深刻な「後継者不足」背景に、佐世保空襲遺族会あす解散 全国各地でも活動困難

会員数の減少や高齢化を理由に解散する佐世保空襲犠牲者遺族会。臼井会長(左)と山口副会長は墓銘碑を見つめ、反戦の思いを強くした=佐世保市

 1945年6月の佐世保空襲の遺族らでつくる「佐世保空襲犠牲者遺族会」が31日、会員数の減少や高齢化を理由に解散する。背景の一つには、深刻な「後継者不足」があった。佐世保に限った問題ではなく、全国各地で遺族会の活動が難しくなり、姿を消している。
 今年3月下旬。佐世保市中心部にある佐世保空襲死没者墓銘碑を、会長の臼井寛さん(90)と副会長の山口廣光さん(85)が見上げていた。8年前に遺族会が中心になり建立。犠牲者約1200人の名前を刻んだ。「伯父、伯母の名前もあるんですよ」。臼井さんは真剣な表情でつぶやいた。
 遺族会は75年11月に結成。佐世保空襲の遺族が集う、唯一の組織だった。当初の会員数は約450人だったが、介護施設への入居や死去などで減少が続き、現在は128人。年に1度の定期総会も、本年度の参加者は15人だけだった。
 臼井さんと山口さんは、後継者づくりの難しさを口にする。会長などの役員を打診しようにも、子どもがいる県外に住んでいるため断念したり、仕事を理由に断られたりしたこともあった。近頃は役員会のたびに、後継者のことが話題に上っていた。臼井さんも前会長から2度にわたって直談判を受け、会長を引き受けていた。
 被爆者や軍人と異なり、空襲被害を受けた民間人への援護は不十分として、臼井さんは「国からの援助もなく、我慢しろと。それでは(役員の)なり手はでてこない」と憤る。山口さんも「よく続けてきたなと。ここら辺が潮時かな」
 佐世保以外にも福岡県糸島市や大阪府堺市にある遺族会など、全国各地で解散が相次いでいる。いずれも会員数の減少や高齢化などが理由という。
 約10万人が犠牲になった東京大空襲の犠牲者遺族会(東京都)でも、90代のスタッフが複数人いるなど高齢化が進み、会をどう維持するか、深刻な問題に直面しているという。会長の榎本喜久治さん(90)=東京=は「若い人も一緒にやってくれるけれど、運営(を続けられるか)は時間の問題」と声を振り絞った。終戦から79年。空襲犠牲者の遺族会は岐路に差しかかっている。
 墓銘碑を去る時、山口さんは力を込めて言った。「決して戦争をしてはいけない。これが一番なんです」。会が姿を消しても、反戦の願いは生き続ける。

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