ユーミンが紡いだ島の宝 奈留高の愛唱歌「瞳を閉じて」 島民に寄り添い半世紀 長崎・五島

「瞳を閉じて」が流れる中、同級生や教え子、住民から見送られる教諭や児童ら=五島市奈留港

 私たちの校歌を作ってください-。1974年、長崎県五島市奈留島の女子高生によるラジオ番組への投稿がきっかけで誕生した「瞳を閉じて」。作詞作曲はデビュー間もないシンガー・ソングライター、ユーミンこと荒井(松任谷)由実さん。県立奈留高の愛唱歌として歌い継がれて半世紀。子どもから年配の人まで世代を超えて親しまれてきた。
 五島市福江島から北に船で30分ほどの奈留島。番組に投稿したのは侭田(ままだ)あつみさん(67)=東京在住=。当時は福江島の五島高の分校で、独自の校歌がなかった。
 きらきらと光る海面を小舟が滑るように進んで-。教室の窓から見える景色などを便りにしたためた。いくつかの偶然が重なってユーミンが制作することに。曲は結局、校歌にならなかったが愛唱歌となった。
 「♪風がやんだら沖まで船を出そう 手紙を入れたガラス瓶を持って」。島のイメージや友への思いを、美しいメロディーに乗せた曲。88年、侭田さんの同級生らが中心となり、校門近くに歌碑を建立。ユーミンの筆跡の歌詞が刻まれ、除幕式にも訪れた。教室から景色を眺め「思っていた通りの風景」と涙を流したという。

歌碑の除幕式の様子を伝える長崎新聞の紙面(1988年8月16日付)。ユーミンも奈留島に招かれた

 多くの若者が高校卒業と同時に、進学や就職で島を離れる。侭田さんもその一人。「心のよりどころであり、宝物。心の中にある島の風景と変わらない」。半世紀たった今も島民に歌い継がれ、ユーミン自身も大切に歌う曲は奇跡のように映る。
 奈留高では卒業式や全校集会の際にも校歌と一緒に歌う。県の離島留学制度で福岡市から進学し、今年巣立った渡辺海太郎さん(18)。吹奏楽部に所属し、何度も演奏した。慣れない島暮らしで戸惑いながらも友と歩んだ3年間。みんなと合唱すると、楽しかったこともつらかったことも思い出がよみがえった。「ユーミンが歌詞に込めた思いが分かる」。高校の思い出そのものである。
 曲は学校以外の地域のイベントなどでも歌われる。過疎化が進み、ピーク時に9千人以上いた島の人口は2千人を切った。歌碑建立の中心メンバーだった大久保憲二さん(67)は「島を出てもみんな歌える。これからも引き継がれていく」と語る。

「瞳を閉じて」の歌碑を見つめる大久保さん=五島市奈留町、奈留高

 春休み初日の23日、奈留港。この時期は、ターミナルから「瞳を閉じて」を流し見送るのが恒例だ。この日も離任する中学教諭や親の転勤で島を後にする児童らのため、同級生や地域住民が集まった。出発時刻を迎えた長崎行きフェリーがゆっくりと岸壁を離れる。「頑張ってください」「元気でねー」「ありがとう」。船上と結んだ紙テープが切れてもお互いに手を振り続けた。
 「♪遠いところへ行った友だちに、潮騒の音がもう一度届くように」。背後から響くユーミンの歌声が、旅立つ人たちをそっと後押しした。

© 株式会社長崎新聞社