涙なしでは語れない川崎の恩師や仲間たちとの別れ。山根視来が気持ちを書き綴ったメモ帳とMLSへの想い【インタビュー/パート3】

2024年、川崎からMLSのロサンゼルス・ギャラクシーへの移籍を決めたのが、日本代表としてカタール・ワールドカップにも出場した右SBの山根視来である。30歳での初の海外挑戦。その姿を追ったインタビューを3回に分けてお届けしよう。

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山根の手もとには誰にも見せないメモ帳がある。

迷った時、頭を整理したい時、彼はその時々の想いや、かけられた言葉を綴ってきた。それは今回の移籍に向けても同様だった。

川崎のチームメイトたちにどんな言葉をかけられたのか? そう質問をすると、「一回、メモ帳を見返しても良いですか?」と丁寧に当時の記憶と言葉の数々を振り返っていく。「絶対に見せないですよ」。その中身は門外不出なのだという。

「先ほども話しましたが、ACLは自分にとってすごく大きなウェイトを占めていたので、迷った部分でした。でも考えてみると新しい挑戦に傾いている自分がいた。

ただ、決めるまでの間にいろんな人と話をしながら、その都度思ったことを客観視できるようにメモ帳に書いていったんです。やっぱりその時の感情で、視野が狭くなってしまうことがあるので、起こった出来事、その時に何を感じたか、海外に行っている自分をイメージした時の気持ち、誰かに言われてどういう風に思ったかなど、バーッと書いていきました。

いろんな言葉をかけてもらい、残ろうかなと考えた時もありました。でもメモを客観的に見返すと、新たな環境に進みたがっている自分がいるのが分かったんです。

川崎のチームメイトでは、皆さんが想像している人には、ほぼ相談したと思います。そのなかで一番印象に残っているのは、やはりアキさん(家長昭博)の存在でした。アキさんとは特別深い話をする仲ではなかったのですが、僕のアキさんへの信頼度はそりゃ相当ですし、(右SBと右ウイングとして)試合中は一番近くにいて、一番多く一緒に出場したはずです。

アキさんがいたからここまで来られたし、僕がもっとアキさんの要求するレベルに応えることができていたら、どれだけワクワクする攻撃が右サイドからできるのだろうと常にモチベーションにもなっていました。

そんなアキさんが、「残ってほしい」とかではないですよ、以前に僕のことを評価してくれていたと。「お前の話をしていたよ」と他の人から教えてもらったんです。それって直接言われるよりも嬉しいんですよね。なんだか心が震えて揺さぶられました」

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さらに兄貴分の小林悠にはいち早く相談に乗ってもらい、様々なアドバイスや「お前がいなくなったら友だちがいなくなっちゃうよ」と冗談交じりの引き留めもしてもらった。脇坂泰斗、登里享平、瀬川祐輔...多くの仲間たちと語り合った。

そのなかで共通して送られた言葉があったという。それは山根が多くの汗と涙を流しながら進んできた道を称えてくれる、何よりの誉れだった。

「みんなサッカーの技術のところは一切褒めてくれないんですよ(笑)。でも自分のサッカーに臨む姿勢をみんな褒めてくれた。うん...、そこはやっぱり嬉しかったですね」

大先輩の中村憲剛からはこんな言葉をもらった。

「あなたを見て学んだことはたくさんあったし、自分が今後、指導者をしていくうえで、ミキのような選手がこうやって成長していった姿はすごく指標になる」

そして常に間近で自分の努力を認めてくれていた鬼木達監督に、報告をした際には涙が溢れてきた。技術力が求められる川崎で、テクニックがあったわけではない自分を起用し続けてくれ、サッカーや練習に対する真摯な姿勢を誰よりも理解してくれた恩師であった。

「本当にオニさんには感謝しかなくて。ボロボロ泣きました。改めて一緒に天皇杯を優勝できて良かったなという想いが込み上げてきて」

多くの人の支えや、自分の進んでききた道は間違いではなかったと改めて認識ながら――そんな晴れやかな想いを抱え、山根は勇気を持って新たな一歩を踏み出したのである。

エンターテインメントの国、アメリカではやはり日本との違いを、至るところで感じるという。例えばキャンプでのワンシーン。

「いろんなことが面白いですよね。キャンプでは夕食のあとに、選手のストレスを発散させるような時間をクラブが設けてくれるんです。それこそ『アタック25』みたいに2つのチームに分かれて、それぞれ代表者が回答していくクイズ大会もあって、僕も言葉が分からないなかで楽しみました。

