純喫茶のはずが…歌って、踊って、泣き笑いのスナック半世紀 名曲と振り返るママの歩み

店のカウンターでマイクを手におどける中田人美さん=スナック「ヴィガー」

 ♪知らず知らず歩いて来た細く長いこの道(美空ひばり「川の流れのように」)。三木市大塚2のスナック「ヴィガー」が3月で営業50周年を迎えた。純喫茶でオープンしたはずがスナックになり、歌って、踊って、泣き笑いの半世紀。ママの中田人美さん(70)が夫と二人三脚の道のりを語った。(小西隆久)

 高校生の時に知り合った6歳年上の夫(勝彦さん)と20歳で結婚。夫の「2人で何か商売しよか」の一言が店の始まりやった。

 1975(昭和50)年3月18日。開店祝いに集まった夫の友人たちで深夜まであふれかえり、純喫茶のはずが、スナック状態。「それなら」と日中は喫茶・軽食、夜はスナックの二枚看板でいくことにした。水割りの作り方も知らんかったのに…。朝8時に開けた店の明かりは、日が変わっても消えなかったわ。

 ♪やっと店が終わってほろ酔いで坂を下りる頃 白茶けたお天道が浜辺を染め始めるのさ(ちあきなおみ「かもめの街」)

 店を開けた年の7月、長女を授かり、2年後に次女も生まれた。子供の入浴は夫に任せ、私はエプロン姿でカウンターに立った。睡眠時間は連日3~4時間。

 当時は景気もよかったし。えべっさん(えびす祭)の日なんか、朝6時から店開けて昼はおでん定食とかの軽食を出して。夜は近所の人が飲みに来てくれた。「何屋やねん」って感じ。夫と「えべっさんが年2回あったら大繁盛で、他の日の昼間は寝とけるのにな」と笑ったほど。若かったからできたんやね。

 ♪俺とおまえで苦労した 花は大事に咲かそうなぁ おまえ(村田英雄「夫婦春秋」)

 夫と昨年、金婚式に出たわ。出たがりの私と、あまり前に出ない夫やからうまくやってこられたんやと思う。50年も一緒におったら空気みたいなもんやで。

 阪神・淡路大震災があったんは布団に入って間もなく。すごい揺れで「何やこれ」って。店は塩の瓶が1本落ちたぐらい。でも、神戸は大変やったよね。

 歌も出したんよ、私。1998(平成10)年11月、金物まつりと共催の全国歌謡チャンピオン大会で優勝したら、神戸からセミプロの男性グループが訪ねてきて。歌ったら「ええやん」って。キングレコードから「ひとみ&ヒマナシ4」名義でCDを出したんよ。

 ♪〈男〉思い出なんて ひきずらないで 〈女〉生きてゆく わたしはひとり(ひとみ&ヒマナシ4「愛の木枯らし」)

 10年ぐらい、会社の宴会やらヘルスセンターやらで舞台に立たせてもらった。でも元々、歌は嫌いやってん。ハスキー通り越してしわがれ声なんて言われたこともあったし。でも、ポリープの手術4回したら高い声も出るようになったわ。

 店が苦しくなったんは15年ほど前から。いろいろあってね…。でも同じ場所で50年もやってこられたんは自慢できるかな。友だちもいっぱいできたし、おしゃべりも上手になったし。あ、それはもともとか。とにかくいろんなこと経験できて幸せやなって。

 ♪恋をして悩んだりありふれた人生 こんなにも幸せに何故だかなれることが そう不思議-(保科有里「ラブ・バラード」)

 17日に50周年の記念イベントやってん。60人ぐらいのお客さんが歌ってくれた。でも、古い常連さんのほとんどはお星様になっちゃった。主人が「もうやめよか」って言うけど、私、まだ元気やし。もうちょっと続けてみよかって。ほんま、幸せもんやわ。

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