「引退までにアルバムを出したい」言語学者・川原繁人が語るラップ愛

慶應義塾大学言語文化研究所教授で、言語学的な見地から「日本語ラップ」「ポケモン」「プリキュア」「メイドの名前」など、さまざまな身近な題材を扱った研究をおこなっている言語学者の川原繁人さん。

川原さんが学生時代から好きだという日本語ラップを言語学的に分析した書籍『言語学的ラップの世界』(東京書籍)が、昨年11月に刊行された。ニュースクランチが、川原さんに言語学、そして日本語ラップに興味を持つようになったきっかけや、その二つが結び付いた経緯、ラッパーとの交流についてインタビューした。

▲川原繁人【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-Interview】

大学時代に改めてハマった日本語ラップ

川原さんが言語学に興味を持ったのは大学時代。もともとは英語を勉強したくて大学に進学したが、英語を勉強しているうちに、英語と日本語の比較論を読んで、むしろ日本語に興味を持ったという。

「一時期、日本語教師を目指したこともあるんですけど、友だちの父親に“正直、あまりお金にならないからやめたほうがいい”と言われて、あまり深く考えず、その道は断念してしまいました。でも、日本語を教える教えないは別として、自分の母語を見つめ直すということが楽しくなっていったんです。それから大学で理論言語学の授業を取り、“言語とは何か?” “なぜ人間は言語を話せるようになるのか?”という一般的な問いに興味が湧いてきたんです」

川原さんと日本語ラップとの本格的な出会いは大学4年生のとき。友人がくれた1本のミックステープだった。

「単純にすごい音楽だと思ったんですよね。積極的に自分から新しい音楽を探していくタイプではなかったので、それまでは流行の音楽しか聴いていなかったんですが、ラップに出会って今まで自分が聴いてきた音楽とは全然違うと思いました」

日本語ラップを聴きながら通学していたら、韻が気になり始めたという川原さん。ここで言語学と日本語ラップが結び付く。日本語ラップの言語学的な分析は誰もしていなかったので、研究のしがいがあった。

大学院生時代には、日本語ラップ98曲分の韻を統計的に分析して、「音韻的ラップの世界」としてウェブにエッセイを掲載(このエッセイの改稿バージョンは、『言語学的ラップの世界』に収録されている)。当時、ネットの掲示板で盛んに語られていた「日本語はラップに向いてない」という論調に対して、一石を投じた。この論文の作成には途方もない労力がかかっている。その原動力は日本語ラップへの愛だろうか。

「そこまでたいした理想を持っていたわけではないんです。当時、日本語ラップのコミュニティは狭かったんです。小さなコミュニティでムキになってたっていうのが、私としては正しいかなと思いますね。

しっかり統計を取って分析しようと思ったのは、恩師のおかげですね。私の恩師の一人が常々、“分析をするなら本当にそうなのか、統計を使ってしっかり示さなきゃダメだよ。なんとなく自分に都合のいい例だけを挙げても説得力はないよ”と話されていて。“だったら自分でやってみよう”と思ったんです」

自分にしかできないことを研究する

この本では川原さんの言語学への愛もたっぷり感じられる。日本語ラップを言語学的な視点から研究すると決めたきっかけはあったのだろうか?

「ひとつは、本にも書いたSteriade先生の講演ですね。ルーマニア語の詩を分析することで、言語理論に関して新たな知見を得られるというのを実感できたのは大きかったですね。

それから、周りに優秀な先輩や同僚があふれていたことも大きかったと思います。例えば、同僚の一人が、オーストラリアの原住民の言語を分析していて、そのデータは彼女しか持ってなかったんです。だから、彼女は彼女にしかできない研究をやっていた。そこで、“自分にしかできないことって何かな?”って考えたときに、日本語ラップにたどり着きました」

川原さんは日本語ラップのほかにも、ポケモンやプリキュアの名前を言語学的見地から研究している。そういった私たちの身近にあるカルチャーを題材に研究しようと考えたのはなぜなのだろうか。

「言語学を学ぶ人を増やしたい、もっともっと多くの人に興味を持ってもらいたい、という想いはあります。言語学は歴史が浅いし、研究されてないテーマもいっぱいあるので、大学の卒業論文でも人類の知に新たなものを加えることができると思うんです。長い歴史を持った物理学とか数学では、そうはいかないんじゃないかなって」

