チェルシーのオーナー退任から丸2年。「アブラモビッチの衝撃」を振り返る【現地発】

2003年4月、チャンピオンズリーグ(CL)準々決勝の舞台となったオールド・トラフォードに、ひとりのロシア人がいた。ロマン・アブラモビッチである。ロシアで70億ポンド(当時のレートで約1兆3300億円)強の財を築き、世界有数の大富豪となった当時36歳の彼は、「欧州最高峰の戦い」と「夢の劇場」と謳われるスタジアムの雰囲気に酔いしれた。イングランドのフットボールクラブを買収したい──。その決意を固くしたアブラモビッチはさっそく、ロンドン北部を本拠とするトッテナムを訪れた。

トッテナムに強い興味を持ったのは、2000年にクラブを買収していたダニエル・レビーとジョー・ルイスが売却に応じる姿勢を示したから。しかし、本拠地ホワイト・ハートレーンを訪れたアブラモビッチは、側近にこう漏らしたという。

「このあたりは、ロシア中部のオムスクよりみずぼらしいな」

その界隈はいまでこそ雰囲気も治安も落ち着いているが、ロシア人は当時の環境をあまり気に入らなかったようだ。そして、次に目をつけたのがチェルシーだった。ケン・ベイツがオーナーを務めるチェルシーは深刻な財政問題を抱えていたが、それは大富豪のネックにはならなかった。CL出場権を有していたのも魅力で、本拠地がロンドン南西部の高級住宅地にあることも買収への意欲を高める要素だった。チェルシーとの交渉は30分足らず。2003年7月に正式契約に至った。

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アブラモビッチはここからロンドン中、いや、世界中を驚かせるビッグディールを連発する。03年夏の移籍市場で1億5000万ポンド超の巨費を投じ、アドリアン・ムトゥ、ファン・セバスティアン・ベロン、クロード・マケレレ、エルナン・クレスポ、ダミアン・ダフ、ジョー・コールら国内外のスターを乱獲。絢爛豪華なチームに変貌を遂げたチェルシーは国内リーグ2位と躍進し、CLではクラブ史上初となるベスト4進出を果たした。

それに飽き足らないアブラモビッチは、さらなる一手を打つ。クラウディオ・ラニエリ監督を解任し、ポルトで欧州制覇の快挙を成し遂げたばかりの新進気鋭、ジョゼ・モウリーニョをロンドンに引っ張ってきたのだ。陣容強化の手も緩めず、前年を上回る資金を湯水のごとく使い、ディディエ・ドログバやアリエン・ロッベン、ペトル・チェフら新たな才能をかき集めた。

迎えた04-05シーズン、チェルシーは55年ぶり2回目となるリーグ制覇を達成。翌シーズン、そのタイトル防衛に成功するなどプレミアを文字通り席巻した。07年まで続いたこのモウリーニョ第一次政権下で、アブラモビッチはアーセン・ヴェンゲル率いるアーセナルからロンドンの主役の座を奪ってみせた。そして買収から約9年の12年5月、CL制覇の大願を成就させ、ロシア人オーナーは悦に入った。

しかし、チェルシーとの蜜月関係は唐突に終わりを告げた。22年2月、ロシアがウクライナに侵攻すると、ウラジミール・プーチン大統領と近しい存在とされるアブラモビッチの英国内における資産が凍結されたのだ。侵攻開始から3か月後の22年5月、アブラモビッチは米国の投資グループにクラブを売却し、オーナーを辞任した。

本人にとっては望まぬ形での終焉になったとはいえ、チェルシーでの輝かしい功績は色褪せるわけではない。二度のCL制覇と5度のプレミアリーグ優勝は、アブラモビッチなくしてありえなかった。彼はチェルシーのすべてを変え、ロンドンのみならずイングランドサッカー界のヒエラルキーを大きく覆す特大のインパクトを残した。

文●ジョナサン・ノースクロフト(サンデー・タイムズ紙)
翻訳●田嶋コウスケ

※ワールドサッカーダイジェスト2月1日号より転載

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