人・食・地域を結び、小学生が考案した駅弁の思いを形にするフードコーディネーターに迫る

2024年3月16日、北陸新幹線の金沢ー敦賀間の開業に沸き立つ福井県内では、さまざまな地域でのイベントが目白押しです。新幹線開業に先駆けた3月3日、福井県若狭町熊川宿の「ここ結キッチン」では、小学生のアイデアを形にした駅弁販売が行われました。

若狭町の瓜生小学校6年生はSDGsについての学びを活かし、若狭牛や手づくりこんにゃく、福井梅など地元の特産品を使用した駅弁製作に取り組んだといいます。子どもたちや教員の熱い思いに心を動かされ販売できる形にしたのが、フードコーディネーターの石倉怜菜さんです。

「今回製作した駅弁150食は一般販売されるものではなく、駅弁プロジェクトの関係者向けに販売したものでした。このような取り組みから新たな商品が生まれ、一般販売までつなげられれば嬉しいです」

取材時には一般販売が決まっていなかった駅弁でしたが、3月16日の北陸新幹線開業イベントにて観光客向けに100食が販売されました。

取材後に若狭町観光商工課さんより依頼があり、若狭町ブースでの販売が決まったとのこと。パッケージを新たに制作し、若狭町の魅力PRにもつながったそうです。

150食分の「若狭の特産品入りビビンバ」

駅弁制作に協力した石倉さんは地元の若狭町で生まれ育ち、短大を卒業してから地元学校の栄養教諭やカフェ経営などを経て、新たな取り組みを始めたところです。

「お店をしたいとは思っていたのですが、地元で何かをするなんて考えたこともありませんでした。それに、気がつけばいつも安定とは正反対の道を選択してしまっています」

今回はフードコーディネーターの石倉さんに、多くの葛藤と紆余曲折を経て、現在の取り組みに至った経緯を詳しく伺いました。

料理人への憧れから食の道へ

駅弁の盛り付けをする石倉さん

石倉さんは、地元の県立美方高校の食物科に入学。食品・栄養・衛生学・調理などの専門知識を学んだそうです。

そこで料理に目覚め、料理人に憧れを抱いたといいます。在学中に調理師免許を取得し、高校卒業後はさらに専門知識を深めるため、兵庫県の短大に入学しました。

短大のカリキュラムは厳しく、4年制大学に匹敵する知識が身についたと石倉さんはいいます。短大在学中にフードコーディネーターの資格も取得したそう。当時は何に使えるのかよくわからなかったと振り返ります。

在学中は京都の料亭などに就職活動をするも良縁に恵まれず、卒業後は地元で寿司屋と居酒屋のアルバイトを掛け持ちでしていたそう。

転機が訪れたのは短大を卒業してから約3ヶ月後のことでした。

断りきれなかった栄養教諭、いつの間にか9年間も勤務

駅弁販売の応援に駆けつけた若狭町長(手前)と瓜生小学校の子どもたち

「短大を卒業してから3ヶ月後くらいに、産休の栄養教諭の代わりに臨時で来てほしいと連絡があり、1年間だけ引き受けることになりました。人前で話したり自分の意見を伝えたりすることが苦手で、教職の仕事は控えたいと思っていたのですが……結局、気がつけば約9年間も栄養教諭をしていました」

約9年の栄養教諭は臨時職員だったため、福井県の採用試験を受けることに決めた石倉さんでしたが、残念ながら採用枠は少なく、採用されることはなかったとのこと。

「そのとき、ふと思い出したのです。『そういや、私はお店をするのが夢だったんだ』って。それまでは完全に忘れていたのですが、思い立ったら吉日です。開業に向けて、本格的に場所探しや店舗のアイデアを考え始めました」

栄養教諭として勤務した最後の年度は4校が統廃合した新しい学校の立ち上げだったこともあり、多忙を極めたといいます。開業準備は学校での業務と並行し、寝る間を惜しんで取り組んだとのこと。

地元でお店をするなんて考えていなかった

外観が気に入ったという熊川宿の古民家(画像提供:石倉さん)

店舗となる場所選びには時間がかかったといいます。

「場所探しには半年かかると書籍などには書かれていますが、本当に半年かかりました。地元から出たかったこともあり、滋賀県も含めて40軒以上の物件を見学したのですが、最終的に辿り着いたのが、ここ熊川宿でした。結局、地元です(笑)」

熊川宿の古民家に決めたポイントは外観から「なんとなく」惹かれたものがトントン拍子に進んだ縁だったといいます。加えて、ちょうど若い人たちが町おこしを始めたタイミングで、熊川宿全体に活気が溢れていたこともありました。

「まさか、自分が地元で店舗を営業するとは考えたこともありませんでしたが、今は地元の人とのつながりも大切にしたいと思っています。開店の際には、地元の方々も色々と助けてくださいました。店舗で使用している机やランドセルなども地域の方々が持ち寄ってくれました」

給食カフェ はな結の内装は小学校そのものだった(画像提供:石倉さん)

2020年のコロナ禍真っ只中、熊川宿にオープンした店舗が「給食カフェ はな結」でした。

栄養教諭としての知識と経験を活かす給食カフェの開業

実際にはな結で提供していた給食メニュー(画像提供:石倉さん)

