「人生諦めた。もうアカン」不幸続きだった元教師の絶望を希望に変える糸【世界を変えうる日本の技術】

大阪市出身の圓井(まるい)仁志さん(33)。夢だった教師になり、2017年には、滋賀県の私立中学・高校でラグビー部の監督をしていました。指導の実力を認められてU-16近畿代表コーチでもありました。「圓井コーチの指導を受けたい」と、部には全国から有力選手が次々と入学してくる程のスター教師だったそうです。

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ところが2018年、職場環境による精神的な適応障害を発症し、退職を余儀なくされたといいます。「自分にはこれしかない」と歩んできた職を失い途方に暮れた圓井さんは、その後、飲食店を始めるもコロナの蔓延もあり頓挫。その後、清掃業、造園業、建設業の経営にも乗り出しましたが、信じていた共同経営者にお金を持ち逃げされ、取引先が工事代金を払えずに夜逃げして1,000万円近い損失を出すなど、苦難の時期が続いたそうです。同時期に離婚もして、「不幸ばかりやってくる。人生諦めた。もうアカン」と、生きる気力もなくす程に、落胆していました。

職を転々とした後、2023年4月に「できれば世話にはなりたくなかった」という家業、繊維機械業の製造販売を行う実家に戻った圓井さん。「ギリギリの小さな会社で、何もできない自分はお荷物になってしまうのでは。」というのが本音だったそうです。

不正解を正解に変えていく

実家の圓井繊維機械株式会社(大阪市旭区)は、祖父の圓井康三さんが立ち上げ、当初から高い開発力があったそうですが、繊維業界の衰退とともに、売上は全盛期の半分以下にまで落ち込んでいました。

そんな家業の立て直しに向け、圓井さんは、「ポリアセタール樹脂」を使った糸に目をつけます。この樹脂はあまり馴染みがありませんが、耐久性に優れ、温暖化の要因とされる二酸化炭素を原料の一部として利用する製造技術が開発された、環境に優しいと注目の素材です。

圓井繊維機械は、京都工業繊維大学、株式会社プレジールと開発を進め、ポリアセタール樹脂を糸に加工。世界で初めて、この樹脂を使った実用レベルの糸の生産技術を生み出していました。

「不正解を正解に変えるのが事業家の仕事だ」

「今までうまくいかなかった人生も、頑張れば正解に変えられるのかなあ」
何度もだまされて失敗し、「俺の人生は不正解」と決めつけてきたこれまでを振り返り、気づけば目から涙がこぼれ落ちていたそうです。

「失っていた全てを取り返すつもりで、あと1回だけ死ぬ気で努力してみよう」自信を失っていた圓井さんの心に、新たな決意が生まれました。

「空気から作れる糸」を世界に

イノベーター育成プログラム「始動」には、社会問題を解決したいという若者が集っており、その「前向きで助け合う」雰囲気の中で、圓井さんにもラグビーや教師に打ち込んでいた時の感覚が戻ってきたといいます。

プログラムでは、資金調達など、ビジネスプランについて4か月にわたって多くの講義を受けた後、事業計画書を提出し、その内容を5分間で発表する「ピッチ」の場が設けられます。そこで高評価を受けた上位者だけが米国のシリコンバレーに派遣され、現地企業や投資家の目に触れる機会を得られる仕組みです。

「これは、空気から作れる糸です。世界中で大量消費されている衣料をはじめとするあらゆる繊維製品に使われる糸の一部が、この新しい糸に置き換われば、二酸化炭素の大きな削減につながります」

圓井さんは、開発した糸の力を資料にまとめ、アピールを重ねました。地を這うようなどん底を経験して身に付いた忍耐力。さらに、高い熱量を持って人に思いを伝える術を磨いた教師とラグビー部監督の経験。すべてが融合されたプレゼンは、審査員の心をつかみ、圓井さんは関門を突破、見事2023年末、シリコンバレーへの派遣を勝ち取りました。

そして2024年2月。東京都港区の虎ノ門ヒルズ・ステーションタワーで行われた最終ピッチで圓井さんは、イノベーター育成プログラム「始動」参加者150人の頂点である「最優秀賞」に輝きました。1年前まで絶望のどん底にいた圓井さんは、100人を超える起業家や経営者達から拍手喝采を受け、まさに「不正解が正解に変わった」瞬間を体験したといいます。

父・圓井良さんたちが生み出した新繊維の技術は、「大量の二酸化炭素を排出することから石油化学に次ぐ世界2位の汚染産業といわれている繊維・アパレル業界を変えうる可能性がある」と、高い評価を受け、国内の大手企業や、海外のスタートアップ企業から問合せが寄せられ、現在、世界的企業との商談につながっているといいます。

「ええもん作れば売れるんや」。祖父に教えてもらった言葉と、育成プログラムで学んだ「高い熱量を持って分かりやすく伝えて共感者、協力者を獲得する」という要素を紡いで、未来を手繰り寄せ始めた圓井さんは、「注目され始めたここからの方が大変やと思います。でも、人生を諦めなくて良かった」と力強く語ります。1年前の自分や、今、厳しい環境にいる人に声をかけるとしたら、と質問すると、「あなたの何かが間違っているわけではない。これから素晴らしい景色に出会えるから、諦めずに生き続けてほしい」と、真っ直ぐな目をして答えてくれました。

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