劇団四季出身、大河ドラマでも活躍 役者生活40年の俳優栗原英雄(壬生出身)に聞く 「新鮮な芝居を届けたい」 

舞台をPRする栗原

 劇団四季出身で、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」出演などで知られる俳優栗原英雄(58)=壬生町出身=が役者生活40年を迎えた。テレビドラマや映画のほか、舞台「銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件」(4月1~14日、日本青年館ホール)を控えるなど、マルチな活躍を続ける。「40年はあっという間。一生懸命なのは若い頃と変わらない。今の一番いい、新鮮な芝居を見てほしい」と意欲的だ。今後の抱負などを聞いた。

 

 -1984年、劇団四季に加入し、役者生活が始まった。どんな40年間だったでしょう。

 「今思うとあっという間。順風満帆ではなかったが、濃い時間を過ごせた。10代で四季に入り、どう生き抜くかを考えていた。当時は怖い物知らず。上昇志向が強かった」

 「少年から青年になり、20代は役者の難しさを感じるようになった。のし上がることよりも、役者としてどう生きるかがテーマになった。四季ではとっぴな芝居は許されない。作品からずれてしまうので厳格。目立とうとする先輩もいなかった。個人を応援する“推し文化”とは真逆かもしれない」

 「退団したのは2009年。在籍が長くなると役が大きくなり、お互い顔見知りになる。『外してはいけない』と取り組む中で、新鮮さは落ちる。成長し一歩進むには年齢的にもラストチャンスだと思った」

 「退団後は、守られていたことを実感した。最初はニューヨークに行った。芝居も数多く見た。私のことを知らない中でやっていく。大きい劇場だけでなく、芝居小屋でやるような少人数の作品にも出た。マイナスからみんなと一緒につくっていくのが面白さだと再認識した」

 -高校までを本県で過ごした。自身の当時と変わらない部分は。

 「興味のあることに一生懸命なところ。作品のことをずっと考え、ふとした瞬間に『作品の中』で生きている。今も立ち稽古を欠かさないし、寝る前も練習する。稽古場に一番早く入るのは、若手時代と変わらない」

 「脚本を読む時は、相手のせりふを頭に入れ過ぎないようにしている。入れ過ぎてしまうと、聞くのがおろそかになる。相手役の反応や出方があり、それを敏感に受け、そして返していく演技が大切だ」

 -劇団四季時代の経験で今も生きていることは。

 「せりふを一言一言きちんと伝えること。『ぼそぼそ話す』シーンも、本当に聞こえなくては意味がない。声のボリュームだけじゃなく、響きや息の量、抑揚や使うのどの広さ。状況によって演じ分けるのは、修業しないとできない」

 -退団から15年が経過した。劇団四季時代との違いは。

 「芝居を芝居にみせないこと。演劇は見る人の目線ごとの『カット割り』があり、劇場の大きさや特徴によって伝え方も異なる。経験からどんな演技をするか、選択の余地が増えた。『引き出し』という言葉が嫌い。一番いい芝居は、常に新鮮で空気に触れているものから届けたい」

 -大河ドラマ「真田丸」は主人公の叔父真田信尹役、「鎌倉殿-」は源頼朝の側近で鎌倉幕府の頭脳といわれた大江広元役で、三谷幸喜作品に出演した。

 「大河は1年間かけて1人の役と向き合える貴重な時間。今でも真田信尹の愛称『叔父上』と呼んでくれるファンがいる。真田信尹は賢いが、大江広元はもっと策士。クレバーで、野心や私情を挟まず、幕府に付いた人物。ドラマで通じ合った北条政子への思いは『慕情』。幕府のよりどころを支え続けたからこそ、生き残った」

 「三谷さんはその役者が生きるような、期待を込めた脚本を書いてくれる。『こうしてほしい』を押しつけず、柔軟な考え方をする。小栗旬さんは『これぞ座長』という人柄。スタッフ約100人の名前を覚えたり、おそろいのキャップを作ったり。チームをまとめてくれた。大泉洋さんは出演終了後、『何ですかあのシーン?!』と感想をくれたこともあった」

 -印象に残る俳優や共演者、影響のある作品は。

 「『ひかりごけ』では、四季の創立メンバーの浅利慶太さんや日下武史さんらと厳しい稽古を重ねた。市村正親さん、山口祐一郎さんの芝居を間近で見たことも印象深い。藤井道人監督の映画に出た時は、周りはほとんど若者たちで、とても新鮮だった」

 「これでやれる、という自信は今もない。常に手探りだし『もっとやれる』『ああじゃない、こうじゃない』の繰り返し。満足していないし、初めましての現場が楽しい」

 -「銀行強盗-」の面白みは。

 「強盗が金品ではなく、人々の大切なものを奪う作品。ファンタジーではあるが、自分の人生との共通点はきっとある。私が演じる刑事は捜査しながら自分自身も被害者である役どころ。ストーリーテラーの1人なので、冷静な部分も見てもらえたら」

 「芝居の稽古は地味なことの繰り返し。ステージはきらびやかだが、人間がその日、その時間でしかできない演技を届ける。娯楽だが、空気感も含めた芸術だと思う」

 -新型コロナウイルス禍の真っただ中では、エンタメ業界も止まった。

 「2020年、3~4カ月止まっていた舞台業界が、三谷さんの舞台『大地』で再始動した。舞台芸術は『人にとって不急かもしれないが不要ではない』と改めて感じた」

 -本県のファンへメッセージを。

 「壬生町で生まれた少年が上京して40年たった。地元で過ごした子どもの頃は、古墳の近くでよく遊んでいた。年に1、2度、お墓参りなどで栃木県を訪れる。道の駅みぶでイチゴを買って、役者仲間に配ることもある」

 「テレビドラマを見た人が、観劇してくれるのはうれしい限り。『地元の栗原さん』に興味を持ったら、劇場に足を運んでほしい」

◆栗原英雄略歴◆

 1965年生まれ。国学院栃木高卒業後、84~2009年、劇団四季に所属。ライオンキングなど人気舞台で活躍した。退団後も映画やドラマ、舞台で存在感を示す。昨年はドラマ「ONE DAY 聖夜のから騒ぎ」(フジテレビ)などに出演した。

「新鮮な芝居を届けたい」と意欲的に語る栗原
真剣な表情で稽古に臨む
「新鮮な芝居を届けたい」と意欲的に語る栗原

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