マジックショーも見ましたし、最初の頃は『練習で疲れているし部屋に帰って休ませてくれよ』と思っていたんですが(笑)、やってみるとすごく楽しい。さすがエンターテインメントの国だなと、節々に感じています。

食事は練習日は朝と昼、クラブが出してくれて、僕は今まで朝ご飯は、白米と魚、納豆、卵など日本食と決めていたのですが、クラブの食事だとお米はないので、オートミールを初めて食べたりと、欧米の食事に合わせるようにしています。

でもオートミールの食べ方を知らなくて(笑)。お米と同じようなものだと思っていて、スクランブルエッグをおかずのようにして食べていたら、(吉田)麻也くんに『それグラノーラみたいなやつだぞ、フルーツ乗っけて食べるんだぞ』と笑われて。いろんなことが勉強ですね」

さらに周囲には知っている英単語をフル活用し、積極的に話しかけるようにしているという。

「数少ない単語で勝負しています。それでも、みんな分かろうとしてくれて。多分メチャクチャ間違えていると思うんです。でも果敢に攻めています。物怖じしちゃいけないとは聞いていたので、いろんなスポーツのことだとか、それこそキャンプ地がラスベガスに近くてスーパーボールが開催されていたので、そういう話だとか。みんなノリが良いのでなんとかなるのかなと感じていますね」

充実ぶりが窺える日々。もっとも、改めて疑問に思っていたことも聞いてみた。「欧州ではなくMLSへ移籍することに抵抗はなかったのか?」。その問いに山根は自信を持って答えてくれた。

「移籍する前のMLSのイメージはすごくフィジカル寄りのリーグなんだろうなというものでした。麻也くんにどういう感じか訊くこともできていました。

正直に言うと、去年、僕はACLを戦うのが一番楽しくて、最も『サッカーをやっているな』と感じることができたんです。アウェーでの難しさ、観客席から飛んでくる厳しい野次やジェスチャー、そして対面する大きくて、速くて、強い相手。MLSに飛び込めば、その環境を日々、体験できるという想いがありました。だから僕は欧州が良かったなどとは、あまり思ってないんです」

ただし、渡米後、当初はプレー面で難しさも感じたという。そんな時に背中を押してくれたのが川崎での経験だった。

「外国人のなかで、日本人が入ってやる難しさは、実際に体験してみないと分からないと思うんです。それこそ日本代表として外国人と戦う舞台とはまた違って、自分が得意なプレーをとにかく出そうとする選手が多かったりする。

日本人だったらつながりを意識しながらやりますが、『いや俺はこういう選手だから』と、自分の特長を出すことに集中している選手と一緒にやっていくなかで、『恐らくこうしてくれるよね』と期待すると、自分の思ったようには動いてくれないシチュエーションに直面して難しさを感じてしまう。

そのうえ、身体の大きな選手が目の前に来たり、日本では引っかからないようなパスを長い足で当てられたりと、選手ひとりとして何ができるのかを、すごく試されているなと感じました。

そんな時、キャンプの途中に、フロンターレのACLの試合があって(ACLラウンド16のアウェー・山東泰山戦/○3-2。ただ1週間後のホームでの一戦で川崎は敗れて敗退となった)、久々に天皇杯決勝のハイライトも見ていたら、改めて心にくるものがあったんです。こっちきて難しさを感じているなかで、ACLのアウェーの試合を含めて身体を張って、勝ちにこだわる、すでに真剣勝負のなかにいるフロンターレの選手たちの姿を目にして、『俺は何をしているんだ』と。もっとやらなくちゃいけないと決意してから、良いプレーを出せるようになりました。

それこそ最初のうちは『ああしてほしい、こうしてほしい』と考えていましたが、味方がどういうプレーをするかまだ分からない部分があるなかで、気を使って味方を見ることに時間をかけると、どんどん自分のリズムが狂ってしまう。

