【インタビュー】HALLEY、<SXSW>で確かな収穫を持ち帰った気鋭バンドの展望を聞く

早稲田大学の音楽サークルTHE NALEIO(ナレオ)で出会った5人が結成したバンド、HALLEY(ハレー)。同サークルはいわゆるブラックミュージックに特化しており、King Gnuの勢喜遊やBREIMENの高木祥太など、技術力に定評のあるプレイヤーを数多く輩出している。HALLEYの面々もその例に漏れない実力者揃い。

アルバムのリリース経験もない異例のタイミングでテキサス州オースティンにて開催された<SXSW>(サウス・バイ・サウスウエスト)にHALLEYは出演し、確かな収穫を持ち帰った。今回は張 太賢(Vo)、高橋 継(Ba)、清水 直人(Drs)に、3月8日にリリースされた1stアルバム『From Dusk Till Dawn』を通して、バンドの成り立ちや今後の展望について(ほとばしる音楽マニア談義も交え)語ってもらった。

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■メンバーの音楽的ルーツ

──皆さんの出会いはTHE NALEIOなんですよね。

清水 直人(Drs):3年生のときに今日いる年長組3人が同時にTHE NALEIOに入ったんです。

張 太賢(Vo):僕と直人は他大生なんですけど、お互いに自分の大学の先輩からTHE NALEIOの存在を教えられて、入りたい気持ちが大きくなっていった大学2年のときにコロナ禍が始まって。

──なるほど、それで入部が遅れたところもあるんですね。

直人:そうですね。僕にとっては勢喜遊さん、継にとっては高木祥太さんという、それぞれのパートに尊敬すべきヒーローがいて、憧れの場所でした。

高橋 継(Ba):THE NALEIOはちょっと変わってて、何年生でも入部したときから3年間在籍というシステムで。だから僕ら3人は入部時点で3年生でしたけど、4年生になる年齢を過ぎても在籍し続けてました。

太賢:社会人もいるし、僕らも含め他大生もたくさんいて、藝大生や音大生もいます。

直人:インカレサークルのレベル100みたいな感じだよね。

太賢:文化的な熱量がすごい場所なのは間違いないと思います。

──文化というと、皆さんのバックボーンというか、音楽的なルーツについて伺いたいです。

太賢:僕が最初に自分で意識して聴くようになったのはK-POPだったと思います。

──第2世代あたりですかね。

太賢:まさにです。BIGBANGとか東方神起とか。女性グループだと少女時代、KARA、2NE1とかの時代ですね。日本でいうオリコンチャートみたいな、韓国のMelonチャートというやつのTop100をずっと聴いてました。あと、お父さんの影響でドゥルグッファっていうバンドを中心に、韓国のロックも。キム・グァンソクとか、ユ・ジェハというSSWや、無限軌道というバンドがいて、そのメンバーのシン・ヘチョルは韓国の伝説的なロックスターなんです。そういうのも聴いてましたね。

──今のところ、HALLEYに繋がるいわゆるブラックミュージックの系譜は感じられませんね。

太賢:ブラックミュージックに入っていったのは、さっきのK-POPの流れで韓国のR&Bに触れたのがきっかけです。Zion.T、DEAN、Crushをはじめとして、弘大(ホンデ)のR&Bシーンが盛り上がっていた頃だったんです。あとは当時「SHOW ME THE MONEY」っていうラッパーのコンテストが一大ブームになって、ヒップホップが韓国のメインストリームに躍り出た時期だったんですね。R&Bとヒップホップってお互いにフィーチャリングし合う密接なジャンルだから、そっちにもどっぷり浸かって。

──日本では知られていないことばかりです。韓国ポップミュージックの豊かな歴史を感じます。

太賢:今振り返っても、当時の韓国ヒップホップはアジアの中では最先端だったと思います。J・ディラの系譜のビートが当たり前のように使われていたりとか。

直人:僕らも太賢に当時の音楽を聴かせてもらって「こんなの2016年とかにやってたの?」って痺れることがありますね。

太賢:あと教会育ちなので、子供の頃からずっとゴスペルを聴いて、歌っていました。

継:自分も太賢と同じく教会育ちです。親が牧師だったので。讃美歌と、CCM(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)やゴスペルが自分のルーツです。クリスチャンの子供が集まるキャンプでCCMの曲を知って、親に頼んでCDを買ってもらって、教会のお昼の時間に流してみんなで盛り上がった思い出があります。それと、中学生の頃から教会で伴奏としてベースを弾いていたのも大切な経験だったと思います。牧師の子供たちのミュージシャンコミュニティがあって、ゴスペル由来の音楽を習っていたんですけど、今その人たちは三浦大知さんやGENERATIONS from EXILE TRIBEのバックで弾いています。

