「黙秘権」の侵害は“他人事”ではない… 「推定有罪」を決めつける検察の"説得"が冤罪を生み出す理由

刑事事件の取り調べは”可視化"されたはずだが、国民の多くはその実態を知らないままだ( mits / PIXTA ※写真はイメージ)

1月18日、自身の罪が問われた刑事事件手続きにおいて、取り調べの際に検察官から罵倒や侮辱を受けたとして元弁護士の江口大和氏が国に損害賠償を請求している民事訴訟の本人尋問で、実際の取り調べを録音・録画した映像が法廷で再生された。

同日、原告側の弁護団はYouTubeチャンネルに取り調べ映像を一般公開。動画は2月末の時点で合計8万回以上再生されており、取り調べを行っている川村政史検事(横浜地検)から江口氏が「ガキ」「僕ちゃん」「社会性が欠けている」と罵倒・侮辱されている様子は、多くの視聴者に衝撃を与えた。

※関連記事:「黙秘権」を行使したら罵倒され続ける… 元弁護士の国賠訴訟で検事による「取り調べ映像」が異例の公開

「有罪なら黙秘せず認めるべきだ」との意見もあるが…

取り調べ動画の公開や関連する報道を受けて、ネット上でも多くの人が横浜地検に対する抗議の声をあげた。

しかし、そもそも取り調べが行われた刑事裁判では江口氏に有罪判決が下されたことから、「罪が事実なら黙秘せず認めるべきだった」 との意見も散見された。

問題の刑事裁判は、当時弁護士であった江口氏が、死亡事故を起こした依頼者の関係者に虚偽の証言を行うように促したとして、「犯人隠避教唆」の罪を問うたもの。2018年10月に江口氏が逮捕されたことで始まった裁判は、2023年9月に最高裁が上告を棄却することで有罪が確定。江口氏には懲役2年、執行猶予5年の判決が言い渡された。

しかし、2022年9月に高裁で裁判を傍聴した交通ジャーナリストの今井亮一氏が「ドライバーWeb」 に掲載した記事によると、高裁の裁判長は「あり得ないとは必ずしもいえない」「およそあり得ない事態とはいえない」と繰り返し、曖昧な論法で江口氏の有罪を判断したという。

編集部でも関係者に問い合わせて入手した控訴審の判決文を確認したところ、たしかに、同様の表現が頻出していた。

今井氏は裁判について「あまりに理不尽だ」という所感を記している。

取り調べが「可視化」されているのに映像の公開が少ない理由

日本の刑事司法制度は否認供述や黙秘している被疑者に対しても、長期間勾留することで自白等を強要する、いわゆる「人質司法」の問題は長年にわたって指摘されてきた。

しかし、ひとくちに「黙秘」といってもその具体的な定義はどのようになっているのか、海外と日本とで黙秘権の扱いにはどのような違いがあるかなど、黙秘権に関して知られていないことは多い。

黙秘権や人質司法の問題に詳しい、川崎拓也弁護士に話を聞いた。

──取り調べ映像の録画義務付けは2019年から施行されているはずですが、江口氏の事件のように取り調べの映像が公開されるケースはほぼありません。なぜでしょうか?

川崎弁護士:取り調べが可視化されたといっても、被疑者や弁護士の側が取り調べのDVDを自由に使えるわけではありません。刑事事件の弁護活動で使う場面に限られており、それ以外の目的で使うと「目的外利用」になってしまうのです。

ただし、「取り調べで違法があった」と訴える国家賠償請求訴訟を起こして、裁判所が国の側に「映像を提出しなさい」と命令した場合には、提出された取り調べ映像を民事訴訟でも使うことができます。その場合には、江口氏の弁護団のように公開することも可能になりえます。

逆にいえば、裁判所が国に命令等を しない限り、弁護士がいくら取り調べの証拠を持っていても

その内容を公開することはできないわけです。私もDVDをたくさん見てきて 、そのなかには今回よりもはるかに悪質な取り調べが記録されているものもありますが、公開はできません。

