「鎮兵」の文字書かれた木簡 陸奥国司の書状と判明 福島市・西久保遺跡

 福島市は29日、昨年市内の西久保遺跡(奈良~平安時代)で発見された「鎮兵(ちんぺい)」の文字が書かれた木簡について、陸奥国司の書状だったとの分析結果を公表した。これまでは出羽国(秋田、山形)から出されたと見ていたが、新たに5文字を解読したことで判明した。

 新たに解読したのは冒頭の「陸奥国司」と中ほどの「衆」の文字。奈良文化財研究所の協力で赤外線画像撮影・分析をした。解読済みの文字(末尾の「郡郷」は推定)を並べると「陸奥国司牒下野国司 鎮兵死□衆之状不罪郡郷」(むつこくし しもつけのこくしにちょうす ちんぺいのし□おおきのじょうぐんごうをつみせず、□は未解読)となる。市は東北地方の防備を担った鎮兵の死亡が多いことについて、東北の主に太平洋側の地域を管轄した陸奥国司が、現在の栃木付近を担当した下野国司に対し、西久保遺跡周辺の地域の対応に落ち度がない旨を伝えた、と見ている。

 市は想定される状況を、下野国を国司とともに出発した鎮兵が西久保遺跡付近で死亡、西久保遺跡付近にとどまった下野国司が陸奥国司に鎮兵死亡を伝える書状と使者を出した結果、陸奥国司が今回見つかった木簡を出した、としている。

 今回の分析では新たに、木簡裏面に2カ所に墨書きがあるのが判明した。文字は解読できていない。木簡は長さ29.6センチ、幅2.5センチ、厚さ1.1センチ。

 市は4月6日から5月26日まで、市内のじょーもぴあ宮畑で、木簡の実物を公開する。

© 株式会社福島民報社