全く見当違いのことを言っているのかも

この本では、ラッパーたちのリリックの巧みさが数多く分析されている。特にRHYMESTERのMummy-Dのすごさが際立っていると感じた。

「ラッパーはみなさんすごいので、特にDさんだけが特別ということではないと思うんです。ただ、この本の執筆を通して、Dさんと個人的にも交流できて、彼のことをより深く知れたので、Dさんのすごさを言語化することができただけだと思います。

他のラッパーのみなさんも、たぶん私がまだ気づけていないような、すごい技術をいっぱい持ってらっしゃると思うので、Dさんと同じくらい交流できる機会があれば、それを言語学的に解釈して、世間のみなさまに伝えられると思います」

日本語ラップの研究をしていて、うれしかったエピソードを聞いてみた。

「ZEEBRAさんに“外部の視点からこういう研究をやってくれるのはありがたい”と言われたことですかね。自分の中で“全く見当違いのことを言っているかも……外野で勝手にガヤガヤしているだけかも”という不安は常にあったので、それを聞いたときはうれしかったです」

RHYMESTERのMummy-Dからは「口腔内発音系ド変態」という称号を授かった。川原さんにとっては「最高の栄誉」だ。

「Dさんは人柄がとても良いんですよ。良い人柄の方が“ド変態”って呼んでくれることの意味、そしてそれを伝えてくださるときの表情を見ていると、心から応援してくれていると感じられました」

川原さんは過去に『フリースタイルダンジョン』に審査員として出演したことがある。

「出演オファーをいただいたときは事の重大さを理解してなかったです。“誘われた! うれしい! やったー!”くらいの感じで。いざ番組が放送されたら、“なんだコイツ”っていう視線にさらされて、少しツラかったです。でも、僕も大好きなラッパーのみなさんと交流できるのはうれしかったですし、ミーハーな気持ちが全くなかったかといえば、それも噓になります」

ゴスペラーズも韻踏んでんじゃん(笑)

川原さんはラッパー以外にも交流しているミュージシャンがいる。ゴスペラーズの北山陽一も、その一人だ。交流が始まったきっかけは、北山さんが川原さんの講義を受けていたところからだという。

「北山さんが大学院生として大学に戻ってきていて、私のオンライン授業を受けていたんです。自分の歌を高めるためには音声学を学ぶことが助けになる、そうおっしゃってくれて。それからずっと仲良くさせてもらってます」

そのようなこともあり、昨年末にゴスペラーズのコンサートに招待された川原さん。そこでゴスペラーズにも韻を踏んでる曲があることを初めて知ったという。

「『VOXers』という曲で韻を踏んでたんです。コンサート中に“韻踏んでんじゃん”と思って(笑)。 北山さんは私が韻の研究をしてることを知ってたはずなのに、『VOXers』について2年半も教えてくれなかったんです。少しショックでした(笑)。まぁ、自分でちゃんとゴスペラーズの曲を聴けよって話ですが。

それはおいておいて、『VOXers』について北山さんを問いただすと、“作詞したのが自分ではなく酒井(雄二)さんなので、酒井さんと直接話したほうがいいと思ってた”と言ってくれました。さっそく実際に酒井さんとお会いする機会も作ってくださって、いろいろ語らさせていただきました。

酒井さんに許可をもらって、『VOXers』の韻の分析も書きあげましたし、『Fly me to the disco ball』って他にも韻を踏んでいる曲もあって、そちらの分析も書きあげたら、ゴスペラーズファンの方々に喜んでもらえました」

川原さんは『VOXers』を聴いて、RHYMESTERからの影響を感じたという。ゴスペラーズとRHYMESTERは共作をしたこともある関係だ。

「Mummy-Dさんと非常に近い韻の踏み方をしてるんですよね。具体的に言うと、“母音が無声化してたら、対応する母音がなくてもいい”みたいな感覚が、すごくDさんに近いと思いました。

以前、ゴスペラーズとRHYMESTERが共作をしたとき、Dさんと宇多丸さんがゴスペラーズの前でリリックを書いていたそうなんですよ。酒井さんはそれを目の当たりにしてたらしくて。酒井さんがどんな想いを持って韻を踏んだ曲を書いているかなどもお聞きしたので、いつか正式に対談したいですね」

最後に、今後の活動や夢について伺った。

「北山さんとの共著で作った絵本『うたうからだのふしぎ』が出たばかりなので、それをアニメ化、コミカライズしたいですね。じつは、その絵本の曲も北山さんに作ってもらったんです。『言語学的ラップの世界』も楽曲になりましたし、言語学者として引退するまでに私がかかわった曲でアルバムが出せればいいなと思います、タイトルは……『言語学的…なんとか』になることくらいしか今のところは思いつきません(笑)」

(取材:山崎 淳)


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