず、あまつさえ“最低映画賞”として知られる「ゴールデンラズベリー賞」に5部門でノミネートされることになったのである。

しかし、他の一部の観客からは、逆に強く支持され、カルト的な人気を得ていたとともに、アメリカでのTV放送で再評価の機運が高まってもいたらしい。だからこそ、1989年版と同じく、重鎮となったジョエル・シルバーの製作によって、再び『ロードハウス/孤独の街』が、現代に蘇ることとなったのだ。

「ロードハウス」とは、アメリカではかつて幹線道路沿いに散らばっていた、旅人のために食事や飲み物を提供していた宿場として利用された店のことであり、現在では宿泊の機能を失っている場合が多いものの、ライブ演奏やダンス、場所によってはギャンブルなどが楽しめるレストランや酒場として知られている。近年はクリーンで安全になってきているといわれる一方、トラックドライバーやバイカーの集団が多く訪れる場所柄もあり、不良や腕っぷしの強い男たちが騒動を起こしそうな危険なスポットとしてのイメージも根強い。

本作でジェイク・ギレンホールが演じる元格闘家ダルトンは、そんなロードハウスに居座って、店内のトラブルを力で解決する、店の用心棒として目を光らせることとなる。アメリカ内陸部のミズーリ州という設定でカリフォルニア州で撮影された1989年版と大きく異なるのは、その景色だ。本作では鮮やかな海や美しいビーチが広がり、日本人が「アメリカの沖縄」とも呼ぶ、文豪ヘミングウェイが愛したフロリダ州のキーズ諸島へと舞台が変更されている。

フロリダ半島から島々へは、エメラルドブルーの海上を走る長距離の海洋道路が結んでいるが、その「セブンマイル・ブリッジ」も作中に登場するほか、絶景のシーンなど多くの撮影はドミニカ共和国でおこなわれ、ロードハウスのセットも、一からドミニカに建造されたようだ。おかげで本作の印象はガラリと変わっていて、どちらかといえばドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』を想起させる、南国のバカンス感が漂っている。

そんな風光明媚なロードハウスの姿とは対照的に、主人公ダルトン自身は暗い雰囲気を纏っている。彼はUFCの大会において、ある苦い経験があり、荒廃した気持ちのまま用心棒に転身していたのだ。とはいえ、彼の卓越した格闘技術は、並大抵の不良や腕自慢では全く太刀打ちできないレベルにあり、これまで店で大きな顔をしていた不心得者たちを成敗していくことで、次第にダルトンは土地のマフィアをも圧倒するヒーローとして知られていく。

そこに現れるのが、本物の元UFC世界ライト級王者コナー・マクレガーが映画初挑戦で演じる、マフィアから雇われ刑務所から出所したばかりの人物ノックスだ。彼は、アグレッシブなファイトスタイルでトラブルメイカーでもあったUFC時代のコナー・マクレガーをさらに誇張した性格で、溢れ出る闘争本能のままにダルトンに襲いかかる。

ラズベリー賞ノミネートとはいいながら、1989年版は、そのほとんどの乱闘シーンが本物であったと伝えられているほど、本気の作品であった。パトリック・スウェイジと共演者のマーシャル・ティーグが対決するアクションは即興の応酬となり、スウェイジは本物の丸太で打たれて肋骨2本を折るという大怪我を負い、折ったティーグもまたスウェイジの回し蹴りで眼窩にヒビが入ったという。常軌を逸した危険な撮影であり、安全上の面からとても容認できるものではないが、この作品のホモソーシャルな価値観にも促され、スウェイジの闘争本能に火がついてしまったというところだろう。

もちろん2024年版の本作では、そこまでの無謀な撮影はおこなわれてはおらず、複数のスタントパーソンが参加して安全に留意している。それでもUFCスタイルの最終決戦シーンは、多くのハリウッド映画の格闘シーンのレベルを超え、凄まじい迫力で殴り合い、投げ合い、締め合いが展開する。しかも周囲には瓦礫やガラクタが散乱していて、非常に危険だと思わせる。ギレンホールの締め技に対する、コナー・マクレガーの打撃や、技を抜けるプロの技術は、まごうことなき本物である。

このようにハイレベルな境地でおこなわれるリハーサルや撮影においても、実際に相手に打撃がヒットしてしまったり、紙一重の場面も多かったのだという。ロードハウスでの乱闘シーンでも、ギレンホールがガラスで手を負傷し、それが原因でブドウ球菌感染症を患うことになったと伝えられている。(※)

そんな逸話も納得できるほど、本作のアクションは、予想や期待をはるかに超えた凄まじさがある。負傷や命の危険に発展するような撮影は根絶されるべきではあるが、この映画づくりの奥底における一種の無謀さこそが、ある意味、アメリカの享楽的で危険な「ロードハウス」精神が、根っこで繋がっているといえるのかもしれない。

参照
https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/news/jake-gyllenhaal-road-house-injury-b2515128.html

(文=小野寺系(k.onodera))

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