思い新たにそれぞれの道へ 那須雪崩事故7年 生還の元部員、仲間らに哀悼

事故現場近くを訪れた内田さん。8本の線香を供えた=27日午前10時25分、那須町湯本

 那須雪崩事故から7年がたった27日、雪崩に巻き込まれ生還した大田原高山岳部の元部員2人が那須町の現場近くを訪れ、仲間らに哀悼の意を表した。当時1年生の三輪浦淳和(みわうらじゅんな)さん(23)と同2年生の内田志春(うちだもとはる)さん(24)。大切な友や教諭と別れた場所に毎年足を運び、思いを新たにしてそれぞれの道を歩んでいる。

内田さん・講演会で経験伝える

 「そこに行くと、皆の魂がある気がします」。7年前の登山講習会で、内田さんは雪崩に遭った1班の先頭を歩いていた。事故後は毎年、命日に雪崩が起きた斜面に赴く。亡くなった8人の顔や声を一人一人思い浮かべ「忘れてはいけない」と心に誓う。

 ただ今年は、その手前の「一本木」で足を止めた。新しい雪が積もり、雪崩が発生しやすい状態と判断したためだ。この日は一本木で8本の線香をたむけた。

 当時、雪に流され重傷を負いながら一命を取り留めた。班をリードしていた身として「正しい知識があれば雪崩事故は起こらなかったかもしれない」と口にする。昨年11月、雪崩事故防止を目的とした講演会で自身の経験を伝えた。「生き残った者として自分のやるべきこと」と考えている。

 災害の勉強をしようと、高知大に進学。今月、同大大学院を卒業し、4月から土木関係の企業に就職する。来年以降も可能な限り、命日には事故現場に来ようと思っている。「ここに来て戒めを心に刻む」。迷いのない真っすぐな表情で決意を語った。

三輪浦さん・風化防ぎ、啓発に尽力

 降り積もった雪を一歩一歩、踏みしめた。7年前、雪上歩行訓練を行ったスキー場のゲレンデ。三輪浦さんは「今年は雪が多く当時の状況に近い」とこぼした。中腹にある「一本木」に献花し、両手を合わせた。

 あの日。一本木から樹林帯を登り、その先の斜面で雪崩が起きた。自身も1カ月の重傷を負った。つらい記憶が残る地を毎年訪れるのは、仲間に「節目節目であいさつしたい」との思いから。「みんなの家族や友だち、この辺の山に来る人も見守って」と願う。

 大学を卒業し、4月から大学院に進学する。年齢を重ねるにつれ、事故の見え方も変わってきた。山岳部の顧問らが被告となった刑事裁判については「複雑です」と話す。

 身につけた上着の胸と左腕には「ASSH」(雪崩事故防止研究会、札幌市)のロゴ。事故後に入会し啓発活動に関わる中、「7年間やってきたことが土台になりつつある」と感じる。

 「事故のことを発信し、思い出してもらうこと、風化を防ぐことが存在意義」。今を生きる自分の役割を問い続けている。

雪崩事故があった現場近くで献花し手を合わせる三輪浦さん=27日午前8時50分、那須町湯本

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