「入監中の南方熊楠」 和歌山・田辺の顕彰館で5月5日まで特別企画展

南方熊楠の入監を巡る資料などを展示している特別企画展(和歌山県田辺市中屋敷町で)

 和歌山県田辺市中屋敷町の南方熊楠顕彰館は、2024年春期特別企画展「入監中の南方熊楠 1910年の拘置をめぐって」を開いている。1910年8月21日、熊楠は神社合祀(ごうし)への抗議のため、酔って紀伊教育会の講習会に乱入し、その翌日、家宅侵入の容疑で勾引され、16日間にわたって和歌山監獄田辺分監で未決囚として過ごした。企画展では当時の新聞や熊楠の手記などの資料を通じ、この事件の実態を探る。熊楠の人生の中で、2週間余りの入監生活は一体どのような意味を持つものだったのかを考える。5月5日まで。観覧は無料。

 この時期の熊楠は、明治政府の政令である神社合祀令に対する反対運動に精力的に取り組んでいた。熊楠は田辺周辺の神社が統廃合され、貴重な森林が伐採されることに日々、危機感を強めていたと考えられる。講習会に乱入したのは、酔った勢いで、その会に出席していた合祀推進派の役人に面会しようとしたことが理由だった。

 入監中の熊楠の動向は、田辺地方で発行された新聞「牟婁新報」によって細かく報道された。牟婁新報は、神社合祀反対運動の協力者である毛利清雅が社主をしており、入監中の熊楠を支援する記事が掲載された。入監中に書かれた手記の中には、日々の生活や獄中でも続けられた研究活動の記録が記されている。関連の手紙や当時の公式文書のような資料も残されている。こうした資料からは、熊楠だけでなく、熊楠の協力者や家族らの動静が生き生きと伝わってくる。

 熊楠は10年8月21日、紀伊教育会主催の夏期講習会に乱入した罪で翌22日、田辺警察署に勾引、留置され、23日に和歌山監獄田辺分監に入監することになった。27日以降、数回の取り調べを受けて9月7日に釈放された。監獄における熊楠は、キノコや変形菌の観察に余念がなく、差し入れの「弘法大師全集」や「ロンドン抜書」などを筆写しつつ、釈放までの一日一日を安閑と過ごしていたとみられる。入監後ほどなく、熊楠は柳田国男著「石神問答」を入手して熟読している。石神問答の読書は、神社合祀反対運動における柳田との協力関係の一つの端緒となったという点で重要な意味を持つ。

 展示資料は、熊楠の勾引を報じた牟婁新報(1910年8月24日付、複製)や入監中の手記、ロンドン抜書(レプリカ)、監獄の熊楠に宛てた妻・松枝さんのはがき、石神問答、乱入事件を扱った漫画など約30点。熊楠を題材にした演劇の一場面(今回の企画展に関連した場面、約10分)も上映している。

 4月28日午後2時~4時半、顕彰館1階学習室で講演会「手記から読み解く熊楠の入監生活」がある。申し込み不要で定員30人。

 開館時間は午前10時~午後5時(最終入館は午後4時半)。

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