ODA70周年を機に対中供与の大失態の反省を その3 日本の援助が軍事費財源に

古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・日本のODAは中国に軍事費増加への財源を与えた。

・中国政府の5年単位の国家開発計画にシンクロナイズされていた。

・中国は、軍事産業の円滑な運営のための環境保護費用を日本のODAでまかなった。

では日本の対中ODA(政府開発援助)が実際に中国の軍拡にどう寄与したかを3種類のプロセスにわけて報告しよう。

第一には、日本のODAが中国に軍事費増加への財源を与えたことである。

中国政府が純粋な非軍事の経済開発に不可欠とみなす資金が多ければ、軍事費には制約が出てくる。だがその非軍事の経済開発に日本からの援助をあてれば、軍事に回せる資金は増える。ごく単純な話である。

たとえば中国の公式発表の国防費は1981年は167億元、日本円で約2600億円だった。この金額は1980年代から90年代にかけての日本の対中ODA 1年分に等しかった。だから日本のODAが中国の国防費を補っていたといえるのだ。

当時の中国政府にとっては国家開発計画の予定どおりの実行により、とにかく経済を強くすることが最優先課題だった。経済政策でこれだけは絶対に必要だとみなす額の資金が不足ならば、軍事に回そうとした独自予算も減らさざるをえない。

ところが日本からの国家開発計画への資金援助があれば、軍事費増加への余裕をみいだすことになる。当然ながらカネはカネである。

前述のように日本の対中ODAの特色のひとつは一括供与方式だった。ふつうならば1国ごと、1年ごとに調査や検討を重ねて、供与金額を決めていく。

だが全世界でも中国だけ1国には単年ごとという大枠を外し、5年とか6年分をひとまとめにして供与してきたのだ。異様な方式だった。

だから一括供与方式で決まる対中ODAの額は数年分でときには9000億円などというとてつもない巨大な数字となった。しかもその援助供与は中国政府の5年単位の国家開発計画にシンクロナイズされていた。中国の同計画の国家予算に日本のODA資金が最初から組みこまれていたのだ。中国側は5年先の財源までをすでに確保していたわけである。であれば軍事費に回す作業はより容易となる。

前述のアメリカの専門家のトリプレット氏も「カネというのはファンジブル(代替可能)」という大原則を強調していた。日本側がいくら経済開発のためだと限定して中国政府に巨額の資金を与えても、中国はその分、ゆとりの生じた資金を他の使途に回せることが自由自在にできるというのだ。

トリプレット氏はその「他の使途」が純粋な国防費、軍事費でなくても、同じ効果を発揮できる用途があることを指摘した。たとえば中国当局は北朝鮮、パキスタン、ミャンマーなどへの軍事関連支援つづけてきたが、これに必要な資金は日本のODAで余裕ができた分をあてることができるという。

「中国から北朝鮮への援助は金正日政権の強化と存続、パキスタンへの援助は大量破壊兵器の拡散にそれぞれ寄与し、いずれも日本の安全保障上の利害を損なう。逆に中国の対外的な軍事関連威力の拡大につながる。中国政府にとって日米同盟に敵対する勢力への支援は自国自身の軍事支出に等しいわけだ」

そのうえに日本の対中ODAには要請主義という大原則があった。ODA資金を具体的にどのプロジェクトに投入するか、つまりどう使うかは援助を与える日本側が選んで決めるのではなく、中国側が決めて日本に要請するという方式だったのだ。

だから中国側の優先順位が採用され、経済開発と軍事力増強という国家の二つの大方針が重なる形でも日本からのODA資金を活用することができたのである。

ODA資金のこの微妙な使い方に関しては私自身、おもしろい体験をした。経済のための援助がいつのまにか軍事に回ってしまうというような実例だった。

私は北京から遠く離れた内陸部の貴州省での日本からのODA事業を見学したことがある。1999年10月だった。日本大使館のODA担当の杉本信行公使の案内で環境保護に焦点をしぼったプロジェクトをみた。

上下水道の改善、大気汚染の防止という地味な事業が日本からの援助資金で施行されていた。そのプロセスや成果を見学したのだ。ODA本体の巨大なインフラ施設の建築とは異なり、国民の生活の向上に密着した適切な援助プロジェクトだと感じた。

その見学旅行が終わった夜、貴州省の省都、貴陽市でささやかな招宴が開かれた。地元の中国側の貴州省代表たちとの乾杯や会食がしばらくつづいた後、すぐわきに座っていた省政府幹部が誇らしげにふっともらした。

「なにしろ私どもの地元には全国有数の戦闘機製造工場があり、そこの製品は10月1日の建国記念50周年の軍事パレードでは天安門の上空を堂々と飛んだのですからね」

おやっと思った。日本の援助は軍事には一切かかわらないことになっている。ことに今回の援助は環境保護にしぼられていた。だから上下水道改善や大気汚染解消というプロジェクトばかりみせられた。その見学旅行の総括がこの招宴だったのだ。

ところがその対象地域に中国全土でも有数の軍事工場が存在するという。援助と軍事の関連にそれまで考えを致さなかったため「戦闘機」という言葉にぎくりとしたわけだった。

その後、貴州省は伝統的に全土でも主要な軍事産業の拠点となってきたことを知った。1960年代に毛沢東主席がソ連の核攻撃に備えて兵器工場の多くを内陸部深くに移した重点地域であり、軍事産業施設が以来、数多く存在するのだという。

兵器工場だけでなく、省内東南部の軍用電子機器工場群は中国最高のレベルだし、貴陽市内にある中国最大のアルミニウム工場貴陽製鉄所は兵器資材の生産で軍事に貢献してきたとも聞いた。

日本政府は貴州省にそれまでに約700億円の援助を供与してきた。鉄道、道路、電話網など、ほとんどが経済インフラの建設だった。私の訪問の時点でまた新たに貴陽市に環境保護の名目で70億円を投入していた。

使途をいくら限定してもこの種のインフラ建設が同じ地域の軍事産業の効率をあげることは自明であろう。現に特殊鋼の軍事使用で知られた貴陽製鉄所には、排出ガスの硫黄を除去する脱硫装置などの新設のため日本の援助10億円が贈られていることがわかった。

だから今回の援助も軍事産業地区での上下水道改善や大気汚染防止のプロジェクトだったのだ。その種の環境保護の事業が住民の生活を助けることは当然だろうが、あわせて地区全体の軍事産業にも貢献するわけだ。

中国側としては本来、軍事産業の円滑な運営のために支出しなければならなかった環境保護の費用を日本からのODAでまかなうことができるわけである。この仕組みも広い意味で「軍事費増加への財源」の供与だといえよう。

▲写真 「ODA幻想 対中国政策の大失態」著:古森義久(海竜社)出典:amazon

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