そこを『もう良いや、めちゃくちゃ要求してやろう』と意識を変え、好きなように動き、自分が欲しいところで受け、意図を見方にちゃんと伝えるようにしたら、キャンプのラスト数日や、最後の練習試合は自分のなかで良いプレーができたんです」

リオネル・メッシ、ルイス・スアレス、セルヒオ・ブスケッツ、ジョルディ・アルバらを率いるインテル・マイアミとの開幕戦のピッチには、背番号2の姿があった。そこから山根は5試合連続でフル出場を果たしている。

チームも元バルセロナのMFリキ・プッチらを軸に2勝3分とまずまの成績を残している。それでも自らに厳しい男だ。求めるのはさらなる高みなのだろう。

「ここで活躍できれば、フロンターレの時とまた違う選手に、バージョンアップできると信じています。すごく楽しみですし、ひとりの選手として試されている。いろんなタイプの対戦相手に、様々な守り方ができるようになりたいです。プラス人間として、いろんな国籍の人たちがいるなかで、学んでいきたい。人間としての“深み”を持てるようになりたいですね」

そしてもうひとつ、伝えたいメッセージも生まれた。

「僕が言いたいのは、自分のことではなく、MLSというリーグに対して、より関心を持ってもらえればということですね。それは見てくれる人たちもそうですし、現役の選手たちには特にこのリーグでプレーをする選択肢を頭の片隅に入れておいてほしいなと思います。

Jリーグでも、欧州移籍が当たり前になってきた今、“いかに早く行けるか”がポイントになっていると感じます。ただ、高卒3、4年目にJリーグで活躍し、23、24歳で欧州に渡る形では、遅いと言われる時代になってきているのかもしれません。そのなかで、ワンステップ、MLSを挟むというのもありなんじゃないかなと、個人的には考えています。

日本人選手のクオリティの高さはこっちに来ても感じます。技術力が高く、いろんなことができる。MLSでは重宝されるはずですし、英語圏で言語も学べますし、本当に多くの国籍の選手がプレーをしているからこそ、様々な文化を知ることができる。

クラブの環境も整っているからこそ、実力も発揮しやすいはず。そういう面でも海外での第一歩目としてもすごく良いリーグなのかなと。現にMLSから欧州に行く選手も多いですし、欧州からはJリーグより注目されているようにも感じます。だからこそ若い選手にとってはありなのかなと。

サラリーキャップ制度(年俸総額の上限制度)があるなかで、各クラブはできるだけ金額を抑えながら良い選手を獲ろうとしていて、そうした基準に日本の選手はマッチしているはずです。そうやって道が増えれば、日本人選手の可能性は改めて広がるのかなと。

だからこそ麻也くんとも、僕らがMLSの良さを伝えていこうという話をしているんです。あまり言いすぎると日本のサポーターの方たちに怒られちゃいますが(苦笑)、日本サッカーの発展のためにも、考えていくべきなのかなと」

そのなかで30歳となった自身は代表復帰や、欧州へのステップアップという野望を抱いていないのか。そんなこちらの意図はやんわり否定する。

「サッカー選手である以上、日本代表は常に意識するものです。僕の頭のなかにも、もちろん入っています。でも今はそこを明確な目標にしているわけではなく、まずは目の前のこと。まだここで何も成し遂げていないですから。それに僕の場合、先ばかりを目指しても良いことはないんですよ。計画通りにいつもいかないので(笑)。一歩一歩。目の前のことに全力を傾ける。そこですね」

それこそが山根視来の生きる道。川崎で称賛され続けた姿勢なのだろう。

インタビューの数日後、山根のもとには川崎のサポーターたちから数多くのメッセージが寄せられた等身大のタペストリーが届いた。背中を押してくれる人たちがこんなにもいる。異国の地で彼はこれからもピッチを走り続け、闘い続けるはずである。

■プロフィール
やまね・みき/1993年12月22日生まれ、神奈川県出身。178㌢・72㌔。あざみ野F.C.―東京Vジュニア―東京VJrユースーウィザス高―桐蔭横浜大―川崎―ロサンゼルス・ギャラクシー。J1通算196試合・14得点。J2通算37試合・0得点。日本代表通算16試合・2得点。粘り強い守備と“なぜそこに?”という絶妙なポジショニングで相手を惑わし、得点も奪う右SB。

取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)

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