32年間「あっという間」 若田さん、JAXA退職で思い語る 目標は「生涯現役の宇宙飛行士」挑戦続く

母校・浦和高で講演会終了後も丁寧に生徒の質問に答える若田さん=2018年12月、埼玉県さいたま市浦和区の県立浦和高校

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)を31日付で退職する宇宙飛行士の若田光一さん(60)=埼玉県さいたま市出身=は29日、東京都内で記者会見を開き、今後は民間の立場で、月や火星の有人宇宙活動を支援する意向を示し、「先駆者の一人として仕事をしていきたい」と述べた。「可能な限り、宇宙飛行士としての活動を続けていきたい」と現役続行の意欲も語った。

 32年間にわたり宇宙開発の最前線で活躍してきた若田さんは「あっという間だった」と振り返り、当初は英語がおぼつかず、米航空宇宙局(NASA)の訓練にもがき苦しんだという。宇宙飛行では数多くの重大なトラブルに直面しながら、「チームワーク」でミッションを成功させたとして、支えてくれたJAXA職員らの氏名を一人一人挙げて感謝した。宇宙飛行士の先輩、後輩、候補生、同僚、家族、多くの友人に対しても、「この場で感謝の気持ちを伝えたい」と述べた。

 若田さんは退職の理由について、「日本人が月面に立つ日が、すぐそこまで来ている。各国政府が主導する有人宇宙活動の持続的な発展のためには、民間主導の宇宙活動が鍵になる」と説明。「より多くの人たちが宇宙に行き、月、火星探査を含む有人宇宙活動全体の持続的な発展に貢献したい」と述べた。具体的な所属先は明らかにしなかった。

 「生涯現役の宇宙飛行士」という目標にぶれはないとして、6回目の宇宙飛行への意欲を問われ、「7回でも8回でも行きたい。できるかどうかは分からないが、挑戦は続けていく」と述べた。

 最も印象に残ったのは、初めて宇宙飛行した1996年1月の米スペースシャトル「エンデバー」の体験を挙げた。打ち上げ日時をそらんじて、「太陽が昇り初めて見る地球の美しさ。かけがえのない古里地球の環境を守っていく大切さも感じた」と語った。

 若田さんは旧大宮市生まれ、市立大宮別所小学校、市立宮原中学校、県立浦和高校を卒業した。日本航空勤務を経て、92年にJAXA前身の宇宙開発事業団の宇宙飛行士候補に選出された。96年の初飛行後、2000年、09年、13年、22年に米国やロシアの宇宙船で計5回の宇宙飛行を経験している。宇宙飛行5回は日本人最多。累計の宇宙滞在時間は504日18時間35分で日本人最長。14年には、日本人で初めて国際宇宙ステーション(ISS)の船長を務めた。

ISSに滞在中の若田光一さんとの交信イベント=2022年10月24日、埼玉県さいたま市青少年宇宙科学館

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