太賢:ゴスペルに関しては継が一番深いですね。

継:同級生が聴いてるような邦ロックを経て改めてゴスペルに戻ってきたときに、ああやっぱり俺ってこういうものが好きなんだって気づいて。ゴスペルやスムースジャズ、フュージョンなど、いわゆるブラックミュージックに系統して高校を過ごしました。でもそこまでは、エンジョイ勢というか。本気で音楽家としてやっていくつもりはなかったです。静岡の田舎だったせいか、音楽に詳しい人もあんまりいなくて。周りはみんな『君の名は』のアルバムを聴いてましたね。

直人:僕が一番最初に自分で選んだ音楽はマイケル・ジャクソンでした。小学2年生の頃に彼が亡くなって、訃報とともに楽曲がテレビでよく流れていたんです。それを聴いて好きになって。マイケル・ジャクソンってバックバンドへの指示出しのときなんかに口でビートを歌って指示することがあるんですけど、よく兄とそのものまねを競ってたんです。自分のビート人間としてのスタートはそこだったんだなって今喋りながら思い出しました。当時は言語化できてなかったけど、「体にズンズン来るこれ、好きだな」っていう感覚はあって。小学校高学年になると吹奏楽部に入って、そこでドラムを始めました。中学ではクラスにギターをやってる奴がいて、一緒に高校の文化祭でバンドをやりました。その頃はみんなが聴いてるONE OK ROCKとかRADWIMPSとかを弾いてて。

──ブラックミュージックと出会うのは大学以降?

直人:完全に大学の軽音サークルがきっかけですね。自分の大学の軽音サークルに入って、サークルの最初のライブでKing Gnuをコピーしたんです。そしたら「ギラギラした1年生がいるぞ」ってことで、サークル内のジャズ・ファンクをやってる奴らとか、ゴスペルサークルやビッグバンドサークルから声がかかるようになって。

──ドラマーってそうですよね。あいついいぞって話が広まるとほうぼうから誘われて。

直人:ですね。そこから聴く音楽もガラッと変わりました。心から楽しいと思えるジャンルを見つけたって感じでしたね。

■THE NALEIO入部、メンバーとの出会い

──ここまで皆さんの音楽遍歴を伺ってきましたが、いよいよここからTHE NALEIO入部、そして出会いということですね。

直人:そうですね。サークルを掛け持ちして楽しくやってたらコロナ禍に入って、突然まったくバンドができなくなっちゃって。コロナ禍の1年目は人生で一番音楽を聴いていた期間でした。スナーキー・パピーのメンバーがやってるゴースト・ノートっていうバンドにハマってずっと聴いてました。あと、『ブルーノート・リイマジンド』っていうコンピレーション。UKジャズシーンの人たちを呼んでジャズのスタンダードを再解釈しようっていうアルバムです。

──いわゆるロバート・グラスパー以降のジャズというか。

直人:まさにそういう感じです。

継:本当にそればっか聴いてて、その話するのバンドで禁止になったよね。

直人:うん(笑)。

継:僕はコロナ禍の最初の年、実家の静岡に帰ってました。で、地元にドラムをやってた友達がいて、毎週課題曲を決めてそいつとセッションするっていうのをやってたんです。次の週までに上手くなったのを見せたくて、その時期にだいぶ弾き込みました。ベーシストとして大きな財産になったと思います。その頃にKing GnuやBREIMENも知って、THE NALEIOいいなあと思うようになって。コロナ禍が落ち着いた頃に東京に戻って、そろそろTHE NALEIOに入ろうかなってときに太賢から連絡が来て。

太賢:元々教会の繋がりで知り合いだったんです。

継:「THE NALEIO入らない?」って。こんな偶然あるんだ、って思いましたね。

直人:その頃には僕と太賢、心(西山 心/Key)と晴(登山 晴/Gt)はTHE NALEIOで出会ってて。ベースだけ見つからないってときに、太賢がクリスチャンの学生団体の友達で一人ベーシストがいて、好みも近いよってことで。

