谷山浩子、新曲への「谷山さんらしいですね」というスタッフの言葉を「要注意」と考える理由

谷山浩子 写真/能美潤一郎

シンガーソングライター・谷山浩子の歌声に魅了されない者はいない。『まっくら森の歌』や『恋するニワトリ』といった、『みんなのうた』(NHK/Eテレ)でおなじみの楽曲から、斉藤由貴へ提供した楽曲『土曜日のタマネギ』など、アイドルから声優まで幅広いプロデュースを手掛けている。今年でデビュー52年目を迎えるシンガーソングライター、谷山浩子の人生の転機とは?【第3回/全6回】

惜しまれながらも2015年に閉館した『青山円形劇場』。文字通り円形のステージを、360度すべての方向から観客が取り囲む。谷山さんは、この円形劇場で『101人コンサートスペシャル』を定期的に開催していた。

『101人コンサート』は、観客100人と谷山浩子さん1人を合わせて「101人」という発想で、「屋根と電気さえあればどこでも行きます」というコンセプトで行われたコンサート。87年から01年まで行われた。

「円形劇場でのコンサートの打合せで演出家が、ビートルズの『Let It Be』のPVみたいにミュージシャンがそれぞれ内側を向いて演奏をしているのを、お客さんが外側から見ているスタイルはどうかと提案してくれました。

円形のステージだったら、演者が外側を向くのが普通だと思っていたのですが、ビートルズと聞いてイメージが浮かびました。リハーサルと同じスタイルなのでリラックスして演奏できました」

360度、観客がステージを取り囲むコンサートでは、意外な感想も多かったという。

「私の姿がよく見えなかったっていうお客さんもいるのですが、“ピアノを弾く手元が見えて嬉しかった”とか、“ミュージシャンの楽器のケースに領収書が入っているのが見えました”とか、円形ならではの楽しみ方があったみたいです。

私も『101人コンサート』を経験していたので、このようなステージもできたんだと思います。コンサートではお客さんの顔が見られることが嬉しい。ライブを喜んでもらえることが励みになっています。でも初めて見に来た方に“歌がCDと同じ!”って言われたりして、“それはどうなんだろう”って思ったりもしますが(笑)」

「なんでこんな歌を作ったんだろう?」と思うことも

――生歌と実際の歌唱が同じって、すごいことですよね。

「でも、自分でも“なんでこんな歌を作ったんだろう?”って思うような、難しい曲もあります。 “メロディをこうしたい”っていうのを優先してしまうので、結果的にめちゃくちゃ歌いづらくなってしまった曲もあります」

谷山浩子 写真/能美潤一郎

谷山さんのプロとしての姿勢はつねにシビアだ。

「コンサートは、音響や照明などの演出があるので、自分では出来が良くなかったなって思っても、ファンの方のアンケートでは“すごく良かった”って書いてあったりするんです。

“そんなに最高なコンサートだったかな”と思って、あとで音源を聞いたら“どこが最高なの……”って頭を抱えるような出来だったこともあるんですが。コンサートは、色々な演出の部分にすごく助けてもらっているって実感しています」

谷山さんが提供した楽曲として外せないのが、斉藤由貴さんの『土曜日のタマネギ』や『MAY』(共に作詞)のような名曲の数々。どのようにして誕生したのだろうか。

「じつは彼女に歌詞を提供する以前にも、アイドルの方に依頼されたことが何度かあったんです。その頃はアイドルっぽい感じの歌にしようと頑張ってました。でも、由貴ちゃんに関しては、本人が不思議な雰囲気の方だったので、わりと自由だったんですね」

今でこそ様々なジャンル、世界中の楽曲にアクセスしやすい状況だが、歌謡曲全盛期の時代において谷山さん風の楽曲に馴染みが薄い人も多かった。

「歌詞は“なにこれ?”っていう人がいないものにしようと思っていた。でも、由貴ちゃんが歌番組で『土曜日のタマネギ』を披露していたら、“タイトルが変わってますよね”って言われていたんです(笑)。やっぱり自分のものさしは、他の人とは違うんだなって感じました」

楽曲提供時に気を付けていること

また、声優で歌手の岩男潤子さんは、谷山さんの作詞作曲による楽曲を多く歌っている。かねてから作詞作曲家になりたかったという谷山さんにとって、岩男さんはどのような存在だったのだろうか。

「もともとは彼女が私のファンだったんです。そこでディレクターから“プロデュースしてみませんか?”と声をかけられました。最初は、“プロデュースなんて私にできるかな”って思ったんですが、トライしてみました。

