みんなは知ってる? 櫛引城 地域活性化へ地元で勉強会/八戸・館地区

地域住民を前に、櫛引城の歴史について講演する清川繁人教授

 八戸市館地区で、戦国時代に地元にあった櫛引城への関心が高まっている。昨年12月末に、来訪の証となる御城印(ごじょういん)の販売が始まったことがきっかけとなり、今月23日には市立館公民館で地元住民による勉強会が開催された。今後、貴重な歴史遺産を、地域のためにどう生かせるか検討することにしている。

 櫛引城跡は馬淵川東岸の同市櫛引館神周辺にあり、城主は櫛引(四戸)氏。戦国時代、南部氏は三戸氏を盟主に、八戸氏、九戸氏、七戸氏などの同族連合「一家(いっか)」を形成して北奥羽地方を支配したが、櫛引氏もその一員だった。しかし、天下統一した豊臣秀吉に九戸政実が反旗を翻すと同調し、1591年に滅亡。城も翌年に破却となった。

 地元では昨年末、飲食店「まちの茶屋 しゃべるばあ~」で、城名や家紋などをデザインした御城印の販売を開始。すると地元の城について学びたいとの声が高まり、御城印を監修した青森大の清川繁人教授=同市出身=を講師に、館地区連合町内会主催の勉強会「櫛引城を知る会」が開かれるに至った。

 清川教授は約80人の住民を前に、櫛引氏や櫛引城の歴史について解説。「歴史的に貴重な土地。基本的に私有地だが、市で管理し、さらに調査できるようになれば」と期待を込めた。

 会場でのアンケートでは6割以上が櫛引城について「知らなかった」「名前は知っていた」と回答し、地元でも詳しくは知られていないことが浮き彫りとなった。現在は畑地で、地形に名残がある程度だが、「見学できるように整備してほしい」との声が多かった。

 連合町内会の寺沢壽一会長は「櫛引城の城主は九戸の乱で敗れたが、10倍以上の敵と勇敢に戦った。どういう形で城をPRしていくか検討したい」と話した。【全文】

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