シリーズ読者投稿~忘れられない「あの人」と~ 投稿者:Nさん(千葉県・60代男性)
Nさんは中学生時代、生徒会役員を務めていた。
そんな彼の忘れられない思い出は、45年前の「3年生を送る会」。不良グループが舞台に立とうとするのに、教員たちが反対していて......。
<Nさんの体験談>
私の通っていた中学校では毎年、高校受験がひと通り終わると「3年生を送る会」が生徒会主導のもと行われていました。
これは45年前、私が生徒会役員で、司会進行役を任されていた時の話です。
教員の主張を生徒会は拒否。本音は...
3年生を送る会では希望するクラスや部活、友人等グループの仲間で楽器演奏、寸劇、漫才などそれぞれが自身で企画してステージに立ちます。
その年の出演者希望者の中に、いわゆる不良グループが居ました。10人程でコントをやろうと準備をしていたのです。
万引き、カツアゲなどを起こし警察沙汰になったこともある生徒達です。そんな彼らの出演には先生方が難色を示し、「出演をやめさせられないか」と生活指導の先生から生徒会役員に申し入れがありました。
生徒会は「彼等だけ出演を断る事はできない」と先生の主張を突っぱねました。本心を言うと、出演を絶たれた報復を自分達が受けるかもしれない、という恐怖があったからでした。
そして当日がやって来ました。私は唖然としました。
ステージで幕が上がるのを待つ不良グループは、10センチもあろうかという襟に、膝まで丈のある学ラン、ブカブカのズボン、真っ赤なTシャツと靴下、髪はリーゼントという、当時の不良が最も憧れる装いをしていたのです。
ポケットにはたばこ、幕裏で教員と喧嘩に
彼らはポケットにタバコを忍ばせていて、「まさかここで吸って見せたりしないだろうな」と不安に。
先生が出演を止めたかった気持ちがわかる気もしました。
幕はまだ上がっていませんでしたが、しばらくの間、異様な空気が講堂に漂いました。幕の奥で生活指導の先生と出演者が揉めている声が聞こえてきたのです。
この舞台をどうするか、私たち生徒会役員は苦渋の選択を迫られました。
どれくらいの時間が経ったのでしょうか。幕は私の手によってあげられたのです。
何故あげようと思ったのか覚えていません。先生が私を睨みつけるような顔でステージの袖から去っていったのは覚えています。
教員に呼び出され、不良グループと一緒に説教
始まってみると、彼らの演技はとても面白く、観ている生徒からも笑いや拍手が起こりました。
他の出し物も含め、無事に送る会は終了。
私はその後、先生から呼び出しを受け、ステージに上がった生徒達と一緒にお説教を受ける事になりました。
あれから45年経った今年、還暦祝いを兼ねて同窓会が行われました。
当時の不良たちはすっかり歳をとって柔和な感じのお爺さんになっていました。そして私を見つけるなり皆口を揃えて言ってくれるのです。
「あの時、幕を開けてくれて、俺たちと一緒に叱られてくれて本当にありがとう。
優等生だったお前が背を向ける事なく俺たちを受け止めてくれていた事、心から感謝している」
そして、当時のステージで演じている写真を見せてくれたのでした。
彼ら同士の付き合いはその後も続いているらしく、皆同じ写真を持っていました。
私が「あの時はお前たちが思っている様な、優しさとか、信念とかがあってやったことではないんだ。あの時の空気がそうさせただけなんだ」と答えると、「そうだとしてもお前は先生ではなく俺たちを選んだ」と言います。
「俺たちはあの時中学でたった1回だけどヒーローになれた。
でも本当のヒーローはお前なんだ。だからありがとう」
私も歳をとり涙もろくなりました。もう抑えることはできませんでした。
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