空気階段・鈴木もぐら、下積み時代を支えた甲本ヒロトの言葉「生活苦でも辛いと思ったことはありません」

鈴木もぐら 撮影/山田智絵

2012年に相方の水川かたまりとともにコンビ『空気階段』を結成、「キングオブコント2021」の王者となった鈴木もぐら。精力的にコントライブを行うだけでなく、最近では個性派俳優としても活躍中だ。そんな彼の心にある「THE CHANGE」とはーー。【第2回/全2回】

芸人を目指した僕は、夜の世界で、吉本の養成所である『NSC』に入るお金を貯め始めます。最終的に月収70万ぐらい稼げるようになったのですが、どうしてもギャンブルがやめられず、給料は“前前借り”といった状況でした。

そんな中、店の偉い人が「うちで店長になったらいい」と提案してくれたのですが、僕は「芸人になる夢を諦められないので、東京へ行きたいです」と答えました。すると「わかった。じゃあお金はこちらから出す。もし東京でダメだったらいつでも戻ってこい」とお金を貸してくれたんです。

そうして晴れて東京に。NSCで相方の水川かたまりと出会い『空気階段』を結成。でも、現実は甘くありませんでした。

家賃1万7000円のアパートに住んでいたのですが、電気代が払えず電力会社と契約を解除しました。夜になると部屋は真っ暗ですが、月明かりがあります。それに僕は基本、いつでもどこでも寝られるタイプ。貧乏でも生活苦でも辛いと思ったことはありませんね。

なぜなら、芸人になった時点で、僕の夢は叶っていたからです。『ザ・クロマニヨンズ』の甲本ヒロトさんがおっしゃっていました。「ロックンロールは始めた時点で夢が叶っている」と。僕も芸人をやっているだけで、幸せだったんです。

その後、幸運なことに、少しずつバラエティ番組に呼んでもらえるようになったり、冠ラジオ番組『空気階段の踊り場』(TBSラジオ)が始まったりと、お仕事をいただけるようになりました。

今は仕事で「脳汁」が出せるのが嬉しい

僕らは、周りの芸人と競い合う、お笑いの賞レースが苦手でした。『キング・オブ・コント』も、「出場は今年でやめよう」と相方と決めていた最後の年で優勝できたので、喜びも一層でした。

忙しくさせていただいている今でも、合間をぬって、パチンコに競馬にと、ギャンブルはずっと続けています。ユーチューブでパチンコの番組をやらせていただいたりと、今はお仕事で“脳汁”が出せるのも嬉しいですね。

ちなみに、大負けの中で印象的だったのは、22歳のときのことです。ポルトフィーノという良血馬に武豊ジョッキーが騎乗するとなり、「これは絶対勝てるぞ」と、60万円ぐらいの給料を全部突っ込んだんです。

すると、ゲートが開いた瞬間に、武ジョッキーが落馬。ポルトフィーノは空馬の状態で1着になったんですよ。とはいえ当然、失格。びっくりしました。こんなこと現実に起こるんだって。その月の生活費は借金しましたね(笑)。

お笑いの頂点って何? を自分なりに定義するなら、「ヘコんでいる人さえも笑わせることができる芸人」だと思うんですよね。今後の目標は、できれば日本国民の全員に僕たちの単独ライブを見てほしいです。笑わせます!

鈴木もぐら(すずきもぐら)
1987年5月13日生まれ。2012年にコンビ『空気階段』を結成。16年に『マイナビLaughter Night』(TBSラジオ)の第3回チャンピオンライブで優勝し、冠特番を獲得。この放送が好評を博して17年4月に『空気階段の踊り場』としてレギュラー化した。同大会では2連覇を達成している。『キングオブコント2021』王者。吉本興業所属。

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