泣いた笑った、締めの「赤鬼」 山形市のラーメン店がきょう閉店

中華そばを配膳する高橋みや子さん。「赤鬼」を切り盛りし、常連客に「女将さん」と慕われた=山形市七日町4丁目

 山形市七日町4丁目で夜に営業するラーメン店「赤鬼」が、29日で閉店する。昭和一桁の創業以来、花小路や料亭に近い今の場所に立ち続け、90年余りの間、山形の盛り場を見つめてきた。時代の移ろう中、芸妓(げいぎ)や料亭関係者らが通い、飲み屋帰りの人々が足を運んだ。閉店後、店舗は道路拡張に伴い、取り壊される。山形の繁華街からまた一つ、明かりが消える。

 赤地に黒で書かれた「赤鬼」の看板が、夜の街にともる。年季の入ったカウンターに14席。酔客が肩を寄せ合う。壁に船板をあしらい、調理場に屋根をかけるなど屋形船の趣が漂う。店内の時間は、昭和から止まったままのようだ。

 「私もこの店の雰囲気に取りつかれた一人」。店主の高橋みや子さん(71)は笑いながら話す。結婚を機に手伝いを始め、義母のまつさんと二人三脚で店を切り盛りした。まつさんが床に伏した際、店を畳む考えもよぎった。「昭和の風情をなくしたくない」。継ぐと決意した。勤め人だった夫鴻義(こうぎ)さん(78)の支えもあり、数十年間、「細く長くやってこられた」。

 赤鬼は、鴻義さんの父で故鴻太郎さんが1930(昭和5)年ごろに創業した。当時はおでんを提供する居酒屋で、深夜まで営業していた。料亭関係者が夜な夜な集まる文化サロンのような役割を果たし、花柳界をもり立ててきた。

 戦前・戦後に始めたという中華そば(700円)は、鶏がらスープに中細縮れ麺が浮かぶ「飾らない正統派」。小盛りのあっさり味は締めの一杯として浸透し、市のラーメン文化の支えとなった。総務省の家計調査のラーメン消費額日本一を懸けた昨今の熱気の礎ともなっている。スープだけ飲みたいとの要望に応え、ワンタン(650円)もある。

 一昔前までは、店内でけんかが起きたり、机に突っ伏して寝たりする客の姿が日常茶飯事だったという。「おおらかな時代だった。カウンターにはお酒も、涙も、よだれも染み込んでいる」と高橋さん。「最近はみんなお利口さん。逆に窮屈そうに見えることもある」と時代の変遷を感じる。

 最後の営業は29日午後8時半~同10時で、麺かスープがなくなり次第、終了する。高橋さんは「思い出は語り尽くせない。お世話になった方々に感謝、感謝です」と目を潤ませた。

「赤鬼」の中華そば

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