継:それまでは日本のR&Bやファンク系の音楽に少し詳しいくらいで、HALLEYと出会ってから一気に海外のR&Bを摂取しました。

太賢:それはお互い様だよね。みんな聴いてきたものが絶妙に違うから、ドッキングしたときにそれぞれ衝撃を受けた。

直人:そうだね。晴は音楽の入りがメタルで、そこからラウドロックを聴くようになったいっぽうで、ジャズやレアグルーヴに詳しくて、石若駿さんも好きで、本当に雑食。心は心で、元々歪んだギターの音がすると顔をしかめるような人で。

太賢:そうだったね(笑)。

直人:そういう尖り方で、ギター嫌いだったんだけど、THE NALEIOに染まってジャズを聴きこんで、巡り巡って今ではギターが一番かっこいい、とか言ってて。この間も自分のクラビネットを歪ませて楽しそうにしてました。

太賢:僕はゴスペル経由でファンクやネオソウルに行ったから、当時グラスパーに触れてなくて。そこを教えてくれたのは心。グラスパーだけじゃなく、グラスパーがフィーチャーする人たちもです。ミュージック・ソウルチャイルドとか、インディア・アリーとか。

直人:ほかにもブラックミュージックの有名どころ、エリカ・バドゥ、ディアンジェロ、ビル・ウィザースとか、我々は聴いてきてなかったんですよね。そういうメインストリームのところをTHE NALEIOとHALLEYに教わったって感じですね。

太賢:全員尖ってて、全員ちゃんと真ん中を通らずに来た(笑)。

──ここまでお話を伺ってきて印象的なのが、皆さんが「HALLEY」を一人の人間のように語ることです。自分自身のことでありながら、独立した個のような感じなんでしょうか。

太賢:ああ、HALLEYという音楽の人格はあるよね。自分も当事者だけど、自分は5分の1というか。

継:うんうん。それはある。みんなの好きな音楽を共有した、その集合体というか。

直人:みんなが自分の好きな音楽をどんどん確立していく経過を見てるし、その過程でお互いに影響し合ってるので、溶け合ってる部分もあるのかもしれない。

太賢:僕も最近ビートメイキングするときは、直人の手癖が入ってきちゃってるんだよね。ベースラインを作るときも継の音がずっと頭の中で鳴ってる。

継:似てるよね、最近作るものが。

太賢:ギターもピアノもそう。さっき5分の1と言ったけど、残りの5分の4も自分だと思えてしまうようなところもある。

直人:逆に5分の1の方にみんなが入ってきてるって感覚もあるな。さっき晴と心の紹介をしたけど、自分のことのように喋っちゃうところがあって。

■教会とその文化が生んだバンド

──太賢さんの声は、歌声はもちろん、こうしてお話していても低域の豊かなエッジヴォイスの立った響きが印象的です。そうした発声はやはりゴスペル由来のもの?

太賢:そうですね、指導とかトレーニングって形ではないんですけど、恥ずかしがらず心を解放して大声を出して歌うということを日常的にやってましたから、間違いなくそこで培われたものだと思います。プロテスタントにもいろいろあって、僕の育ったところはチルい感じの曲がない、熱量が高いというか。フルゴスペル(純福音)というもので、大声で愛を叫ぶ曲が多いんです。そこで歌における表情の付け方を学びました。そういうのって言語だと思うんです。

──発音が違うと意図した通りに言葉が伝わらないように、歌には歌の言語体系がある、といったことでしょうか?

太賢:そうですね。教会では隣の人が泣きながら歌ってたりするんです。その中で育ったので、こういう情景を表現したいときの息の量はこれくらいで、といった、歌における言語を学び取ってきたと思います。

──継さんも、中学生の頃から教会で演奏していたんですよね。

継:そうですね、ステージだけど緊張感はないんです。みんな知ってる人で、のびのびと弾ける機会が日常的にあって。今思えば本当にいい経験をさせてもらったなって思います。

太賢:教会ってそういうところだよね。僕も小学生の頃にステージに上がってクリスマスの生誕劇で歌って踊ってたけど、緊張というのはない。

──表情を見ていると、教会という場所が太賢さんにとって本当に幸せな場所なんだなと伝わってきます。

太賢:そうですね。なんて言うのかな、教会のコミュニティって親戚に近いんですよね。中学生くらいまでは在日韓国人の教会にいたんですけど、そこって全員がおじとおばみたいな感じで、もう愛されまくって育って(笑)。子供はコミュニティみんなで育てるって意識が強いんですよね。

──教会で受け取った愛や教えが歌詞に反映されている部分はあると思いますか?