この状況は権力を「可視化」するという趣旨に反しています。もっと公開のハードルを低くしないと、取り調べ映像の録画を義務付けた意味が半減します 。

そもそも「黙秘権」とはどんな権利か

──「黙秘権」という権利の基本を教えてください。

川崎弁護士:黙秘権とは「被疑者は、有利・不利を問わず一切の供述を拒否できる」という権利です。

憲法38条1項には「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と規定されています。これは「自己負罪拒否特権」といいますが、この権利は二種類あります。

まずは、他人の裁判に証人として呼ばれた際にも、自分が訴追を受けるおそれがあるときのみに限って供述を拒否することができるという「第三者に与えられる特権」です。ただし、この特権が保障されるのは、一定の場面に限ります。

もう一つが、一般的な「被疑者の黙秘権」です。刑事訴訟法311条1項には「被告人は、終始沈黙し、又は個々の質問に対し、供述を拒むことができる」、同198条2項で「…取調に際しては、被疑者に対し、あらかじめ、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げなければならない」と規定されています。

これらの法律の規定からすると、被疑事実が真実であろうがなかろうが、理論上、被疑者には黙秘権が与えられているのです。

──「黙秘権」は昔から存在したのですか?

川崎弁護士:歴史的には拷問が許されている時代があったように、黙秘権は「あって当たり前」のものではありません。

また、「疑いが事実なら話すべきだ、認めるべきだ」という発想は、現在でも人々のあいだに強く残っています。日本人は「悪いことをした人にはちょっとくらい圧力をかけてもいいだろう」という発想も強いようですね。

「悪い人が黙秘するのは許せない」という感情を持つこと自体は仕方ないことなのかもしれません。しかし、刑事司法とは、冤罪を生まないためにそういった「感情」を切り離すシステムです。

法律の現場における黙秘権の実情

──現代の弁護士は、黙秘権についてどのように考えていますか。

川崎弁護士:刑事弁護を専門的に扱う弁護士の間では、とくにここ十数年で、依頼者に黙秘権の行使を助言することが一般的になってきました。

虚偽自白による冤罪が多数起こったことが原因で、「弁護士が立ち会えないような取り調べでは、被疑者が自ら弁解を述べるよりも黙秘をした方が真実が守られる」という考えが浸透したのです。

現状の日本の刑事司法(取り調べ)の実情をふまえると、「事実なら話すべきだ」というわけにはいきません。たとえば悪さの度合いが「8」の罪を犯した人に対しても、捜査機関 は「10」の悪さを認めさせようとしてきます。本来よりも悪い罪を認定させられる「虚偽供述」のリスクがあるのです。

検察官は徹底的に「推定有罪」の考え方で取り調べを行います。取り調べのプロである検察官に、素人である被疑者が対抗するためには、黙秘権の行使が最大の防御となります。

──被疑者が黙秘したら、検察側はどう対応するのですか?

川崎弁護士:黙秘権を行使しても、残念ながら取り調べが終わるわけではありません。江口氏の場合のように、捜査官は「説得」を継続します。

「説得」といっても、実際には「強要」です。取り調べ時間は、短くても10時間程度が一般的であり、最長で23日間の 「説得」が続けられることもあります。

検察側が「説得」という表現をするのは、本音では「黙秘権なんてけしからん」と思っているからでしょう。

ちなみに、「警察からの職務質問は拒否できる」という知識は浸透してきましたが、実際に職質を拒否しても警察は「説得」という名目で続けます。

──なぜ、検察は悪質な取り調べを続けるのでしょうか。

川崎弁護士:検察や警察には「いちど捜査に着手したら、冤罪の可能性があっても止められない」という発想があります。「誤認逮捕をした」と認めるのを避けるため、いちど逮捕した相手のことは必死で有罪にしようとするのです。

江口さんを罵倒した検察官は、その後に大阪地検の特捜部に行くなどの「出世コース」を歩んでいます。あのような取り調べを行っても、組織内では評価されてしまうのです。慎重な捜査を行う検察官は出世できないという、評価システムにも問題があります。

