『不適切にもほどがある!』Z世代はどう観てる? 令和で得たものと失ったものを考える

TBS系で放送中の『不適切にもほどがある!』がNetflix「週間TOP10」(日本)で3週連続1位を獲得するTBS初の快挙を記録した(1月29日~2月18日集計)。本作は、現代にタイムスリップした小川市郎(阿部サダヲ)が、昭和の価値観によって令和に生きる人々に考えるきっかけを与えていく物語だ。

筆者は平成の中期生まれで、昭和の時代を経験したことがない。昭和についての情報は親世代やテレビ番組などから見聞きしたもののみで、実感としてあまり良い印象は持っていない。だが、同年代の友人やネットの反応を見ても、本作は昭和を経験していない世代からも支持されており、筆者も毎週楽しみに視聴している。そこで、本稿では、そんな筆者が本作を通して感じた昭和/令和に対する思いから、本作がなぜ幅広い世代から人気を獲得したのかを考える。

●“羨ましい”時代としての昭和

昭和を経験していない私たちにとって、昭和サイドの物語を“あるある話”として観ることはできない。それでも、昭和の世界を満喫する向坂キヨシ(坂元愛登)の状況は少し羨ましく思ってしまう。たとえば、駅の伝言板で連絡を取り合ったりする“エモーショナルさ”は令和では簡単には味わえない。それに、たとえ不謹慎と分かっていても、女性の裸がテレビで見られるとなったら、興味津々で見てしまう自分はきっといるだろう。

また、昭和サイドの人たちは、言葉遣いを気にせず、面と向かって意見をぶつけ合っている。市郎はまさしくそうだ。第1話「頑張れって言っちゃダメですか?」での、「頑張れって言われて会社休んじゃう部下が同情されてさ、頑張れって言った彼が責められるって、なんか間違ってないかい」というセリフ。ここで市郎は、令和における社会状況を端的に批判している。ハラスメントを恐れ、相手のことを思うばかりに衝突を避けてきている現代人にとって、率直な自分の気持ちを曝け出す市郎を羨ましく思う人もいるはずだ。

昭和を経験していない筆者にとって、昭和の時代は古臭く感じ、ネガティブな印象もあった。だが、令和にはないものが昭和には存在していた。そのことが、昭和に対するロマンを与え、コミカルな会話劇であることも重なって、昭和サイドの物語に少なくない興味をひかれた。筆者を含め、多くの“Z世代”の視聴者はそう感じた瞬間があるのではないか。

●改善しようとして問題が起きている令和のジレンマ

令和サイドでは、ハラスメントをなくそうとした結果生み出された問題が多く取り上げられている。第3話「カワイイって言っちゃダメですか?」で、テレビプロデューサーの栗田一也(山本耕史)が視聴者の目を気にし、言葉に過敏になり過ぎているのはその一例だ。

弱い立場の人々が声を上げやすい反面、過剰なリスクマネジメントが生まれ、見直しが必要なのも事実。しかし、ハラスメント対策や働き方改革、インティマシーコーディネーターなどは、今まで見て見ぬふりをされてきた問題を解決できる手掛かりになる。これまでに残されてきた負の遺産を令和ではなくそうとしている。そのことによって生じるジレンマを映し出す描写にはリアリティがあると感じた。

●『不適切にもほどがある!』が示した希望

しかし実態としては、コンプライアンスに対する意識が低い人、現代の価値観を理解しようともしない人もいまだに存在する。筆者もこれまでの人生で何度もハラスメントを受けてきた。そして、それに対して直接反論できたことはない。誰もが意見を言いやすい社会にはまだなっていないし、私たちも腹を割って話すことを避けてしまう傾向が強いのも事実だ。

時代が変わるにつれて、得たものも失われたものもたくさんある。だからこそ昭和という“過去の”時代に対して、嫌悪と同様に羨ましさも抱いた。だが、昭和の悪い面をなくしていくことを前提に良い面を取り入れることができれば、私たちはよりよい未来を生きることができるのではないか。

昭和の価値観を持ちつつも、令和の人々の言葉を聞き入れ、令和の時代に適応している市郎の姿は、現代を生きる私たちに一縷の希望を与えてくれた。それこそが、本作が世代を問わない普遍性を獲得した要因なのかもしれない。
(文=赤城杏奈)

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