『ブギウギ』スズ子は永遠の存在だ! 趣里が体現し続けた“はじめて出会う”ヒロイン像

この半年間の私たちの日常は、福来スズ子の人生とともにあった。彼女はご存知のとおり朝ドラ『ブギウギ』(NHK総合)のヒロインであり、これを演じてきたのは俳優の趣里だ。同作は間もなく幕を下ろそうとしている。スズ子とは、数あるエンターテインメント作品の中でどのような存在だったのか。そして趣里とは、いまのエンターテインメント界においてどのような存在なのか。ここで改めて考えてみたい。

本作は、さまざまな角度から俳優の力量が問われる作品だった。ひとりの人間が表現者=俳優として参加する以上、どんな作品だってそうなのだが、『ブギウギ』はそれが顕著だった。いや、正確にいえば、主演の趣里をはじめとする一部の俳優に関してのことかもしれない。昭和のショービズ界を描いた本作には、たびたびステージパフォーマンスが用意されていた。むしろこれがなければこの作品は成立しない。問題なのは、どこまでやるのかということである。

私たちは日常的にステージパフォーマンスに触れる機会がある。『ブギウギ』の世界の住人のように劇場やコンサートホールにまで足を運ばずとも、テレビやインターネットにアクセスすれば簡単にそれらを目にすることができる。実際にステージに立つことができる者たちはほんの一握り。そこに至るまでに精神的にも肉体的にも鍛え上げることが求められる。しかし、鑑賞後に印象に残るのは演者の顔ばかり。撮影や編集によって、肝心のパフォーマンスをちゃんと捉えていなかったりする。

しかし、『ブギウギ』の場合はここできちんと勝負していた。もちろん、OSK日本歌劇団の面々など、本職の人々の参加に支えられた点は大きい。これによりグンとリアリティが上がったものだ。そんな人々の中でも必然的に注目される趣里たちメインメンバーは、より目立ったパフォーマンスを披露しなければならなかった。彼女たちは誰もがバレエやダンスの経験者だが、現在の職業は俳優だ。人間の身体というのは日に日に衰え、硬くなっていく。だが第1話の冒頭で陽気に脚を振り上げる趣里の姿を目にした瞬間、このドラマが間違いないものになることを確信した。実際、ステージパフォーマンスの様子が描かれるシーンでは彼女らの顔ばかりでなく、個々の身体や、ステージ全体を見ることができるものだった。

そこで動きにごまかしは効かない。大人数で連携を取りながら作り上げていかなければならないため、会話劇のシーンを作るのとはまた異なる高いハードルがあったことと思う。趣里はチームの長としてメンバーを率い、いくつものショーを私たちに提供してきた。一人ひとりが長い時間をかけて自分の演じる役とチームに向き合う朝ドラだからこそ実現させられたものなのかもしれない。この経験は趣里の今後に大きく影響するのではないかと思う。

さて、いまさらだが趣里が演じていたスズ子は、実在した“ブギの女王”・笠置シヅ子をモデルとしたキャラクターである。戦後の日本のエンターテインメ゙ント界に革命を起こし、いまだに語り継がれ愛され続ける伝説的な存在だ。これを体現する趣里の演技はじつに柔軟性に富んだもので、彼女の言動や仕草に笑わせられたかと思いきや、気がつけば頬を涙が伝っていることもしばしばあった。こんなにもパワフルで生命力に満ちたヒロインは、これまでの日本にどれくらいいただろうか。出会ったことがないかもしれない。そのような存在に思いを馳せるとき、趣里の姿が浮かび、趣里ついて考えるとき、すぐさまこの“ブギの女王”の姿が浮かぶことになっていくことだろう。福来スズ子は永遠の存在だ。

いよいよ最終話。ここには最後のステージパフォーマンスが用意されているらしい。私たちがはじめて出会ったエネルギッシュなヒロインのラストステージ。これは朝ドラ史に刻まれるものになるのではないだろうか。俳優・趣里は完全なる有終の美を飾ることになる。

(文=折田侑駿)

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