太賢:完全にそうですね。教会で教えてもらったもので形成されてますね。

──ここ数年、日本ではいわゆるブラックミュージックの影響を感じさせるバンドが顕在化してきていますが、教会育ちという文化的ルーツのあるメンバーがいて、ゴスペルの精神性の部分まで踏襲しているバンドはなかなか珍しいように思います。

太賢:そうですね、自分の声も音楽も、すべては与えられたものだっていう認識だとか、なんのために音楽をやって、なんのために生きているのかというマインドセットは教会で学びましたね。

■<SXSW>の手応え

──遅ればせながら、<SXSW>への出演、お疲れ様でした。オーディエンスの反応はいかがでしたか?

太賢:熱かった……。

直人:本当になんか……気持ちよかった。

太賢:なんだろう、家みたいでしたね。まったくアウェイ感がなかったです。

直人:僕たちは好きな音楽がUSやUKのものばかりですけど、自分たちの音楽が向こうでどう聴かれるのかってのはやっぱり不安で。

太賢:他の日本からの出演者は、パフォーマンスに独特な持ち味のあるバンドが多かったんです。そういうバンドのほうが受け入れられるのかなというのは思っていたんですけど、僕らのときはただ音楽に湧いてくれた、ちゃんと伝わった感じがして。

直人:成功体験だったのは、僕らのやるR&Bが向こうの人たちの耳にもR&Bとして伝わっているんだってことです。自分たちの聴いてきたものがちゃんと言語化できてるんだなって。

太賢:僕らは英詞ばかりなので日本語の物珍しさもなく、普段と変わらない格好でステージに上がったので見た目の鮮やかさもなく、音楽性としても目新しいものではない。彼らの聴いてきたR&Bと似ているけど絶妙に違う、というところが、不気味の谷みたいな感じで嫌がられたりするのかなと思ってたんですが、そんなことはなくて。

継:人もパンパンに入ってて。「本当にいいときの反応」ってわかるじゃないですか? 「マジでやばい!」みたいなことを言ってるんだろうなってのが目に見えて。

太賢:他のオースティンのバンドを観て回っても、ちゃんと同じラインで戦えてるんだなって実感を持って帰れた。

直人:Instagramで現地の人が投稿してるのを見たんです。オースティンで観たいいバンドが羅列してあって、他の現地のバンドと横並びでHALELEYの名前があったんですよ。それがうれしかったですね。

■『From Dusk Till Dawn』について

──1stアルバム『From Dusk Till Dawn』がリリースされましたが、こちらはどのようにして制作が進んでいったのでしょうか。

▲アルバム『From Dusk Till Dawn』

太賢:アルバムの構想前からあった先行曲を回収する形で「From Dusk Till Dawn」という曲を作りました。映画からタイトルだけ借用して、僕らなりに構想を膨らませて。

直人:一番軸になっているテーマは時間。中でも特に曖昧な時間です。Dusk(夕暮れ時)とかDawn(明け方)とか。

──「朝」「夜」とわかりやすい時点ではなく、グラデーションの時間帯というか。

直人:そうですそうです。夕暮れ時と明け方って似たような空模様だったりしますよね。そういうどっちとも取れるような曖昧さを大事にしたくて。

高橋:太賢が白昼夢っていうコンセプトで作った曲があって、それを活かす形でアルバムの1曲目の「Daydream」ができました。

太賢:「Daydream」は夕日が語りかけてくるという曲、対して11曲目の「From Dusk Till Dawn」はSunshine(陽だまり)に語りかける曲で、対を成しています。曖昧な時間の中で生きている僕たちをありのままに、音楽を通して語っている。そういうアルバムです。

──通して聴かせていただきましたが、朝の情景を歌った曲の後に昼、夜と続く構成ではないですよね? 曲順は時間の経過とリンクしないんだなと。

直人:そうですね。それこそ曖昧な時間の流れを表現したかったので、朝、昼、夜という順番にはしたくなかったんです。それと、音楽的な繋がりもいいものにしたかったので、両面ですり合わせていった感じです。

太賢:いろいろ考えて最適解がこれって感じですね。

直人:今回のアルバムの前に出したEPは『Daze』。目の眩む光というニュアンスから、聖書の「光あれ」という一節にも繋がる。そういう部分は大事にしたくて。

継:まず光があったから、同音異義語のDays=日々が始まる。そこからより時間というものにフォーカスしていったのが今回のアルバムですね。

太賢:今回は曖昧な時間というものをテーマにしましたけど、曖昧なものって、ディテールが込んでいるから曖昧なんだと思うんです。

──ぼんやりと作ったから曖昧なんじゃなく、きめ細かく情報量が詰まっているから曖昧なんだと。

太賢:そうです。だから、1曲1曲を見ると細部がすごく作り込まれたものになっているはずです。

──サブスクリプションの時代になって、アルバムという単位が有効でない場面が増えているかと思いますが、今後もこういったコンセプトに則った作り込みをしていく?