「お店を開こうと思ったときに、『私にできることって何かな?』と考えました。私の強みは、学校給食の関係でできた人とのつながりです。そんなとき、長野県の給食カフェを訪れ、オーナーが元給食調理員さんだったことを知りました」

石倉さんは「これしかない」と感じ、給食カフェを開業します。

「学校給食って、ネガティブなイメージが強いと思っていたのですが、大人の方は懐かしいと言ってくださって、想像以上に大きな反響があり賑わいました」

しかし、2年を過ぎた頃から、徐々にお客さんの求めるものと自分のやりたいことにギャップを感じるようになってきたといいます。

人気の給食メニュー カレーと揚げパン(画像提供:石倉さん)

お客さんから求められる商品は、昔懐かしの揚げパンや給食で人気のカレーライスです。一方、石倉さんが提供したい料理は、地元の食材を活かしたメニューでした。自分の思い描く店舗イメージと、ユーザーニーズとのギャップは日に日に大きくなるばかりだったと語ります。

石倉さんの心の中には、今にも集中豪雨が降りそうな分厚く黒い雲が張りつめていたのでしょう。人・食・地域を結ぶ場所を作りたいと、一念発起して始めた給食カフェでしたが、オープンから約3年後の2023年初頭、長期の休業期間に入りました。

関係人口コーディネーターへの歩み

駅弁販売では若狭の特産品の魅力を紹介

給食カフェの店舗営業を休業し、次に取り組んだのは人・食・地域を結ぶコーディネーターへの道。そのうちの一つは、人と人をつなぐ仕事「関係人口コーディネーター」でした。

関係人口とは、観光でも移住でもない、その地域に愛着を持って関わりをもつ人を指します。国が行う地方創生の政策の一つで、滋賀県高島市では、そんなつながりのある人を「高島縁人」と呼び、ご縁をつなぐ取り組みを行っていたそうです。

石倉さんは熊川宿で給食カフェを開いて、福井県内だけでなく関西圏からのお客さんも多いことに気がついたとのこと。人との縁で声がかかり、この仕事を通じて熊川宿という県境の場所にいるからこそ、さらに人や地域との直接な横のつながりを広げられるのではないかと期待しました。

しかし実際には、地域の壁を感じることが多かったと語ってくれました。

「若狭町と高島市はすぐ隣なのに、福井県と滋賀県には情報の交流がほとんどありません。地域の壁は、私が考えていたよりもはるかに高かったようです」

高島市は若狭町から車で約20分程度の距離ですが、入ってくる情報量の少なさに驚いたといいます。石倉さんは関係人口コーディネーターとして働き始めてから、地域の垣根を取り払って人と人を結びたいと考えることが多くなったとのこと。

人・食・地域の魅力を結びたい思いを胸に「ここ結キッチン」を開業

現在、石倉さんは「関係人口コーディネーター」「フードコーディネーター」「食育コーディネーター」を一つにまとめた事業に取り組んでいます。地域の課題を把握し、親身になってアドバイスする仕事です。

2023年には地域の生産者と3つのお店を結びコラボさせた商品開発、キャンプ場の食事開発でのアドバイスや飲食事業立上げサポート、町の食育地産地消推進計画の策定などに携わりました。

石倉さんが開発に携わったJAと老舗和菓子屋のコラボ商品「福どら」

給食カフェで使用していた店舗は、食の開発と演出によって美味しさと楽しさを伝えるキッチンスタジオ「ここ結キッチン」としてリニューアル。個々(人)と此処(地域)の魅力を結び発信する食の拠点となります。

冒頭の駅弁販売も「ここ結キッチン」の事業の一環でした。

「実際に駅弁として商品化するには、まだまだ改善しなければならない点はあります。でも、いつか本当の駅弁として多くの方々に手に取ってもらえるといいなと期待を込めたプロジェクトでした」

駅弁プロジェクトだけではなく、現在はさまざまな企業や団体からの相談を受けているといいます。

パズルのピースがピタッとはまり始めた

今後の展望について笑顔で語る石倉さん

石倉さんが今後の展望について語るときの優しい笑顔が印象的でした。

「周りの人からは、『いったい、何の仕事をしてるの?』とよく聞かれます。わかりづらいですよね。すごく回り道をしていますが、私が本当にやりたかったことはただの飲食店ではなく、人と食、地域をつないで笑顔を届けることだと気がつきました」

給食カフェとしてオープンした店舗は、「ここ結キッチン」として再出発しました。店舗内では商品開発や販売、商品撮影もできます。石倉さんは大きな可能性に賭け、新たな一歩を踏み出したところです。

ジグソーパズルのピースは1、2枚集めただけでは完成イメージがわかりません。石倉さんのこれまでの活動はバラバラのピースだったため、それぞれのピースがどこにはまるのかもわからない状態でした。

フードコーディネーターの資格や栄養教諭の経験は、石倉さんにとって必要なパズルのピースです。無意識の内に手に入れていた複数のピースは、少しずつ大きな絵として完成に近づいていきました。

福井県と滋賀県の橋渡しの役割も担いたいと語る石倉さん。今後、さまざまな人や団体と力を合わせ、新たなプロジェクトに取り組まれることでしょう。

のがわ

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