「京都人はいけず」ってホンマ? 角立てない知恵なのに…腹黒イメージ広がり「困る」

いけずステッカーのポスト編の表。建前が表現されている(ない株式会社提供)

 京都人はいけず-。メディアで時々、京都人の気質が話題になる。いけずと言われすぎた結果、「意地悪」「裏表がある」といった印象の広がりを感じているという40代女性が、「不愉快」と憤る声を、京都新聞の双方向型報道「読者に応える」に寄せた。一方、本音と建前を少々誇張しつつ笑いをまぶしたグッズ「いけずステッカー」が人気を呼ぶ。少なくとも京都人のいけずが全国から注目されているのは間違いなさそうだ。京都の皆さんは、いけずと言われると、どう思わはりますか-。

 「いけずを大々的に発信されると迷惑に感じる。京都人に対するいじめでは」。京都市の中心で暮らし、現在は北海道在住という40代女性は指摘する。

 そもそも「いけず」とは何か。辞書では「意地が悪いこと」などとしている。一般には本音と建前の使い分けなども指す。

 辞書に収まらない意味で言えば、こちらの意向をそれとなく相手に伝え、関係性に角を立てずに暮らしていく会話術、態度、といったところか。「丁寧なほどおそろしい『京ことば』の人間関係学」などの著書があり、インターネット上のコミュニティー「イケズの会」で会長を務める大淵幸治さん(75)は「単なる意地悪や腹黒さが出たものではない。他者の心を読み、可能な限りその心を操作誘導し、懐柔もしくは韜晦(とうかい)するもので、京都人が編み出した優れた言語技術」と表現する。

 メディアでは京都人の性格がしばしばネタになる。「洗練された言語術」という真の意味より、表面的な「意地悪」というイメージが流布しやすいのだろう。冒頭の女性が昨秋、知り合った人に京都出身と伝えると、「相手は『あー…』と、次の言葉が出ない反応だった」と明かす。たまたま前の日に人気テレビ番組でいけずが取りざたされていた。「以前は京都出身というと一目置かれたが、年々、悪い反応が増えているように感じる」という。

 女性がメディアに加え、懸念を示すのが「裏がある京都人のいけずステッカー」だ。

 例えば、表に「小っちゃい郵便受けしかおへんですんまへん。おおきに、はばかりさん。」と「建前」を記し、裏返すと「しょーもないチラシいれんな 迷惑やねん。」という「本音」が目に飛び込む。

 

 企画した「ない株式会社」(大阪市)と「株式会社CHAHANG(チャーハン)」(中京区)によると、ポスト編やトイレ編など全4種を昨年11月に880円で発売。1カ月で約650枚を売り上げ、好評を博しているという。

 ステッカーに登場しているのは、大西里枝さん(33)。下京区で扇子などを扱う「大西常商店」の4代目だ。表ではこれぞ老舗の若女将といった落ち着いたたたずまいを見せつつ、裏面では思い切りゆがませた顔で本音を爆発させている。

 女性は「ステッカーからは『あなたたちには高等な会話は理解できんでしょ』という上から目線を感じる」とする。

 対して「ない株式会社」の岡シャニカマ社長(29)は「『こんなしょうもないことをするから京都人が嫌われる』というような批判は数えるほど。憤った方には申し訳ない。ただ、おとしめる考えはない」と説明する。

 その上で「これまで、いけずを楽しんでもらうことはされていなかった。いけずは日本人が培ったコミュニケーションスキルで、洛中(京都の中心部)には日本の国民性の象徴、煮こごりのようなものがあると思う。それが全国に愛されるようになれば」と真意を強調する。

 一方、ステッカーに登場する大西さんはこんなエピソードを紹介する。以前、老舗飲食店を訪問した時のこと。店の人に「雨が強くなりますさかい、タクシー呼びましょか」と言われ、席を立って外に出ると雨は降っていなかった。「『閉店します』では角が立つので、そういう表現になったと思う」と話す。「言いにくいことをうまく伝える『本来のいけず』が京都にはある。ステッカーを通じて、文化や暮らしの一端を紹介できたら」とする。その上で「広い御心(みこころ)で楽しんでほしい」と期待する。

 女性の心配は尽きない。「いけずイメージの流布は移住政策に悪影響では」とも訴える。確かに身構える移住希望者もいそうで、一理ある。

 京都の「居・職・住」について発信するコミュニティメディア「京都移住計画」に携わり、京都市移住サポートセンターで相談員も務める坂井晃人さん(31)は「移住相談で『京都って冷たくないんですか』と聞かれることはある。ただ、実害は出ていない」としつつ、「マイナスイメージから出発すると、かえってプラスになりやすい」とも指摘する。一見怖そうな人が優しい一面を見せると印象がとてもよくなるパターンだろう。

 自身も東京から移住したが「いけず(意地悪)を感じる場面はない」という。京都は都会でありながらも「温かい関係性があり、コミュニティーが心地よく働いている感じがある」とする。

 意地悪という一面的な意味での「いけずいじり」はこれからもあるはず。腹に据えかねる京都人もいよう。どう向き合えばよいのだろうか。大淵さんは「ステレオタイプ(紋切り型)な見方であり、血液型を話題に笑いを取るようなもの。意地悪とくさす人たちの心性には、京への憧れも潜んでいるでしょう。もし、いけずと言われたら『いけずです。それがどしたん?』と言っておけばよいでしょう。ムキに捉えるより、都人としての余裕あるスタンスを保てばよいでしょう」と鷹揚(おうよう)に構える。みやびやかにほほ笑みながら「いけずどすえ~、怖いどすえ~」とあしらっておくくらいが京都人らしいのかもしれない。
 

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