直人:したいですね。

太賢:今思ったけど、直人ってかなりアルバム単位で音楽を聴いてるよね。1人のミュージシャンの作品すべてをひとまとめに語るんじゃなく、「このアルバムが好き」っていうのをしっかり持ってるというか。僕らもその影響を受けてると思う。

継:確かに。

直人:そうかもしれない。なんというか、僕らは全員考えるのが好きなんですよね。正しいことを考えているかは別として、考えること自体が好きで、やめられないというか。だからアルバムを作るってなったときにコンセプトを考えないわけにはいかない、みたいなところがあると思います。

──では、最後に今後の展望を聞かせていただきたいです。

直人:世界中で聴かれたいですね。あと、「Isn't She Lovely」や「The Chicken」みたいに、自分たちの作った曲がセッションの定番曲になってほしい。

──それこそ、数十年後のTHE NALEIOで演奏されているかもしれませんね。

直人:そうですね、まずはコピバンやってほしいですね。

継:僕は、アジアのいろんな国でライブがしたい。あとは自分の好きな人たちと対バンしたい。ブルーノートで来日公演ってなったときに「一緒にやろう」って声かけてもらえるような。

──具体名、言っておきましょう。

継:そうですね、スノー・アレグラ、UMI、フォニー・ピープルとか、一緒にやれたらうれしいです。

太賢:僕個人的には、今以上にヴォーカリストとして対話できる人になりたい。もっと繋がれる歌を歌いたいです。今はどうしてもマスクをしてる人が多くて、表情が見えないことが多いですよね。それでも歌を通してあの人の心が見えるなって思えるところに行きたい。あとは継の言ったこととかぶりますけど、韓国と台湾でやりたい。

直人:僕らは「アジアンソウル」っていうのをテーマにしてるんです。アジアを代表できる、ソウルを表現するバンドになりたいと思っていて、中でもまずは韓国や台湾で演奏してみたい。「ジャパニーズソウル」ではないんです。HALLEYは日本人っていうアイデンティティのある人だけじゃないので。太賢は韓国、晴は香港にルーツがあって。

太賢:だからfrom Japanじゃなくfrom Tokyoと名乗ってます。全員のルーツが日本だけにあるわけではない、あくまで今東京を中心に活動している、というところで。バンドとしての最終目標はアジアのソウルというものを確立すること。それも従来的なアジアっぽいものじゃなく。

──オリエンタルな節回しとか、ヨナ抜きとかじゃなくて。

直人:そうですね。スタイルとして具体的にどういうものなのかっていうのは模索中だと思います。

太賢:ただ、僕たちがやっている限りすでにアジアのソウルではある。

──実存としてアジアの人間たちがやっているわけですもんね。

直人:やっていく中で濾し出された音楽がそのままアジアのソウルと思ってもらえる日が来るかもしれないし、もっと構築的に考えて打ち出していく時期もあるかもしれない。

──なんにしてもオリエンタリズム的なおもしろがられ方じゃないところを目指すわけですね。

太賢:生半可な気持ちではできない。人生かけてやるものですね。

取材・文◎ヒラギノ游ゴ(ヒラノ遊)

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1stアルバム『From Dusk Till Dawn』

2024年3月8日発売
CD・¥2,750税込 YLLH-1001(PPTF-8160)
配信:https://TF.lnk.to/fdtd

収録曲順:
1. Daydream
2. Breeze
3. 'Cause It's Too Cold To Walk Alone
4. Comfy
5. Sugary
6. Who Is He? (Interlude)
7. Whim
8. Set Free
9. Clear Mind
10. Lemonade
11. From Dusk Till Dawn
12. Write Me a Love Song

CD取扱店舗:
TOWER RECORDS:渋谷/新宿/梅田 NU 茶屋町/なんばパークス/名古屋パルコ/名古屋近鉄パッセ/オンライン

<HALLEY 1st One-Man Tour “Daydreaming”>

3月28日(木)東京 @代官山SPACE ODD
OPEN18:30/START19:00

3月30日(土)大阪 @心斎橋CONPASS
OPEN17:30/START18:00

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