「弟の分も人生歩む」那須雪崩事故・高瀬さん兄 手元には形見のザック 事故発生から7年

雪崩事故当時、高瀬淳生さんが背負っていたザックを手にする兄悠生さん。大切に使い続けている=25日夜、東京都(悠生さん提供)

 栃木県那須町で2017年3月、大田原高山岳部の生徒7人と教諭1人が死亡した雪崩事故は27日、発生から7年となった。東京都内で暮らす会社員高瀬悠生(たかせゆうき)さん(27)は、弟の淳生(あつき)さん=当時(16)=を亡くした。離れて生活していたからか、今でも「弟は実家にいるんじゃないか」との思いにかられる。事故後に感じたのは、悲しさよりも悔しさだった。当時は理由も分からなかったが、今は「淳生の気持ちになっていたのだろう」と思う。未来を閉ざされた無念さが募る。「弟の分もしっかり人生を歩む」。悩む時はそう自分を奮い立たせる。

 赤と黒の登山用ザックが自宅にある。雪崩事故が起きた時、淳生さんが背負っていたものだ。事故後、悠生さんは弟のザックをずっと手元に置いている。時折、登山や自転車旅で背負う。「淳生と一緒にいる気持ちになる」と話す。

 バスケットボールに熱中した悠生さんに対し、淳生さんはバレーボールに打ち込んだ。身長は4歳下の弟に抜かされた。「性格も好みも違った。淳生の方が真面目です」と振り返る。

 悠生さんは大学2年生だった16年、趣味で登山を始めた。同じ頃、大田原高に入学した淳生さんが山岳部に入ったと知り偶然に驚いた。「来年の誕生日に登山用ナイフを買ってあげよう」。その思いはかなわなかった。

 17年3月27日。雪崩事故の一報は、当時住んでいた山梨県から矢板市の実家へ向かう電車の中で母から受けた。「けが程度だろう」。予想は打ち砕かれた。弟がいなくなることが想像できなかった。

 大学生だった悠生さんは実家を離れていた。「淳生は家にいるんじゃないか」。当時も7年たった今も、不思議な思いにかられる。「2人でお酒を飲んでみたかった」「いろんな相談を受けていただろう」。一緒に登山にも行きたかった。会社員の今、後輩の姿を淳生さんと重ねる。

 雪崩事故を巡る公判、民事裁判などのほぼ全てを傍聴した。業務上過失致死傷罪に問われた生徒の引率教諭ら3被告には有罪判決を求める気持ちがある。一方、「二度と同じような事故が起きないためにも、再発防止に取り組んでほしい」とも願う。「私も淳生も、山が好きだから」

 社会人となり5年。仕事で帰宅が遅くなったり、悩んだりもする。そんな時は弟を思う。「もうひと踏ん張り、頑張らないと」。脳裏には決まって、眠たそうに家でリラックスしている淳生さんの顔が浮かぶ。

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