また、裁判官が、捜査の実態にあまり関心を持っていないことも問題です。刑事裁判の時点で「違法な取り調べに基づく自白は証拠にならない」ということを裁判官が厳格に指摘できれば、黙秘権侵害は起こらなくなるのですから。

「川村政史検事による取調べ動画(法廷再生版)」/江口大和違法取調べ国賠訴訟弁護団 ※1月18日公開

海外と日本の違い

──江口氏のように検察官から罵倒・侮辱を受けても黙秘を続けられる人は少ないと思います。

川崎弁護士:通常、権利とは「〜する権利」のことです。しかし、黙秘権は「供述を拒否する権利」であると同時に「供述を強要されない権利」でもあります。

後者については、どこまでが「説得」でどこからが「強要」になるかが問題となります。

拷問や脅迫はもちろん、罵倒や侮辱も黙秘権の侵害となります。 また、説得が100時間に及ぶ場合にも当然に「供述を強要されない権利」の侵害といえるでしょう。

しかし、そもそも被疑者が「黙秘する」という権利を行使しているのだから、検察官が「説得」を続けることも、仮にそれが強要にあたらないとしても「供述を拒否する権利」の侵害です。

本来の黙秘権の趣旨を考えれば、被疑者が黙秘権の行使を宣言したら、検察はそれ以上の取り調べは( 「説得」も含めて)できなくなる、というのが正しいでしょう。

実際、他国はそのようになっています。アメリカでもイングランドでも、被疑者が「黙秘」と言ったら、取り調べはすぐに終わります。

──日本と海外の違いはなんでしょう。

川崎弁護士:まず、取り調べができる期間が、最長で23日間もある国は珍しいです。アメリカでは最長48時間、イングランドでも基本は最長24時間といわれています。

外国で黙秘権が強く認められている背景には「国家権力に対する不信」があるでしょう。アメリカやイングランドはとくにこの不信が強い。他のヨーロッパ諸国も、イングランドに引っ張られるかたちで黙秘権が定着していきました。

アメリカでは容疑者を逮捕した警察やFBIは「あなたには黙秘権がある」 「弁護士の立ち会いを求める権利がある」と被疑者に警告する義務があるという「ミランダルール」が存在します。イングランドでも、立会権と黙秘権の尊重、つまり取り調べの即時遮断は基本中の基本です。

一方で、日本はいまだに国家権力を信頼しています。「痴漢冤罪」の問題があれだけ騒がれても、「刑事事件で捕まるのは他人事だ」という感覚があるようです。

これまで、取り調べの実態は一般の国民にとってはブラックボックスでした。しかし、江口氏に対する取り調べ動画がYouTubeにアップされたように、徐々に明るみに出ています。

取り調べの実態が周知されることで、国民全体が他人事と思わず「怖いことだ」と考えるようになるのが重要だと思います。

黙秘権が強くなると治安が悪化する?

──黙秘権が強くなり過ぎると犯罪者を処罰するのが難しくなり、治安が悪化するのではありませんか?

川崎弁護士:法務省や警察庁はそういった主張をします。しかし、実際には、黙秘と治安は無関係です。

たとえば「取り調べの可視化をすれば治安が悪くなる」といわれていましたが、実際に可視化法が施行された2019年以降、治安が悪くなっている様子はありません。アメリカやイングランドでも、取り調べのあり方と治安が結びついているような研究は目にしたことがありません。

また、有罪が立証できるかどうかは、そもそも自白の有無では決まっていません。メールや防犯カメラ映像などのデジタルデータが多く保全されている現在では証拠の数も増えており、「自白がなければ立証できない」という事件も少なくなっているでしょう。

アメリカの刑事事件の95%は司法取引で解決します。ロンドンの防犯カメラの数は日本の比ではありません。これらにも冤罪を生み出す可能性やプライバシー侵害のおそれはあるので注意は必要ですが、現代では取り調べを重視することは効率が悪く非科学的だといえます。

なにより、黙秘権は全ての人に与えられた「権利」です。「黙秘したら取り調べをやめる」というのが基本であることを再認識して、すっかり弱められてしまった黙秘権を取り戻すことが大切だと考えます。

© 弁護士JP株式会社