「コンクリート上で技を磨いた」“フットボーラー名産地”と化す南ロンドンの特殊な事情【現地発】

「世界的に見ても、南ロンドンはトップ3に入るタレントの宝庫だ」

クリスタル・パレスのスティーブ・パリッシュ会長の発言である。かつてはイングランド北部がプロフットボーラーの名産地として有名だったが、いまはそれが首都ロンドンの南部に移っている。実際、プレミアクラブに所属するイングランド出身選手のうち、実に14パーセントが南ロンドン出身という驚くべき統計もあるほどだ。約25平方キロメートルの限られた地域から、優秀なタレントが次々と生まれている。

具体的に言えば、ロンドン中心部を流れるテムズ川より南側に位置する地域で、4つの行政区(ルイシャム、ランベス、サザーク、ワンズワース)にまたがっている。地元での呼称は「サウス・オブ・ザ・リバー」だ。

この地域がフットボーラー名産地と化した理由のひとつは、1980~90年代にかけてカリブ諸島やアフリカから英国に渡ってきた移民にある。当時の南ロンドンは住居費が安く、慢性的に人手不足だった工場や病院、鉄道会社など働き口が少なくなかった。こうして移民が定着し、その2世、3世が南ロンドンのリソース(人的資源)に純粋なプラスとして加わったのだ。

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4つの行政区で最も東側に位置するルイシャム行政区は、イングランド代表のジョー・ゴメス(リバプール)やルベン・ロフタス=チーク(ミラン)を輩出。エディ・ヌケティア(アーセナル)もこの地区の生まれで、アーセナルのレジェンドであるイアン・ライトと同じ学校に通い、同じフットボールスクールで技を磨いた。

サザーク行政区にあるペッカムで育ったのは、元イングランド代表DFのリオ(元マンチェスター・Uなど)と、アントン(元QPRなど)のファーディナンド兄弟。ふたりが暮らしていた公営住宅『フライアリー団地』からは、アデモラ・ルックマン(アタランタ)やジャック・バトランド(元サウサンプトンなど)といった好タレントも生まれている。

同じサザーク行政区のウォルワースにある『エイルズベリー団地』で育ったのはジェイドン・サンチョ(ドルトムント)とリース・ネルソン(アーセナル)で、同じ23歳のふたりは幼少期から親友だ。さらに、97年生まれのタミー・エイブラハム(ローマ)と98年生まれのエベレチ・エゼ(クリスタル・パレス)も同区の出身で、少年時代は同じチームでプレーしていた。

一方、ワンズワース行政区が育んだのは、ミカイル・アントニオ(ウェストハム)やライアン・セセニョン(トッテナム)、カラム・ハドソン=オドイ(ノッティンガム・フォレスト)といった実力者。ランベス行政区はイーサン・ピノック(ブレントフォード)やルーク・アイリング(リーズ)を輩出している。

4つの行政区に共通するのは、クラブや小学校でフットボールが盛んに行なわれていること。加えて、公営住宅の敷地内に小さなスペースを壁で囲んでプレーするケージ・フットボールの環境が整っている場合が多い。サンチョやネルソン、セセニョンなどは、ケージ・フットボールのコンクリート上で技を磨いたと公言している。

そして、彼らに続くダイヤモンドの原石を発掘しようと、アーセナル、チェルシーを中心にプレミアの各クラブが同地域のスカウティングに力を入れているのだ。エゼも「タレントはまだまだ出てくる」と予測する南ロンドンにぜひ注目していただきたい。

文●ジョナサン・ノースクロフト(サンデー・タイムズ紙)
翻訳●田嶋コウスケ

※ワールドサッカーダイジェスト2月1日号の記事を加筆・修正

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