彼女の1枚目のアルバムはすごくアイドル声優っぽい雰囲気だった。2枚目は斎藤ネコさんプロデュースで、私も2曲ほど書かせてもらったのですが、全体的に実際の彼女以上に大人っぽい内容でした。3枚目を私がプロデュースするにあたり “大人っぽい歌はこれから先にいくらでも歌えるから、20代の今のうちに思いっきりかわいい歌を歌おう!”って提案して、かわいいほうにイメージを寄せた歌を交えて、アルバムを作りました」

谷山さんの楽曲提供には、彼女なりのポリシーがあった。

「谷山浩子が歌うんだったら、どんな変な歌になっても自分の責任。ファンの方も受け止めてくれるので大丈夫ですが、提供曲の場合は相手に迷惑を掛けてはいけないって思っています。だからできるだけ多くの人に意味が伝わるように気をつけています。

歌詞については、ファンの方から嬉しそうに“わからない”って言われたりもします。そういうのはいいんですが、SNSなどを見ていると、普通に伝えたいことが伝わっていないと感じるケースが結構あって。だからスタッフの人に新しくできた曲を聞いてもらっています。その時に“谷山さんらしいですね”っていう言葉が返ってきたら、要注意。

たぶん、“〇〇さんらしい”って言葉って、誉め言葉ではないと思うんです。“良くない” というわけではないけど、その人にとってピンとこないとか、良し悪しを判断できないときに出てくる言葉だって受け止めています」

「どこまでが理解されるのか」を考えて作品を作る

――すごく自分のことを客観視されているのですね。

「自分では社会性が欠けているタイプだと思うので、世の中の人たちにどこまでが当たり前で、どこまでが理解されるのかっていうことについては一生懸命考えます。多様性の今の時代だったらどこまでいけるかと考えたりもするのですが、限度はあるなって感じていますね」

近年は、声優で歌手の上坂すみれさんの楽曲も手掛けている。

「上坂さんも私のファンだと言ってくれて、コンサートを見に来てくれたんです。彼女はロシアが好きだったので『無限マトリョーシカ』っていう曲を書きました。ロシアっぽいイメージを意識しました。

彼女のディレクターさんからの依頼が“不思議な森みたいな場所に、怪しい人形やキノコがあるイメージ”って言われたので、“任せてください!”って返しました。ディレクターさんの想定の斜め上をいってしまったかもしれませんが。

その後には、コンサートのゲストにも来てもらいました」

自身の楽曲への反響は、どのように受け止めているのだろうか。

「自分の曲への反響がわかるのって、最近ではSNSが中心なので、どういう年齢層の方が聞いているのかがわからない。でもキャラクターとかのイメージソングを探した時に私の曲を挙げてくれる方もいて、そういう聴き方をされているのは若い世代だと思います。

あと、好きなミュージシャンを聞かれて、“古い人なので知らないかもしれませんが、谷山浩子さんです”って紹介しているのを見ると、嬉しいけれどちょっと待てってなりますね(笑)。でも、私のようなタイプの歌を作る人が若い頃はあまりいなかったのですが、今は同志が増えてきたっていう実感があります」

最後に、今後の目標を聞いた。

「コロナ禍の影響もあって、今までそんなにコンサートができなかったので、行ける範囲で、もっと皆さんに会いに行けるようにコンサートをやりたいって思っています」

谷山さんは歌うことが根本的に好きな人ではないのだろうか。インタビューを通して感じた、歌うことへの情熱。それが長きにわたる音楽活動の原動力になっているに違いない。

谷山浩子(たにやま・ひろこ)
1956年8月29日生。神奈川県出身。シンガーソングライター。中学在学中からオリジナル曲を作り始め、1970年にベイビー・ブラザーズのシングルで作詞作曲家としてデビュー。1972年4月25日、アルバム『静かでいいな 〜谷山浩子15の世界〜』とシングル『銀河系はやっぱりまわってる』で一度目のデビュー。1974年『第7回ポピュラーソングコンテスト』で『お早うございますの帽子屋さん』が入賞。同曲で翌年、再デビュー。1977年シングル『河のほとりに』をリリースし、3度目のデビュー。以後、「オールナイトニッポン」をはじめとするラジオ番組のパーソナリティ、童話、エッセイ、小説の執筆、全国各地でのコンサートなど、精力的に活動中。

© 株式会社双葉社