新入幕V・尊富士、速攻相撲の礎は青森・木造中時代 小中の師・越後谷清彦さんが語る

つがる市で2013年に行われた伊勢ケ浜部屋の夏合宿で(後列左から)照ノ富士、宝富士、当時現役だった安美錦、誉富士と記念写真に納まる木造中2年の尊富士(前列左から2人目)=越後谷さん提供

 大相撲春場所で110年ぶりの新入幕優勝を成し遂げた尊富士(青森県五所川原市出身)。小・中学生時代に約5年間在籍した「つがる旭富士ジュニアクラブ」の総監督・越後谷清彦さん(61)=つがる市=は、相撲に集中した同市木造中学校時代の時間が、活躍の礎になっていると明かす。当時授けた速攻相撲を磨きに磨いて頂点にたどり着いた教え子は、「記録よりも記憶に残る力士に」との教えを見事に体現してみせた。

 尊富士は小・中学生時代、つがる市民診療所付近にあった道場で稽古を重ねた。小学生の頃は腕立て伏せができず、体も硬かった。金木中1年の途中で木造中に転校。通い慣れた道場が近くて、各種大会で団体戦に出場できる環境があったからだという。その頃から相撲を強く意識し始めた。

 腕立て伏せは毎日のように300~400回こなした。試合で負けると負けん気の強さをあらわにし、すぐに敗因を越後谷さんに質問したり、どうすれば勝てるか自分で考えて努力を重ねた。先に攻めて前へ出る相撲はもちろん、生活態度の徹底といったことも、越後谷さんからたたき込まれた。優しい性格の持ち主で、普段は積極的に後輩の面倒も見た。

 市内では、後に入門する伊勢ケ浜部屋の夏合宿が毎年行われており、尊富士も部員とともに参加。ぶつかり稽古では現在の横綱・照ノ富士、十両・宝富士ら部屋の力士の胸を借りた。「大相撲力士に向かっていくんだから力の差は全然違う。きつい稽古だったろう」と越後谷さん。市内で行われる強豪・鳥取城北高校の合宿にも参加し、厳しい練習に耐え抜いた。

 中学卒業後は同高校、日大に進み、けがに泣いたが大学の終盤にプロ入りを決意した。「最初から強かったわけではないし、大相撲にいかないと言っていた子でもあるので、まさかという思いだった」と越後谷さん。初土俵から史上最速で幕内優勝を手中にしたが、「まだ幕内に入ったばかり。記録よりも記憶に残るようにといつも言ってきたので、皆さんに愛される力士になるよう努力してほしい」と願っている。

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