もう限界だ。還暦を過ぎた男は七輪と練炭を買った。母は認知症。「床ずれが一切ない」と医師も驚く緻密な介護で支えた。睡眠2時間の日々…特養入居4日前、孤独は沸点に達した〈法廷傍聴記〉

男は心中を図る前に県外の弟に電話を入れていた(記事と写真は関係ありません)

 「兄ちゃんはどけおっと?」。特別養護老人ホームで次男に尋ねる女性の記憶はちぐはぐだ。還暦を過ぎた息子たちは、女性の記憶の中では小学生のまま。兄ちゃんと呼ぶ長男が起こし、自身も巻き込まれた数カ月前の事件も覚えていない。

 60代の男が問われたのは殺人未遂罪。自宅で練炭をたき、90代の母を殺害し自らも死のうとした。証言台で「介護で極限状態だった」と語る男の髪は伸びきり、実際の年齢より老け込んで見えた。特養への入居が間近に迫る中での犯行。なぜ周囲に助けを求められなかったのか。

 男は長年両親と生活し、農業や自動車整備の仕事で生計を立ててきた。陰りが見えたのは2019年1月ごろ。元気だった母に軽い認知症の症状が現れ始めた。同時期に父も亡くなり、2人だけの暮らしが始まる。症状は少しずつ進行し、20年10月に要介護1の認定を受けた。

 「施設に入れる考えはなかった」。被告人質問で述べた通り、男は身の回りの世話を一人でこなした。22年末、寝たきり状態で要介護4。それでも食事の準備から入浴、排せつ介助まで献身的に取り組んだ。

 医師から「床ずれが一切ない」と褒められるほど男の介護は緻密で完璧だった。「なぜ毎朝お母さんを寝室から居間に運んだのですか?」。裁判官の問いに、「普通の生活をさせたかった」と淡々と答える男からは母ヘの愛情と同時に、誰にも頼ることのできない孤独を感じた。

 日夜介護に追われ、睡眠時間は1日2時間程度。「楽になりたい」。そんな思いが日に日に増し、極限を迎える。4日待てば母は特養に入り、介護から解放される。だが、冷静に考える余裕は残っていなかった。

 その朝、金物店で七輪と練炭を購入。帰宅後も電話で使い方を確認した。

 いつも母と過ごした居間のこたつテーブルに火を付けた七輪を置き、ふすまをガムテープで目張り。母とこたつに入り目を閉じた。

 数十分後、勢いよくふすまが開いた。「大丈夫ですか」。2人は駆け付けた警察官に抱えられ屋外に運び出された。共に命に別条はなかった。

 検察側は行政に相談するなど取り得る手段があったとして懲役5年を求刑した。

 判決の日、裁判長は「介護を受けながら生活できる母親を巻き込み自己中心的」としながらも「同情できる点もある」として懲役3年保護観察付き執行猶予5年を宣告した。男は黙って聞き入れた。

 男は練炭に火を付ける前、県外に住む弟に電話を入れていた。「自分でもよく分からない」と振り返るが、弟の留守電には心中する旨と玄関先の植木に家の鍵を隠しているとの伝言が残っていた。結果的に、弟が警察に連絡し、2人の命が救われた。

 「助けてほしい」。ずっと言えなかった最後のSOSだったのかもしれない。

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