『ブギウギ』趣里×草彅剛が築き上げた深い絆 最終週で明かされたタイトルバックの真意

『ブギウギ』(NHK総合)第125話は、羽鳥(草彅剛)のシーンで始まった。ピアノの前でため息をつく羽鳥。いつもの陽気な調子は影を潜め、まなざしは憂いを帯びていた。

羽鳥の承諾を得ないまま歌手引退を発表したスズ子(趣里)。りつ子(菊地凛子)から直接伝えるべきだと促され、羽鳥と向かい合った。実際は羽鳥の方からスズ子を訪ねてきたのだが、戦前・戦後の歌謡界を担ったゴールデンコンビは互いの胸の内を明かした。

「君が僕のもとからいなくなってしまうことが怖くてたまらなかったんです」

スズ子が新曲を出さないことは、羽鳥にとって一大事だった。世間は勝手にスランプを吹聴し、落ち目と揶揄した。何より耐えられなかったのは、ブギがスズ子の代名詞になったことだ。「君に様々なブギを提供すればするほど、ブギは君のものになった」と羽鳥は振り返る。スズ子に嫉妬していたと話す羽鳥の表情は悲哀に満ちており、スズ子の引退を知って動揺のあまり絶縁を口走ったと語る。

「僕はまだまだ君と楽しみたかった」は羽鳥の偽らざる本心であり、突然終わりを告げられて戸惑い、落胆したのは羽鳥のほうだった。自らの至らなさを口にし、子どものように感謝を伝える言葉は真摯さにあふれていて、「羽鳥善一という作曲家を作ってくれたのはまぎれもなく君です。深く感謝します」と頭を下げた。

目を潤ませて聞いていたスズ子も自身の思いを打ち明ける。歌手である自分を救ってくれたのは羽鳥が渡す譜面であり、いつだって羽鳥と一緒にズキズキワクワクしてきた。実質的に羽鳥専属の歌手だったスズ子は「ワテは先生の作ってくれはった歌だけ歌いたかったんです。ワテを一番輝かせてくれはるんが先生ですねん」と思いの丈をぶつけた。

クライマックスで描かれたのが、家族や恋人ではなく、仕事上のパートナーである羽鳥との和解だったことは『ブギウギ』というドラマの性格を物語っている。不世出のシンガーと作曲家の姿を通して、本作は大衆歌謡の黎明期を活写してきた。流行歌が時代を映す鏡である以上、必然的にそうならざるを得ないのだが、最終週では「世紀のうた」を次々と送り出し、「時代」そのものとなった二人の絆を余すところなく描いた。

スズ子によると「先生とワテは人形遣いと人形みたいな関係」である。もともと羽鳥にとって「歌い手は歌の一部」であり、自らの音楽を具現化する声だった。誤解のないように言うと、決して道具と思っていたわけではないだろう。スズ子がいたことで生まれた曲も多くあり、羽鳥にとってのスズ子はインスピレーションをくれる存在である。

ではスズ子自身はどうだったかというと、人形でよいのだと言いきる。「ワテはいつまでも先生の最高の人形でおりたかったんです」は作曲家冥利に尽きる言葉だが、スズ子と羽鳥にしかわからない二人の世界があって、創造に携わる人間の呼吸と言い換えられる。タイトルバックの人形はスズ子と羽鳥の関係を示していた。

羽鳥に見出されたスズ子は、歌手としての才能を開花させてからは、互いを導き手として前人未踏の領域を切り拓いてきた。もし、スズ子がりつ子のような独自の個性によって立つ歌い手だったら、ブギは一時的なブームになっても「東京ブギウギ」のように時代を超える普遍性を獲得することはなかったのではないか。

人形に魂を吹き込むのは人形遣いで、人は人形遣いの操演を見て人形に心を感じる。魂を吹き込まれた人形が思いを口にするとき、それは自分を輝かせてくれた人形遣いへの感謝だった。そのことを一面的な幸不幸や、利用、支配という次元で断じることはできない。誰よりも音楽を愛する羽鳥とスズ子だったから、ブギは「心のうた」として鳴り響いたのである。
(文=石河コウヘイ)

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